Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「自伝及び中米内戦体験記」10月31日

「ガラパゴス 二日目」 27日。夕べの船酔いに、くたくたになった仲間は、青い顔をして朝食に現れた。ベッドから落ちたもの、一睡も出来なかったもの、みんなの話題は船酔いの話ばかりだった。一方私は、すがすがしい目覚めだった。酔いもなく、閉所恐怖症…

「自伝及び中米内戦体験記」10月30日

いよいよ海賊船でガラパゴス 「海賊船に乗る」 26日、やっとガラパゴスに向けて、出発の運びとなった。朝、気分がかなり怪しかったけれども、もう、決められた観光スケジュールの中にいる。変更は効かない。朝食はホテルで薬湯をもらい、日本から持ってい…

「自伝及び中米内戦体験記」10月29日

いよいよ「新婚旅行」 「ガラパゴスに向けて出発」 7月24日早朝から土砂降りの雨。朝早いので、誰にも車を頼めず、タクシーを待った。やっとガラパゴスの旅が実現する。31年前のエノクとの約束。おそらく、目的が「タダの気楽な観光」という意味では、結…

「自伝及び中米内戦体験記」10月28日

30年前の約束遂行 「ガラパゴス紀行」序 「案外笑える旧約聖書的表現」 極めて旧約聖書的な言い方をすれば、私が仏教とキリスト教の合意点によって7の70倍の無明を悟った2006年12月、 「ヤーヴェは虎女(瑠璃子です)に再び、3ヶ月の仕事を命じ…

「自伝及び中米内戦体験記」10月27日

「仏教との出会い」(16) 「これは私の聖書なのだ」 その後私は、はからずもネットの中でであった「真宗男」との対話によって、仏教と出会った。仏教に出会うことによって、私は自分が生きていくための核であった信仰を、掘り下げる結果になった。 私は自…

「自伝及び中米内戦体験記」10月26日

「仏教との出会い」(13) 「無明の発見と原罪の意味」(5) 中村元の仏教入門を読み続けていたとき、ちょっと気になる物語に出会った。 その1 釈迦がある地方で迫害にあった話。例のごとく、別に釈迦の物語を正確に解説するつもりはないから、自分が気にな…

「自伝及び中米内戦体験記」10月25日

「仏教との出会い」(10) 「無明の発見と原罪の意味」(2) 例の真宗男と、仏教の話をしている間に、私はこの「原罪」の意味について論争を交わすことになった。原罪というものが、宗教や哲学や人間すべての存在にかかわる基本的な大問題であるはずなのに、蛇…

「自伝及び中米内戦体験記」10月24日

「仏教との出会い」(7) 「輪廻転生と終末観」 ある時、私は仏教のチャット部屋に入ったら、札幌男がメンバーを相手に、仏教の講釈をしていた。アングリマーラとかいう人物の話だった。彼はアングリマーラが特に好きらしくて、よく、話題にしているが、彼の…

「自伝及び中米内戦体験記」10月23日

「仏教との出会い」(4) 「象と盲人のたとえ」 「ヤーヴェ」と「法」は定義上同じものらしいと、この際論争中の真宗男と私の二人だけの合意で、話を進めるけれど、そもそも「法」とはなんなのだ、と私は真宗男にしつこく聞いた。 「法」と言う言葉の響きは、何…

「自伝及び中米内戦体験記」10月22日  

「仏教との出会い」1 「チャットの部屋にて」 私はある時ある物事にものすごく興味を持った。それで神経が猛烈にその物事に集中し、わからないから、その物事について知っている者の胸倉つかんで、教えろといい、図書館に飛び込んで、その物事にかかわる30…

「自伝及び中米内戦体験記」10月21日

「使命終了」3 「家族集合」 エノクは11月に、JICAの面接を受けたが、受からなかった。そのために、彼は暮正月を日本に残って、個展の手伝いをしてくれることになった。クリスマスは娘が孫を連れて帰ってくる。あの騒動以来、家族が始めて合流し、休暇を共…

「自伝及び中米内戦体験記」10月20日

「帰路、飛行中病気になる」 往路、私はヴェネズエラに行く便宜上、マイアミを通過した関係で、帰路もマイアミに戻って、日本に帰るという、かなり面倒な航路を取らなければならなかった。帰路はどこを経由しても、一泊しなければならない。マイアミ一泊は私…

「自伝及び中米内戦体験記」10月19日

「ロメロ大司教25回忌」(6) 「エルサルバドルにて」(3) 「これが現実」3月25日 この日は聖金曜。つまりキリストが十字架上でなくなった日だ。こんな日に、人口の90%が「建前上」カトリックの国で、店が開いているわけない。エノクも娘もこの国に生…

「自伝及び中米内戦体験記」10月18日

エルサルバドルへ 「ロメロ大司教25回忌」 1)「カラカス~パナマ経由~エルサルバドルへ」 3月24日 私はメリダのマドレと別れて、カラカスに戻った。戻ったといっても、行きは通過しただけだったから、カラカスの市内など何も知らない。今回は1泊するので、行…

「自伝及び中米内戦体験記」10月17日

「羽無し天使の物語」(25) 「施設見学」 2つの施設を見学した。一つは、他の修道会が仕事しているという、同じFe y Aregliaの建物だ。すばらしく広い施設で、例によって木彫だらけの聖堂と回廊を見せてもらった。明らかに「私の」マドレやその修道会のシス…

「自伝及び中米内戦体験記」10月16日

「羽無し天使の物語」(18) 「観光も一応しなきゃいけないらしい」 その日、19日、マドレは、人の住んでいるところとしてはラテンアメリカ中で一番の高地だという所に私を連れて行きたいと言い出した。乗用車を借りたのはそのためだったらしい。私は長…

「自伝及び中米内戦体験記」10月15日  

「羽無し天使の物語」(14) 「とうとう本当にきちまった」「機上から地上へ:メリダ」 下に見える景色は珍しかった。メリダは山脈の向こうにある。だから初めから寂しい寒村を想像していた。山はうねうねと広がり、そのところどころに、全く同じオレンジ…

「自伝及び中米内戦体験記」10月14日

「羽無し天使の物語」(9) 「そうだ、ヴェネズエラへ行こう!」 2004年の暮れから正月、私は寂しかった。ただ、ものすごく寂しかった。ひたすらに狂おしく、寂しかった。 暮れ正月と言う時期、誰にとっても年に一度の家族の集まる期間だという考えがあ…

「自伝及び中米内戦体験記」10月13日

「羽なし天使の物語」(1) 「ネットの中の音楽男」 一人になった。かつて娘を送り出し、今夫を送り出した成田空港からの帰路、自分はまったく一人になったことを感じた。 孫の父親からメールを受けた12月からの9ヶ月、一滴も流したことのない涙があふれ…

「自伝及び中米内戦体験記」10月12日

「続家族離散」(5) 「人生のどんでん返し」(4) そうか・・・。と私はマルタのメールを読んで考えた。決定的な答えだった。例の女性の子供3人のうち2人は、認知しようがしなかろうが、夫の子供かもしれない状況の下に生まれ生きている。3人の子供は少な…

「自伝及び中米内戦体験記」10月11日

「人生のどんでんがえし」(1) エノクは娘の出産と大学編入を見届けて、その年の11月末、日本に帰ってきた。心を砕き、出来る力を結集して、溺愛してきた一人娘の道が開けるように、奔走してきた彼に、私は心から労をねぎらった。彼は生まれた孫を抱き、…

「自伝及び中米内戦体験記」10月10日」  

「グアテマラ漫遊記」最終回 「帰路につく」 11月7日、私たちは再び小船でアテイトラン湖を渡って、チチカステナンゴの村に行くことになった。湖の回りは日本みたいに土産物屋やホテルだらけという状態ではないから美しい。グアテマラの国旗のデザインに…

「自伝及び中米内戦体験記」10月9日

「国宝級のばあさん」 行きに泊まったパナハッチェルのホテルには、戻ることを見越して、余計な荷物は預けてあった。方向音痴の私はまったくこのホテルが同じだという記憶がない。ぼおっとしていたけど、預けた荷物を見て、その荷物から関連していろいろなこ…

「自伝及び中米内戦体験記」10月8日  

「虐殺のモニュメント」 実は私はその午後、何を見せられるのか余りよく理解していなかった。山の上の遺跡に行くという説明だったので、グアテマラの古代の遺跡群のひとつだろうと思っていた。民宿のうちの中学生の少年に案内されて、競馬でにぎわうとおりの…

「自伝及び中米内戦体験記」10月7日

「グアテマラ漫遊記」(8) 「ウエウエテナンゴのホテルへ」 10月30日、私たち一行はアンテイグアを後にして、ウエウエテナンゴ県に向かった。この県の中にトドス サントスという村がある。其村に祭りがあって、民族衣装華やかな競馬が見られるという。…

「自伝及び中米内戦体験記」10月6日

実生活からちょっと逃れて 「グアテマラ漫遊記」(1) 「つめきりテロ」 2002年10月27日、私は成田に向かった。見送り人はおろか、知り合いがこの旅行をまったく知りもしない海外旅行というのははじめてである。娘が最初の地点であるヒューストン空…

「自伝及び中米内戦体験記」10月5日

「2002年という年」2 911テロの後の情勢は、アメリカの一般の学生のみならず、留学生の外国人にも、影響を及ぼしていた。エルサルバドルの内戦体験から学んだ私は、通信の危険性を感じて、アメリカにいる娘には、戦争に関するどんな考えも伝えず、どんな…

「自伝及び中米内戦体験記」10月4日

「9・11テロ」 疑問 自分の語り部画家の使命は終わったと考えていた9月、テレビはいっせいにニューヨークのテロの事件を報道した。何度も何度も繰り返されるその実況報道の映像を見ていた私は、ふと、妙なことに気がついた。「偶然の事件」の「実況放送」…

「自伝及び中米内戦体験記」10月3日

「家族離散」(3) 「初めての個展」(1) さて。一人になった。エルサルバドルの大震災のニュースはその後おいおい知らされてきて、首都は壊滅状態で、エノクの家族も被災し、首都を離れた親戚の元に身を寄せていることがわかった。弟の一家が義父の面倒…

「自伝及び中米内戦体験記」10月2日

「2001年という年」1 内戦絵画に一段落したと思った後、私は平和な絵を描き始めた。2000年の9月は、二科会の東京本展に「花を売る少女」を、千葉県美術展に「ツツヒル族の老女」を出した。ともに、私が愛してやまないグアテマラの美しい手織り布の…