Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「自伝及び中米内戦体験記」9月30日

「絵描きになった物語」(11) 「自分の題材を求めて」 その年私が松戸市展に出品した絵は、初めから最後まで、自分の絵として完成した。光風会先生の教室にいたら、先生に「上を目指せ」といわれて、つまり今年は去年の「奨励賞」の上の賞をもらうように計画…

「自伝及び中米内戦体験記」9月29日

「絵描きになった物語」(7) 「再訪したエルサルバドル:兵どもが夢の後」 当時、主人は海外出張が多く、元気になった私は一度娘を連れて、エルサルバドルに行こうかと考えた。娘は中学3年になっていた。中高一貫校だったから、受験というものはなかった…

「自伝及び中米内戦体験記」9月28日

絵描きになった物語」(1) 「才能というもの」 私は今、画家を名乗っている。50歳を過ぎてから絵をはじめ、何度か二科展に出品し入選受賞をしたからなんだけど、それまでの私の画歴というものは常識としては、「何もない」。 誰でも経験がある幼児のころの…

「自伝及び中米内戦体験記」9月27日

「にわかホスピス」8 「終油の秘蹟・・・説明不可能」 母は私が教会に頼んだ神父さんのことでも人を選んだ。 所属教会の主任司祭は、三郎兄さんの同級生で、一家の出身吉祥寺教会の出身であるために、母の死の床の秘蹟のために、わざわざ私が頼んだ藤丘神父…

「自伝及び中米内戦体験記」9月26日

「にわかホスピス(1)」 母の病状はすでに取り返しのつかないことになっていた。執刀医は中を見て、手をつけられないと判断して、そのまま縫い戻した。駆けつけた三郎兄さんが、「話のできる」一族の長として、医師の説明を受け、母の癌の状況を写真で見た…

「自伝及び中米内戦体験記」9月25日

癌の宣告 「それから母は・・・」 病院に担ぎ込まれた母は、意識はしっかりしていた。しかし、倒れたときに何が起きたかということを、母は一言もを言わなかった。財産をめぐって、母はいつも饒舌だったが、あるとき突然沈黙し、そして、それから何も言わな…

「自伝及び中米内戦体験記」9月24日

「特殊かもしれない家族の背景」 自分で暮らしている間は、ほとんど気がつかないのが、「自分のうちの特殊性」だが、多分我が一族の場合は、家族の歴史の背景になっている宗教事情を知らないと、意味が通じないこともありうるかと思い、軽く、記述することに…

「自伝及び中米内戦体験記」9月23日

「次郎兄さんの葛藤」(1) 次郎兄さんは、厄介な男だった。まあ、実家の家族のメンバーは、みんな一癖あるのだけど、彼は、一癖に加えて、学歴コンプレックスを抱えていた。 彼にだって、学歴が何もないわけではない。学制の変化した過渡期に、その年齢に…

「自伝及び中米内戦体験記」9月22日

「そして8年の歳月が経過した」 「母の母として」1 極めて非常識な半生を生き、極めて非常識な結婚生活を始め、そして非常識が常態となった8年が経過した。何か自分の意思に反した異常が起きるたび、私はそれを、自分の心に呼びかける神の意思と勝手に理…

「自伝及び中米内戦体験記」9月21

「1977年正月」 「イロパンゴ湖のほとり」 私は私の人生の一番最低な日々を、見知らぬ初対面の人々に見せなければならない苦痛を、もう耐えることができなかった。時はそろそろクリスマスで、正月がやってくる。私は正月に特別な思いを抱く文化の中で育…

「自伝及び中米内戦体験記」9月20日

「最前線に駒を進めよ」 「リタ、戦法変更」 私は中米男が日本を立ってから、自分の側におきることを逐一彼に知らせていた。そして彼のほうも、自分の側で起きることを逐一私に知らせてきた。 「自分に婚約した相手がいることを、子供の親に知らせた」といっ…

「自伝及び中米内戦体験記」9月19日

「婚約の一種」 そうこうするうちに、彼が国に帰る期日が迫ってきた。私は、Ponと小森先生の勧めを実行に移す気はなかったけど、8月20日に彼が故国に帰るといったとき、私はとうとう切り出した。 「ねえ。私もついていっていいの?」彼はじっと私の目を見…

「自伝及び中米内戦体験記」9月18日

「再び鬼婆サークル」 小森先生が、例の新入講師を招くから、付き合ってくれないかというので、彼女のアパートに出かけていったのは、その週の週末だった。言葉が話せる人材の確保だろうと私は思って、実家によって気楽な服装になってから出かけた。 彼女の…

「自伝及び中米内戦体験記」9月17日

新たな出会い「その年の2学期」 「ある生徒の死」 その夏私は「シルクロードの旅」から8月24日に帰国した。3週間の旅は実り豊かだったけれど、学校の事をほとんど忘れていた期間でもあったので、気分を日常に戻すのに少し時間がかかった。しかし、29日にな…

【自伝及び中米内戦体験記」9月16日

「1975年夏休み」 「シルクロードの旅」 あの学園に勤めてから毎年夏になると外国を旅行していた。保護家族もなく、被保護者でもない無責任な独身時代だったから、いつも気楽な独り旅だった。 1975年の夏休みのことである。その年の夏休みは、どこに行こ…

「自伝及び中米内戦体験記」9月15日

「いっぱい飲み屋」 新学期になり、職員室のメンバーも生徒たちも変わった。私の気持ちは以前より楽になっていたが、人間関係音痴の自分に嫌気がさして、かなり自信を喪失していた。常に常に一人で歩いた。それは生まれたときから約束された道であったかのよ…

「自伝及び中米内戦体験記」9月14日

「私は教師でありつづけた」 私が職員室に戻ったとき、自分がどのような表情をしていたかはわからない。そのとき自分が考えていたのは、所定の仕事をこなすこと、原紙を切り、輪転機を回し、今までそうであったように周到に授業の準備をし、そして授業に臨む…

「自伝及び中米内戦体験記」9月13日

「ある発表」 ある朝、朝会のとき、高校の教頭のほうから、「個人的なお知らせですが」と断って、ある発表があった。 「K先生が姓を元の姓に戻されてご結婚なさいます。」 寝耳に水だった。私の中の動物の本性が、くらくらと揺らいだ。K先生とは、車に私を載…

「自伝及び中米内戦体験記」9月12日

「一つの課題」 私のクラスの生徒の中に、在日韓国人の女の子がいた。明るく利発な子だった。バイブルキャンプのとき、緑ネクタイホモ発言の理事長が、生徒全員に対して、「国際性を身につけることについて」という講演をした。その時ふと彼はその在日韓国人…

「自伝及び中米内戦体験記」9月11日

「ある男の話」 ある男がいた。その男は社会科の教師であった。何事によらずいいかげんな男で、野球かサッカー部の顧問をしていたが、クラブは生徒に任せて生徒が帰る前にいつも帰ってしまった。そのために当直の先生が残った生徒の面倒を見ることを余儀無く…

「自伝及び中米内戦体験記」9月10日

新しい世界で 「職員会議というものも初体験だった」 9月。いつもの通り秋が来た。学校は運動会のシーズンだった。職員会議があった。あれよあれよと言ううちに職員会議で決まった事。 学校は1ヶ月の授業を丸々つぶして運動会の練習に当てると言う。小学校か…

「自伝及び中米内戦体験記」9月9日

「夏休み」 「 アメリカ旅行 」 アメリカ旅行などと言う題材で物を書いても、今はもう、新しく人に興味をそそらせる言葉を製造する事は難しい。それほどアメリカをうろつく日本人は増えていた。昭和46年8月、私は母のいるアメリカの姉のうちに行こうと、…

「自伝及び中米内戦体験記」9月8日

(ここに記述の固有名詞は、実名を控えております。「私の」体験記なので、虚構と思ってくださると幸いです。) 「小中高一貫校KM学園に私は教師として着任した。」 「高一の担任となる」 其の学校は東京の郊外の緑の中にあった。M財閥の一族の一人が趣味とし…

「自伝及び中米内戦体験記」9月7日

定職にこぎつけるまで (ここに記述の固有名詞は、実名を控えております。心当たりの読者の方、どうか、ご指摘をお控えくださいませ) 1)高校教師への道 修道院を出てから、私はとりあえず家庭教師をやって食いつなぐと言う、長年やってきた不安定な生活を…

「自伝及び中米内戦体験記」9月6日

「挫折への道標 1」 私は子供のときから行動する自分と、それを傍らで見つめる自分とを同時に抱えて暮らす習慣が在った。かつて、カラーマーゾフの兄弟を読んだ時に、次男のイワンの分裂状態をまるで自分の姿のように捉えて感動したものだ。 シスター佐富と…

「自伝及び中米内戦体験記」9月5日

「 仲間のシスターの強制退会 」 裾野で出会って意気投合し、東京に来た当初、同室だったシスター小山。私が修道生活を続けていく上で、対等で気の合う友としてその存在をだれよりも大切に思っていた彼女が或る日行方不明になり、一晩帰ってこなかった。 以…

「自伝及び中米内戦体験記」9月4日

「変革の波の中で 1」 私があの修道院に入会した昭和40年代、ヨハネス23世教皇が召集した公会議を受けて、教会も修道院も大改革の時代であり、非常に不安定であった。 私の大学4年の時に米大統領ケネデイが暗殺され、ジョンソン、ニクソンがベトナム戦…

「自伝及び中米内戦体験記」9月3日

修道院物語 1)「修道院入会の準備 」 昭和44年10月、1年間のスペイン旅行を終えて帰国した私は、その足で母校の修道院に挨拶に行って、修道院入会の志願を確認した。 住居を異動するわけだから、事務的にするべきことがいっぱいあった。健康チェック…

「自伝及び中米内戦体験記」9月2日  

「母とはこういうものなのか」 旅が終焉に近づいた頃、マドレからの世話でただで泊まった宿泊所で、マドレの封書を受け取った。封書の中に彼女は200ペセタを送ってきた。「世話になった人々にお礼に何かを買って行きなさい」という言葉が添えられていた。…

「自伝及び中米内戦体験記」9月1日

「自伝及び中米内戦体験記」9月1日 「スペイン人の日本人感」 周り残した北部のほうを旅しようと、私は7月の末、起点のマドリードに戻り、また怪しげな寮にとまった。安く済まそうとした結果だけど、おかげで、多くの人と出会い、新しい言葉も身につけるこ…