Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「自伝及び中米内戦体験記」7月31日

「ゲリラ大攻勢」 1982年、私たちはエスカロンという名の町の大きな家にいた。娘の2歳の誕生を祝ってから1月ぐらいたったころのことである。 その晩、主人はアウアチヤパンというところに出張で、帰りの道路が封鎖されているので、帰れないという連絡があっ…

「自伝及び中米内戦体験記」7月30日

「ひな祭り」 (内戦の中の疑似平和) 娘が初節句を迎えた。当然のことながら、エルサルバドルに節句などと言う習慣はない。だけれども、私は日本のお祭りの中で、桃の節句が一番好きなお祝いだった。自分はお雛様などもっていなかった。でも3月3日の雛祭り…

「自伝及び中米内戦体験記」7月 29日

慟哭 1980年8月、39歳の私に赤ん坊が生まれた時、そのことをいち早く聞きつけてプレゼントを持ってきてくれたマルタは、私がエルサルバドルで出会った最初で最良の友達だった。彼女は6人兄弟のなかの一人娘で、聡明で柔和な婦人だった。年齢は多分私より10…

「自伝及び中米内戦体験記」7月28日

「危険な時代の記録」があった。 私たちがキロアの家に避難していた、多分一月ぐらいの間の記録は私の日記には書いていない。記録を避けなければならないほど、私は用心していたのだ。記録によって自分たちはおろか、世話になっている家にも迷惑をかける。迷…

「自伝及び中米内戦体験記」7月27日

「逃避行開始」 とにかく、内戦はどうあれ、家の中にいる私には、子供の誕生が生活に変化をもたらしていた。内戦なんかどうでもよく、赤ん坊の顔見て、世話していれば平和だった。 そんなある時、エノクがただならぬ顔で帰ってきた。人間の表情が語るものは…

「自伝及び中米内戦体験記」7月26日

「子育て日誌」 1)「鳩」 コロニアニカラグアは木が多い。この家は古いらしくて、野鳩がすんでいる。パティオに面して二階のベランダから鉢が吊るしてあるが、その鉢の植物を誰も世話したりしないから、鳩が安心して巣を作った。というより鉢を利用して巣…

「自伝及び中米内戦体験記」7月25日

「母の手紙」 入院が長引いたが、体調がやっと落ち着いた。そこでエノクは部屋を個人部屋から二人部屋に代えた。その差があまりに歴然としていたので、ちょっとショックだった。部屋はあきれるほどみすぼらしくなり、看護婦はこなくなり、呼んでも応答もしな…

「自伝及び中米内戦体験記」7月24日

「赤ん坊誕生」 1)「死ぬかと思った出来事」 この家に来てから、何回か水飢饉に悩んだ。人が集中的に使わない深夜にしか水が出ない。出てもちょろちょろという程度だ。ストライキではないから、多分地域のせいだろう。原住民のばあさんはよく働き、エノク…

「自伝及び中米内戦体験記」7月23日  

「4度目の引越し」 大司教の葬儀の混乱によって、どのくらいの人が死に、どのくらいの人がトラックで運ばれて、闇に葬られたか知らない。あの時代、リベルタの海水浴場にいけば、何体も何体も惨殺された人間の体の一部が漂着してきたらしいから、「左翼」は…

「自伝及び中米内戦体験記」7月22日

「大司教暗殺」 「大司教暗殺」 二科展入選作 ロメロ大司教記念館に寄贈 1980年3月24日,エルサルバドルの大司教,オスカル アルヌルフォ ロメロが,友人の追悼ミサ中に狙撃を受け、倒れた。サンサルバドル市のはずれにある癌病院の付属の小さな聖堂の中だった…

「自伝及び中米内戦体験記」7月21日

「再びグアテマラへ」 「教え子訪問」 その冬(エルサルバドルでは「夏」と呼んでいたけど、つまり年末のころ)、東京のはずれのある高校教師時代の教え子が私を尋ねてきた。それはうれしいことではあったが、毎日毎時間人の死と向き合う内戦というものに対…

「自伝及び中米内戦体験記」7月20日

孤立の中で(4) 「ポンチンとの出会い」 「日本の嫁がへたばっている。」何かを察した舅が、いろいろと気遣って、食物を運んで来たり、私が好きそうな珍しい植物を持ってきてくれたりして、気を遣ってくれた。彼は「原住民の勘」で、私が好きなものを知って…

「自伝及び中米内戦体験記」7月19日編

孤立の中で(1) 「ラビダの生活:ロビンソン園」 コロニアニカラグアの家が軍隊の駐屯地に近いことから、町が物騒で買い物に出て行くの危険だった。情報がほとんどなくて、今出ていくのが、安全か危険かを、いちいち自分の耳をそば立てて町から聞こえてく…

「自伝及び中米内戦体験記」7月18日

「合弁会社の日本人社長の死」 エルサルバドルで暮らしていた、日本人の主婦たちにとって、この国はその国民の大半の意識とは逆に「この世の天国」だった。気候は一定していてしのぎやすいし、邸宅は日本では考えられないほどの広さの空間を確保できるし、あ…

「自伝及び中米内戦体験記」7月16日

「春秋一枝」 イタリアに行ったエノクからはほとんど毎日手紙が来た。まるで日本にいて彼の手紙を待っていた超遠距離婚約時代のように、離れていたから味わえる、かぐわしい恋の気分に浸りながら、私は毎日手紙を書き、毎日手紙を待った。現実に余りにいろい…

「自伝及び中米内戦体験記」7月12日

(1)内戦の始まり 「不正選挙」 サンタアナに滞在していた1977年2月21日、エルサルバドルは大統領選挙で揺れていた。 私事にかまけていた頃なので、私はそのことがどういう意味を持つのか追求する心の余裕を持ってはいなかった。日本から送った荷物…

「自伝および中米内戦体験記」7月10日~

(1)「サンタアナ日記」 話は1976年のことである。日本に来ていた国費留学生のエルサルバドル人を追って私はこの年エルサルバドルについた。足掛け10年勤めた高校の教諭職を放り出し,私が彼に賭けたその物語の1ページである。 日本は高度成長の真っ最中,あ…