Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「この世で出会った動物たちの物語10」11月30日

「ちょっとペットを離れて自由な動物たち5」 「改めてハチクイの話」 私は36歳にしてエルサルバドル人と結婚して当地に行ったとき、現地で会った珍しい動植物に身も心も奪われていた。赤道近い国になんか住んだことも訪れたこともなかったから、当然そこに…

「この世で出会った動物たちの物語9」11月29日

「ちょっとペットを離れて自由な動物たち4」 実は、私はうっかりしてハチクイとハチドリを間違えていた。自分で書いてどうも変だなと思って、ふと思い出して、訂正。 「今日は蜂とハチドリの話」 私は現在田園地帯に住んでいるので、いろいろな小動物や、虫…

「この世で出会った動物たちの物語8」11月28日

「ちょっとペットを離れて自由な動物たち3」 今日は亀。 水の中の生き物が人になれるかどうか私は知らない。でも、カメは案外近くにいるので、親しい気持ちを私が持っている。飼ったこともあるし、日本の現在の家でも川が近いせいかよく見かける。散歩に出…

「この世で出会った動物たちの物語7」11月27日

「ちょっとペットを離れて自由な動物たち2」アルマジロ 日本には、アルマジロはあまり知られていない。私も日本で生活していたころ、アルマジロという動物の存在を知らなかった。 ところが、私がエルサルバドルで暮らし始めて、珍しい動物によくあったが、…

「この世で出会った動物たちの物語7」11月27日

「ちょっとペットを離れて自由な動物たち2」アルマジロ 日本には、アルマジロはあまり知られていない。私も日本で生活していたころ、アルマジロという動物の存在を知らなかった。 ところが、私がエルサルバドルで暮らし始めて、珍しい動物によくあったが、…

「この世で出会った動物たちの物語7」11月26日

「ちょっとペットを離れて自由な動物たち1」 私は子供の時から自由な動物たちを相手に暮らした関係で、一般の人が嫌う動物にも愛着がある。蛇でも蜥蜴でも蜘蛛でもOK。近くに住んでいると名前も付ける。相手も私に危害を加えない。。。と勝手に思う。ただし…

「この世で出会った動物たちの物語6」11月25日

「将門の子供誕生」 (お断り;実は今日pcの操作をしていて、パソコンが壊れ、過去の記録を失いました。ほとんどの写真が消えて、私の昔のネガがあるだけでどうすることもできないので、文章は思い出しながら描きますが、残念なことに面白い写真などはわずか…

「この世で出会った動物たちの物語5」11月24日

「鶏男に頼まれて」 昔、MSNやヤフーチャットがあったころ、鳥を通してチャット仲間ができた。つまり、日本中の鳥好きと知り合いになって、鳥チャットをしたために、面白い鳥に出会えた。 私が鶏男と呼んでいる人物は、腰痛で苦しんでいた私に自転車をくれた…

「この世で出会った動物たちの物語4」11月23日

「マックとロケ」 その終の棲家として買った現在の家は、田園地帯で農家が多かった。だからあっちでもこっちでも鶏の声が聞こえた。ちょっとうれしくなって、農家の鶏たちの様子を見たくて散歩がてら覗いてみた。そこにいたのが真っ黒な鶏。飼い主に聞いたら…

「この世で出会った動物たちの物語3」11月22日

「クジャクの子誕生」 チャボがいつもの通り、卵を抱いていた。その卵が手放したレイとレイナの卵だということを私は知っていた。チャボ以外の鳥は卵を産んでも、はじめから抱こうとせず、数がそろわないと、またはその気にならないと、抱き始めない。 ある…

「この世で出会った動物たちの物語2」11月21日  

「私にとっての動物」2 子育てマニアのチャボが育てた鳥たちは、鶏類では、縞々のプリマスロックとか、茶色のコーチンとか、真っ黒な烏骨鶏とか、アヒルとか、孔雀とかで、その中でクジャクは生まれてすぐ雛のくせに飛ぶので、途中から私が引き取って育てた…

「この世で出会った動物たちの物語」11月20日

「私にとっての動物」1 私が80年近く前に、東京都武蔵野市で生まれた時、自宅には猫とカラスと複数の鶏とその他いろいろの小鳥たちがいた。 日米開戦の直前だったから、自宅は当時、作ったころの優雅な面影はなくて、私の記憶している限り、掘りぬいてで…

「ばあさんの自転車奮闘記」11月19日

「骨粗鬆症と自転車」14 「蓮の池」 「手賀沼」と呼ばれる沼を私は6号線を走っていて我孫子に到着した時、偶然発見したので、「手賀沼」は我孫子市のものと認識していた。そこで「手賀沼」は「日本一汚れた沼」という噂を聞いたんだけど、当時知識がなか…

 「ばあさんの自転車奮闘記」11月18日

「骨粗鬆症と自転車」13 「カタクリを見に行く」 私が自転車を乗り回していることを知って、ある友人が、カタクリの群生地が案外近くにあるよと教えてくれた。カタクリって、案外知られていない花で、どこにでもあるものではない。それでいそいそと連れて…

「ばあさんの自転車奮闘記」11月17日

「骨粗鬆症と自転車」12 「利根川だあ!」 毎日毎日、サイクリングロードをただひたすらに走っていただけとはいえ、前方に大きな橋が広がっていて、その橋の名が「大利根橋」と書いてあったのを見た時は、さすがに、感動した。其時はまだ三輪車の飛馬号で…

「ばあさんの自転車奮闘記」11月16日

「骨粗鬆症と自転車」11 「ただひたすらに走った」 長距離を自転車で乗り回したければ、電動はあまり便利ではない。バッテリーが尽きたらもうアウトだし、替えのバッテリー持っていく方法もあるけど、すごく重いからね。それでもやっぱり、このばあさん、…

「ばあさんの自転車奮闘記」11月15日

「骨粗鬆症と自転車」10 「自転車の効用としか考えられない物語」 私は偶然にもらった「白鷺号」から始まって、今までに3羽の鳥と2頭の馬を飼っていた。1代目が白鷺、次のが隼、3番目は青鷺、隼は手放してしまい、青鷺では遠征が怖いので、どこでも走れ…

「ばあさんの自転車奮闘記」11月14日

「骨粗鬆症と自転車」9 人から聞いたサイクリングロードというのは、南流山の向こうにあるらしい。南流山というのは乗換駅としてしか行ったことがないTXの駅で、常磐線の新松戸に乗り換えるとき使うだけだった。その町にどんなものがあるかさえ知らなかった…

「ばあさんの自転車奮闘記」11月13日

「骨粗鬆症と自転車」8 6号線をしばらく休む 実は、毎日早朝6号線をどんどんまっすぐ下って行って、我孫子についたのでいい気になって、毎日毎日先に進むうち、とうとう「牛久」という標識のある所まで行った。 「牛久」かあ。いつも載っていた常磐線の先の…

「ばあさんの自転車奮闘記」11月12日

「骨粗鬆症と自転車」7 「隼号を手放す」 私は隼号の扱いにてこずっていた。何しろ飼い主の言うことを聞いてくれないどころか、飼い主の私を馬鹿にして、急突進したり、頑として動かなかったり、バンと倒れて、私をすっ飛ばし、横目で私を見ている。少し憎…

「ばあさんの自転車奮闘記」11月11日

「骨粗鬆症と自転車」6 前日のことだった。 久しぶりに松戸教会に行こうと思った。松戸教会というのは私の本来の所属教会。常磐線松戸駅にある。バス代だけ節約するために、北小金駅まで自転車で行こうとして、自転車を出すとき、その重みで自転車が傾いて…

「ばあさんの自転車奮闘記」11月10日

「骨粗鬆症と自転車」5 骨粗鬆症と自転車;隼号編1 骨粗鬆症のばあさんが、もともと乗れなかった自転車に乗れるようになって、なんだか、私はいい気になりすぎている。と自分で思った。 自転車で買い物ができるようになった。其れがよほどうれしいらしい。…

「ばあさんの自転車奮闘記」2020年11月9日

「骨粗鬆症と自転車」4 「教会探索」2 ある朝、テレビ体操が済んで、鶏に餌をやってから、その日はどうしても、豊四季教会を見つけようと思った。前日、よし君から電話があって、英語教室休むというので、朝は教室の下調べなんかしなくて済んだ。自由な時間…

「ばあさんの自転車奮闘記」2020年11月8日

「骨粗鬆症と自転車」3 「転倒を恐れて鉄兜を買った」 殆ど半年たっても、私は「白鷺」を乗りこなしたわけではなかった。いろいろなところに出かけて、ただがむしゃらにやっているだけで、よく転倒し、しかも転倒すると必ず頭を打った。 私はネット検索で、…

「ばあさんの自転車奮闘記」2020年11月7日

「骨粗鬆症と自転車」2 「隣町まで行けたぞ!」 この前、何とかして、自転車で郵便局まで往復したのが「自転車で用をたすことができた」初めてのことだった。で、少し、欲が出た。それから本土寺征服。 自宅個展を始める前に、隣町の画材屋に100号の仮額…

「ばあさんの自転車奮闘記」2020年11月6日

1)「骨粗鬆症闘病記と自転車」 「ある男の巣」 ネットの中でであったある男と友達になった。同じネットの中で別の若い美女とも友達なった。車を持っている女性である。 私の中南米旅行の準備に、色々手助けしてくれた男で、鶏を好み、鶏と共に生きているら…

「自伝及び中米内戦体験記」11月5日

「最後の日にばてた」 帰路、例の豪華な列車に再び乗った。クスコのホテルに戻るのだ。クスコのホテルには、どうせ戻ってくるというので、登山に不要なものはみんな置いてきた。 乗り合わせた相手は、母親と、7歳くらいの少年だった。特に観察していたわけ…

「自伝及び中米内戦体験記」11月5日

「最後の日にばてた」 帰路、例の豪華な列車に再び乗った。クスコのホテルに戻るのだ。クスコのホテルには、どうせ戻ってくるというので、登山に不要なものはみんな置いてきた。 乗り合わせた相手は、母親と、7歳くらいの少年だった。特に観察していたわけ…

「自伝及び中米内戦体験記」11月4日

旅も終盤 「駅周辺探訪」 夕方、私たちは、駅周辺の民芸品屋を歩いた。私は何度も言うけどかなりの方向音痴で、誰かと一緒に歩くと、頼ってしまって、余計音痴になる。何度来ても、同じところ歩いていることに気がつかないほど間抜けなのだ。特に民芸品街は…

「自伝及び中米内戦体験記」11月3日  

「登山電車」8月3日 マチュピチュ登山は、登山電車から始まった。例のごとく、朝、バスがホテルを回ってかき集めたメンバーが、一つのグループにまとめられ、ひとりのガイドがそのグループを迎える。電車の座席までが、同じグループのメンバーでまとめてと…