Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」8月30日

スペイン漫遊記(2)

 

1)「サラマンカの旅」

 

朝一人で散歩をしていたら、しゃらんしゃらんと首の鈴の音がして、羊の群れに出くわした。羊に似た爺さんがおはようと挨拶する。犬が3匹人の匂いをかぎながらついてくる。

 

子羊がたくさんいてかわいいので私も群れの中に入ってみた。親の乳をしきりに飲んでいるのも、子供ばかりで飛び跳ねてじゃれているのもいる。首につけた大きな鈴がそのたびにしゃらしゃらなる。皆やせている。悪天候続きだったから外に出さなかったのかもしれない。茶色のも黒のもいる。大きいのが一頭、私のそばに来て生意気な目つきをして見上げる。

 

しかし羊って皆仲間の行く方向に絶えず動いている。勝手に群れを離れることは無い。日本人は羊の群れのようだと、自分の意見を持たず、長いものに巻かれる主義の日本の大衆について、ある外人記者が表現していたのを思い出す。

 

爺さんは背が低くて目は青い。青い目は背が高いという日本人の常識は間違っている。話し好きらしい。外国人の私が言葉がわかると思ったら、べらべら話し出した。何も聞いてないのに、自慢げに息子のことを話す。息子二人はフランスにいて、もう一人はマドリードにいるそうだ。自分はここのものではなくて、サラマンカと言うところの出身だと言っていた。爺さんがサラマンカと言ったとき、其の目はちょっと誇らしげだった。

 

その表情を見逃さず、サラマンカは良いところかと聞いたら、爺さんは嬉しそうに胸を張って、「サラマンカは世界の文化の中心だ」と答えた。

 

そうか、じゃあ行って見よう。其の世界の文化の中心に。

 

というわけで、3月のある土日を利用して、其の「世界の文化の中心」を見に行った。コリアの村の散歩でであった爺さんの言葉以外何も予備知識は無かった。カセレスに出てから地図と観光案内を買う。

 

サラマンカはすばらしい町だった。スペインは800年間サラセン帝国の支配を受けたそうだが、そこはサラセン文化の中心地とも言うべき大学町であった。だとすれば、世界の科学の先端を行っていた当時のサラセン文化、つまり世界文化の中心は、本当にここにあったと言っても良いかもしれない。サラセンと言ったら今の中東、欧米が争って、壊滅に導こうとしている民族が、世界の文化の中心を担ったということだわ。白いのって、優秀でも、文化があってもなくても、なんでもいいから色違いの存在は許さないんだね。

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サラマンカ大学:世界最古の「大学」らしい

 

建物が珍しい。貝の家という名の四角の建物は何に使われた家か知らないけれど、建物の外側の壁面一帯に貝の彫刻が並んでいる。

 

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壁一面にぼこぼこ丸いのは、「貝」。すごくおもしろかった。

 

クラベロの塔。がっしりとした構えの塔である。ローマ時代の強固な建築とサラセン時代の優雅なアーチが渾然一体となって町を埋め尽くしている。修道院の回廊も連立する柱に古さと趣があり中庭が美しい。

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スペイン人はサラセン帝国と800年戦って、ついに撃退したと言って自分の民族をほこりにしているけれど、800年も戦うなんて、スペイン人は長生きする民族だね。

 

とはいっても、其の800年はイスラムの支配を受けていたわけで、其の文化遺産のおかげで、今観光資源に事欠かないスペインがあるのだ。

 

彼ら、サラセンとは絶対に混血していないと言い張っているけど、顔を見ているとドイツやフランスの白人の顔とは明らかに違うし、スペインほど世界中を荒らしまわって其のDNAを撒き散らした民族もいないんだけどなあ。800年も混血しないわけないじゃん。

 

ははは。と、まあ、いろんなことを考えた。

 

この短い旅では確か、プラセンシアという所にも寄って、そこの祭りを見て、民族衣装に惚れ惚れした思い出が在るけれど、撮影も写生もしなかったと見えて、記録に残っていない。

 

たった一つそれを物語るものは、私がカセレスで母のために買った人形の衣装だ。プラセンシアの祭りで、私は確かに、あの衣装を着た女性たちの群れを見て感動したのだった。

 

サラマンカの旅は短かったが、とにかくあの羊飼いの爺さんの誇りは意味あることだったと思って満足した。

 

2)「セマナ サンタ」

 

セマナ サンタとは、キリストの受難と死去と復活を黙想する1週間である。宗派によっていろいろ呼び名があるらしいけれどカトリックでは聖週間、つまり、このスペイン語の直訳のとおりで呼んでいる。セビリアのこのセマナ サンタの行事は多分観光名物にもなっていて、セビリアに最も人が集まるときである。

 

私が子供のときから家族ぐるみ行っていたカトリックの教会は、ドイツ系だったから、この聖週間と言うものは真に迫って暗く、本当にキリストの受難を黙想するための悲しい1週間だったが、スペインではそれはそれは大騒ぎする観光の呼び物だと言うことに私はまず驚いた。で、私も野次馬の日本人観光客として、このセマナサンタの行事を見に、セビリアに行った。

 

行事は行列が主体である。行列は夕方から明け方まで続く。キリストの受難の光景をかたどったほとんど等身大の像が神輿に乗って通りをねり歩く。其の後ろに続くのは、ナサレーノスと呼ばれる白装束の目だしとんがり頭巾をかぶった苦行者の列、かなり気味の悪い装束で、多分、これがアメリカの白人至上主義者集団KKKのモデルになった装束だ。

 

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其の後ろには、どうも、務めてみすぼらしい服装にしたとしか思われない、しかも裸足で、人によっては其の足に鎖を巻きつけ、自分の体に鞭打ちながら嘆き悲しんでいる苦行者の列。

 

本当のことを言うと「あっけにとられる光景」だ。何も苦行者が苦行を見せるために人前で「行列」して観光行事に加わることないだろ?

 

それから美々しく飾ったマリア様が神輿にのって現れる。蹄を金銀に塗った馬にまたがった兵士や軍楽隊が鳴り物入りで連なる。マリア様は王冠も衣装もピカピカしている。マリア様の金ずくめの衣装の中に、小さい顔が何だか悲しそうに見えるが、其の顔は明らかにスペイン人の顔だ。

 

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実はこれは、マドレサンタルシシオの実名の由来となった「モンテマジョールのマリア」さま。スペインは何しろ八百万のマリア様の生産国です。
 

其のマリア様に対して、感極まって賛歌をささげている男がいる。どうして、きんぴかの像に対して、感極まることができるんだろうね。その歌をささげる男の表情に、ただただ面食らう・・・

 

厩で赤ん坊を産んだマリア様も、スペイン人には女神にされちゃって、きんきらきんの豪華絢爛たる衣装を身に付け、神輿に担がれてしまうのか。

 

なんだか、私にはそのことのほうが悲しいぞ。

 

スペインには八百万(やおよろず)のマリア様がいる。(ただし教会では,マリア様は一人だと教えてはいる。)各市町村にそれぞれ霊験あらかたな守護神としてマリア様が名前を変えて祭られている。

 

多分、あれはキリスト教の布教をした初代の宣教師たちが、原住民から「蛮族」の神々を取り上げた際に、その神々に、マリアの名前を付けて豪華な衣装を着けて返したのだろう。彼らはマリアの名前で自分たちの祖先神を崇めることを赦されて、多分心を込めて、手元に戻った「マリア観音」を拝礼したのだろう。

 

そうとでも考えないと、この膨大なマリア群の存在は、あまりに本来のキリスト教からかけ離れている。

 

セビリアの守護神はマカレーナと言うマリア様である。ものすごく人気のあるマリア様で、一年に一度この時期にお出ましになると言う其のマカレーナを見に、スペイン中から人々が集まると聞いて、私は野次馬根性で明け方まで行列を待った。

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ところがあいにくの雨で、マカレーナはお出ましにならず、4人の痴漢に追い掛け回されて、ほうほうの体で私はアントニオの家に駆け込んだのが朝の4時だった。

 

キリストの棺をローマ兵が担ぐ行列なんか、聖書の内容からはまるで矛盾していたけれど、兵隊たちはスマートでラッパも太鼓もうまかったから、私はこの観光に満足し、次の日、カテドラルまで、雨で引き出されなかったマカレーナを見に行った。

 

マカレーナは金糸銀糸の屋根に覆われた神輿の中で5万のろうそくに囲まれていた。衣装もうんざりするほどぴかぴかしてあらゆる宝石がちりばめられている。一所懸命探さないと、顔がどこにあるかも分からない。

 

多分大航海時代の世界中の分捕り品の宝石がここに集まっているのだろう。かなり変な気分でそのマリアさまを眺める。

 

まばゆい後光と冠の所為で顔ははじめどこにあるのかわからなかったが、やっと見つけた小さな顔は、やっぱり悲しいエルグレコの描くスペイン人の風貌をしていた。セビリアの人は、このマカレーナを限りない誇りと愛情を込めて心のよりどころにしているらしい。

 

神輿ごと収められたカテドラルの中でも、この像に向かって感極まって歌をささげる男がいた。

 

後に色々旅をしたが、こういう像に向かって、一人の男が熱狂的な愛の歌をささげる習慣は、スペイン以外では出会ったことがない。スペイン人にとって、マリアというより、「マリア像崇敬」の情は、私にはまるでわけわからないが、多分其の民族性の一番奥深いところにあるなにかなのだろう。

 

ただ、ちょっと付け加えておくと、私の学生時代の友人が、スペイン観光をして、このマリア群に驚いて、カトリックに疑いを持った挙句、仏教に変更してしまったという話を聞いた。で、彼女、患って他界した知らせを聞いて葬儀に出たら、仏教式の葬儀だったので、感無量だった。私的には、葬儀なんて何式だっていいけれど、あのマリア礼拝集団をカトリックの正道と考えたら、まあ、うんざりするのもわかる。 

 

3)「エルグレコ 」

 

アーモンドの花の咲く春の初め、私はトレドを訪れた。汽車でセビリアから来たのだけれど、ついたとたんに見とれてしまったのが駅其のものである。モザイクの壁、ステンドグラスの窓、駅と言うより教会か小さなお城みたいで美しい。さすが美術の町の駅だけある。しかも、城壁に囲まれた町全体が、中世と言う感じがする

 

古く趣のある町なのだ。そしてここはエルグレコの町でもある。スペインが生んだ大画家だけれど、私はこのときまで、彼の名前を知らなかった。人に促されてここに来て、其の時はじめて私はエルグレコの美術に触れたのである。

 

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彼の描く人物は20頭身ぐらいあるかと思われるデフォルメで、壁画とはいえ、天井のほうまで人物がそびえている。オスピタル デ タヴェラにある「キリストの洗礼」なんて見事であるが、見ている自分がひどく小さく感じるようにできている。

 

サンタクルス美術館の「マリアの被昇天」は、全体の色調が青く、黒い影が効いて、まことに荘重である。ラファエルにあるような優美さとかやさしさは無い。この絵はオルガンの音がよくあうだろう。モデルを使って対象を描写したので無く、多分自分の心のうちの信仰を表現したのだろう。見ていると祈る心を喚起する、そんな絵である。

 

同じ美術館にある「聖家族」はあまり好まない。マリアが幼子キリストに授乳しているけれど、人間味が無い。幼子イエズスは赤ん坊の癖に大人の顔だ。赤ん坊にしてすでに「救世主」になっている。エルグレコの信仰のあり方なんだろうなあと思いながら、乳首に噛み付いているかのごとき赤ん坊を眺めた。

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聖人を描いた絵のほうはなかなか真実味があってよかった。「聖ペトロの涙」、目と口の表情が良い。一日、私は絵画の世界に遊んだ。

 

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ところでこの絵、何?

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美術館で出会った人からうわさを聞いて、私はついでに公爵の城とか言うものを訪れた。トレドの街の外れの小さな城、「グアダムル」は、背の低い白壁の家々の中にひときわ高くそびえている。途中の景色は砂漠のようで、緑が無くてさびしかったから、羊の群れの向こうにこの城を発見した時は、一人で歓声を上げたほどうれしかった。

 

でも、バスの便が悪くてあまりゆっくり見ていられず、観光客もあまりいないので、帰路を急いでいたら、途中気のよさそうなおじさんがバス停まで車に乗せてくれたので助かった。 

 

バスを捕まえて乗ったら、行きに乗った時いろいろと教えてくれた車掌がいて、私を見つけて親しげに寄ってきた。

 

酒気を帯びていてしゃべるわしゃべるわ、お国自慢をした挙句、何とかして私にスペインのほうが日本よりよい国だといわせようとするので閉口した。のらりくらりといい加減なことを言ってあしらっていたのだが、最後にとうとう、「おじさん、そんなに言うなら確かめに日本に来たらどうだ?」と言ってみた。

 

そうしたら可愛そうに彼は急にしょぼくれて、「金が無いんだ」と言ってそれから口をつぐんでしまった。しかし久しぶりに見知らぬ人とおしゃべりしたのは楽しかった。一人旅のよさである。

 

4)「フェリア、闘牛」

 

芸術的にまとまった中世の街、トレドをちょっと心残りな気持ちで後にして、私は再びセビリアに戻った。セビリアはフェリアと呼ばれる春の祭りの真っ最中だった。スペイン人形としてどこでも知られている派手な衣装の踊子は、このフェリアの衣装である。

 

祭りは盛況。子供も大人もフリルだらけの衣装に身を包んで春を楽しんでいる。晴れ着の色、色、色。色の祭典だ。馬がカッパカッパと走る。物売りが叫ぶ。盆踊りの櫓みたいなところで晴れ着の娘たちが踊る。其の熱狂。幕屋が並んでいるが、個人の旅行者が休むところは無い。太陽が燃えている。空は青い。其の青さの強烈なこと!表現不可能。

 

闘牛を見た。牛の人生と葬儀を歌い上げたように感じた。悲しみを美化しているつもりなのかな・・・。はじめ牛の血を見たときは、ちょっとズキッとした。慣れてくると、牛がもっと暴れ、闘牛士が派手に芸当を見せてくれるのを期待するゆとりも出てきた。馬も牛も人間も血の色までも美しく思われてくる。

 

こんなにきざに、こんなに派手に、動物の命を絶つ事を「儀式」にしてしまう、スポーツにし、果ては観光名物にしてしまう、もしかしたら、これは、古代の「生贄」の宗教儀礼の変形なのかもしれない。私も宗教の名にかくれてトサツの精神を持っている人間の子なのだ。何か、生贄としての神の子キリストの受難に通じるような、複雑な気分であった。

 

東洋人は、とか、西洋人は、とかいって批判したいが、やめておこう。

 

 

5)「ヒラルダの塔での武勇伝」

 

旅は折り返し地点にあり、私はもうセビリアに戻らないかもしれない。セビリアは、セマナサンタとフェリアを楽しんだが、マドレのお兄さんの家に滞在したということだけで、実は市内の観光をしていなかった。これこれを見たけれど、旅の見納めに、まだ見ておきたいが、見残したところはないかと、アントニオに聞いたら、ヒラルダの塔は見たかと聞く。いや、まだ見ていない。

 

私はそこで、ヒラルダの塔を見にいった。塔は、今でこそ、観光名物として、雑誌などにも載っているセビリアの名所だが、当時はよほどのマニアにしか知られていなかった。外見の灰色がかって、たいして「美しい」とはいえない古い建物だった。

 

中は螺旋階段になっていて、登るとところどころ途中の踊り場状のところに窓がある。窓といってもガラス窓ではなくて、分厚い石組みの砲弾用の穴のようだ。外からは黒い四角の切込みにしか見えない。

 

私はずっと上まで続いた螺旋階段に登り疲れて、中休みに、その穴を覗いて外の景色を楽しんだ。それは、やっぱり「旅情」を楽しむにはうってつけの景色だった。

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ヒラルダの塔

 

その時、後ろに人の気配がしたのだが、振り返る前に、私は若い男の吐息を感じ、腕の中に抱き込まれた。あわや、新たな痴漢か!もがこうとしたら、男は私の首の辺りにキスをした。このやろう!私は猛然と振り向きざまに、男の顔に向かってアッパーカットをくらわせた。アッパーカットは完全に命中し、男はわけのわからないことを叫びながら、螺旋階段をぐるぐるぐるぐる墜落していった。

 

ぎょ!まさか死んでしまったのではあるまいな!

 

私は蒼白になり、螺旋階段を駆け上がったら、屋上があって、割と広い空間があり、其処には、観光客の一団が、ガイドの話を聞きながら、展望を楽しんでいた。私はその一団の中に潜り込み、観光客の仲間のふりをして、彼らと一緒に螺旋階段を下りてから、さっきの男が死んで転がったりしてはいないかと辺りを見回したのだったが、なにもなかった。ほっ!

 

アッパーカットの当たりが、あまりにも生々しく、手ごたえがあったので、内心心配していたのだ。

 

余談だが、後に私は、日本に帰ってから教職につき、授業中にこういう雑談を生徒に聞かせたことがある。生徒は大いに楽しんでくれたが、その時、ある生徒が言うのである。「先生の話って、武勇伝が多いね。もっと、負けちゃったというような話はないの?」

 

で、私はその生徒にこう答えた。「高校生を相手に教壇の上から、負けちゃった話なんかするはずがないでしょ。あったとしても、教壇上からはしませんよ。」

 

で、その生徒はあるとき、私の家までやってきて言ったのだ。「教壇じゃないから、いいでしょ。負けちゃった話聞かせてよ。」^^。

 

6)「マジョルカ島への旅」

 

4月22日、地中海の島、マジョルカ島を訪れた。島の真中に円形の城、ベルベル城がある。ベルベルとは多分この島の原住民の名だろう。真っ黒に日焼けした爺さんが、バグパイプを奏でてくれた。かなりの感動。マジョルキンと呼ばれる方言,またはこの島の原語。ぐちゃぐちゃした発音で、スペイン語とは異なるため、何言っているかわからない。おまけにガイドの英語もスペイン語もちょっとおかしい。スペイン人の旅行者さえ何だかわからないという。でも観光には言葉が何もわからなくても十分楽しめる島だった。

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やっぱり私はロバが好き

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鍾乳洞はどこでもこんな感じです。

 

この島が浮かぶ地中海の海の美しさは筆舌に尽くしがたい。ガラスのように澄んだ海の底に魚が群れをなして泳いでいる。まったく汚染の見られない其の透明度。遠くには穏やかで鮮やかな紫色の海。

 

昔読んだオデッセイの中の地中海の海の表現が、「purple sea」だったのをおもいだす。へえ、本当に紫なんだ。船で海の中の鍾乳洞まで行って中を見学した。鍾乳洞の中に湖があり、そこで聞いた不思議な音楽、こう言う演出はちょっともったいぶり過ぎているなあと思ったが、楽しめた。

 

最後に夜景を楽しもうとバスガイドに別料金で案内を頼んだら、それが迎えに来たのは自家用車で一人だけ。ちょっと首をかしげながら、大胆に名前を確かめてついて行った。

 

しかし、案の定、彼の行動が怪しいと感じた私は、隙を見て車を降り、取っ組み合いの末、振り切ってホテルに戻った。ガブリエルと言う男。完全な悪人でもないらしく、次の朝、私が落とした帽子をホテルに届けに来た。これで痴漢は何人目かな。この旅行記、「痴漢体験記」の名で改定してもいいかも^^。

 

しかし小さな島なので、どこからでも眺められるベルベル城の夜景はすばらしかった。

 

バレンシアに渡り、博物館を見学。古今東西のあらゆる物を集めた宮殿が博物館になっている。それを堪能し、コリアに帰ったのが4月の末日だった。マジョルカのガブチャンは今ごろ、別の女に言い寄っているだろうななんて思いながら、もう故郷のように感じられるコリアの村を、アラゴン川の橋を渡って望見したときはうれしかった。