Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」10月29日

いよいよ「新婚旅行」

「ガラパゴスに向けて出発」

 

7月24日早朝から土砂降りの雨。朝早いので、誰にも車を頼めず、タクシーを待った。やっとガラパゴスの旅が実現する。31年前のエノクとの約束。おそらく、目的が「タダの気楽な観光」という意味では、結婚以来初めての二人だけの旅行だった。我々の旅はいつも、学会のついでの旅行だの、難民申請旅行だの、逃避行だの、目的が異常だったから。結婚31年目の新婚旅行とあって、出発は土砂降りの雨だったけれど、感慨がこみ上げて、何だかひどく嬉しかった。

 

雨の中をやってきたタクシーの運転手もタクシーも、超おんぼろだった。運ちゃんは何だか酔っ払っているみたいで、運転が乱暴だったが、この国のタクシーの運ちゃんはこんなもんだろう。おんぼろタクシーのガラスは割れているし、その割れた窓から暴風雨が入ってくるし、車は躍るようにびょんびょん走る。ここは確かにラテンアメリカなんだ、という感を新たにして、案外小気味よい。こんなめちゃくちゃなの、日本にないもんね。

 

日本の間組が作ったエルサルバドル空港は、現代的で綺麗だ。出発までに時間があるので、いろいろ見て回った。市内では売っていない、出来のいいみやげ物が目に付いた。ネックレスを見て、エノクが買ってくれるという。そんなことも、長いことなかった。結局其時は買いはしなかったけれども、嬉しかった。

 

TACAの機内食はおいしかった。コンチネンタルの機内食は世にもまれなほどまずかったのを思い出し、中米の方がアメリカより客扱いがいいのか、または、アメリカの食生活というかアメリカ人のベロって、よほど異常なんだ、といまさらながら思った。

 

途中、コスタリカで乗り換えたけれど、コスタリカの空港って、文明国とは思えないほどださい。町に近いところに、ずずずーーんと降りて、タラップを何とかよろけながら降りて、待合室みたいなところまで歩いていった。外を見ると、搭乗客の荷物を、機械に任せず人間が、えっちらおっちら担いでくるのが見える。ベルトコンベヤーもないんだ。なんだか、それがほほえましかった。

 

キトーについた。エクワドルの首都。そのキトーをこちらの人は「キット」と発音する。初め、何を言っているのかわからなかった。まあ、日本語風の発音が正しいとは限らラない。旅行社の迎えの人がいるはずだ。きょろきょろ探したら、エノクの名前を書いた看板を持った人が現れた。いよいよ、観光旅行の輪の中にはいったのだ。その男がホテルまで、車で我々を案内する。

 

埃っぽい街だ。案内の男は町の説明をする。べらべらべらべらテープを回したように、言葉がよどみなく自然に出てくる。世界中の観光ガイドの定番だ。感情も何もなく、言葉が順序どおりに機械の様にほとばしる。その感情のない話し方に、数分で飽きた私は、質問をはさもうと試みた。ガイドは質問なんか許さない。初めから止まるべきところとなっているところまで話を続けないと、言葉がとまらないようになっている。

 

私が見えた景色について質問しようと思った場所がとうに過ぎてしまった頃、「奥さん、質問はなんだったか」と男が聞いた。何だか覚えているわけないだろ。始めてきた国の初めての町で、ちょっと目にはいり、気になったものを聞きたかっただけだ。見せるべきものを見せ、説明するべきものを説明するための、定番の自動テープを流しているみたいな話の中に、入り込む余地がない。もっと人間らしいガイドがいないかな、と考えていたところだった。

 

「いいよ、別に。もう聞きたかったところは過ぎてしまった」といったら、「我々は友人として接するので、いつでも言いたいことは言ってくれ(うそつけ!)」と、これまた、定番の挨拶をする。

 

ホテルに着いた。ホテル・エンバシーという。名前は立派だけど、案内された4階の部屋まで行くのに、エレベーターもない。古びた階段を手すりに伝って歩く。実は「キット」はかなりの高地だ。一歩登るごとに、わずかなめまいを感じる。2年前、ヴェネズエラの高地に行ったときに感じたような、息切れがする。それを思い出して、ああ、ここは高地なんだな、と思った。

 

とりあえず、夕食を食べに外に出た。町は寂れて見えた。ラテンアメリカの町は喧騒に渦巻いているか、寂れているかどちらかだ。ここは南米だけれど、他のラテンアメリカ諸国と変わらないなあという印象を持った。一緒に歩いているエノクは、目的物を見つけるのが下手だ。日本でもレストランを探して歩いて、結局駅まで戻って、ラーメンを食べることに落ち着くということになるのを知っていたので、期待しなかった。ましてや、二人にとって、初めての街だ。どうせ、駅前のラーメンで終わるんだから、気にしなくていいよ、と、釘を差した。

 

中南米料理があるらしいレストランがあった。あそこにはいろう、と私が言ったのに、もっといろいろ探そうとエノクが言う。構えの立派なレストランだった。ところで、例のとおり、歩いていくうちに道に迷い、あの立派そうなレストランがどこにあったか分からなくなった。しかたない。あてずっぽうに、セビチェと書かれている小さなレストランに入った。ビールとセビチェを注文し、やっと座った。セビチェが本場の国だけど、正式の作り方でなくて、簡易な現代的なやり方で作ったものだった。セビチェなら私のほうがうまいわ。。。

 

近くの席に、顔立ちの日本人みたいな親父さんがいた。エノクが、こんにちわ、といったら、こんにちわと答えたが、どうも、日本育ちの日本人の言葉ではなかった。すぐにやってきて、いろいろ話を始めるところも、かなり日本人の態度とは違う。エノクが、日本語で、いろいろとキトーの様子を聞き、彼もいろいろと教えてくれた。どうも彼も旅行者らしい。もしかしたらブラジル人かな、とにかく日系だ、と思った。

 

ホテルの部屋はあまり上等ではなくて、シャワーも水が冷たかった。しかし、長旅に疲れて、ホテルの品定めなんかしている余裕もなく、正体もなく、寝た。

 

このツアーは殆んど旅行社任せで、私としてはガラパゴス島めぐりで充分だったのだが、すべて旅行社のあつらえたスケジュールどおりになっていた。私は事前に渡されたスケジュールを確かめもせず、ガラパゴスとマチュピチに、充分時間をかけられるものと決めていたが、実際はそうではなかった。キトーに2日間も泊まり、キトー観光をしなければならず、それも、昨日空港でであった、立て板に水のごとく喋り捲るガイドに連れられて、彼らのお膳立てに乗って、観光を始めたのであった。

 

次の日は、エクアドルが国家を上げて観光客に見せたがっている観光地、「地球の中心」というところと、オタバロというみやげ物市に連れて行かれることになっている。その日の朝食はホテルで出るので、ちょっと楽しみだった。どんなものが食べられるだろう。でも、出された朝食の順序に戸惑った。まず、パイナップルとスイカとパパイアが出てきた。おいしい。それからオレンジジュースがでてきた。それからパンが出て、コーヒーが出た。ここのホテルは、朝食はこういうものだけなのかと納得した。まあ、健康食だな。

 

そう思っていた時、しばらくしたら、「卵はどうしますか」とボーイが聞きに来た。え、これから卵が出るの?ここは南半球だから食事の順序も逆なのか・・・しかも、卵は二つもあって、ハムがどっさり付いてきた。うへ・・・。習慣から、果物を最後に食べたかった。ところで、この順序は、このホテルだけでなくて、旅の間中、どこのホテルでも同じだった。

 

エクアドルという国名は「赤道」という意味だ。観光名所としてはどうしても、これを主張したいだろう。どこが実際に「中心」かということは分かるわけではないが、観光の呼び物に、「地球のへそ」とか、地球の中心とかの記念碑を立てて、博物館などを作っている。で、観光客は旅行社任せにすると、自動的に、こういう観光名所を訪問しなければならなくなる。

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「地球のへそ」↑

 

事前に自分でお膳立てをしなかったのだから任せる以外にない。ガイドは車を運転して、私たちを決められた場所に連れて行きながら、前方に見える山々の説明、町の中心街の都会ならどこにでもある、どうでもいい官庁舎等の説明、エクワドルの歴史、とりわけ植民地解放の歴史を年代を交えて、説明し続ける。大体のことは、昔読んだ本からの知識が残っているから、知っている。いい加減に聞き流した。

 

今回の旅行は、ガラパゴスの自然、人間の歴史に関係のない大自然の亀たちを夢見てきた。だからいつもは興味あることも、今の私にはあまり興味がない。それに中米にいた時から、観光客相手のみやげ物はなじみが深い。民族も国も違うかもしれないが、色彩感覚も、顔も似ている。どうせ同じところでみやげ物を作り(ひょっとして中国かも)、国の名前だけ替えて市場に出すんだろう。あまり予定していなかった観光に興ざめしながらも我慢して、付いていった。

 

ところで、夕べ食べたセビチェの所為か、順が逆な朝食の所為か、お腹が怪しい動きをはじめた。オタバロに行く途中の地球の真ん中という記念碑があるところで、ガイドは車を止めた。地球をかたどった、真っ黒な球が立っているが、何だか辺りは寂れている。新しい政府提唱の「地球のへそ」なる観光用の建物が出来てから、この本来のへそは寂れてしまったらしい。

 

ガイドが私たちに写真を撮らせようと思って、車を止めたとき、遠くに、土産物屋が見えた。ガイドが連れて行きたがっている目的地ではない。私は記念碑の写真を撮らないで、土産物屋に入っていった。2,3面白いと思ったものを買い込み、私はトイレに逃げ込んだ。怪しい体調が始まり、ちょっと行く先不安になった。

 

オタバロの市場は、やはり中米の市場と変わらず、民芸品とか、定番のみやげ物がうずたかく積まれていた。面白いことは面白いけれど、みやげ物として作られたものより土器などの掘り出し物をみつけたいと思った。面白い装飾を施した杖を見つけた。マチュピチュ登山のため、それを買った。

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そのかっこいい杖↑

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ちょっと面白い笛を買った

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エクアドルの壺↑
 

昼食のレストランも指定されている。ビールと、アボカドにえびとかいろいろな野菜を盛りつけたサラダを注文した。なかなかうまかった。珍しいことは全部した。ちょっと浮かれすぎていたかもしれない。あとで、手ひどい病気になったんだけど。

 

とにかく、せっかく珍しい国に来て、どこにいってもある「当たり前」の食事をするのが嫌だったという理由で、私は変なメニューを選んだのだった。