「自伝及び中米内戦体験記」7月22日

大司教暗殺」

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大司教暗殺」 二科展入選作 ロメロ大司教記念館に寄贈

 

1980年3月24日,エルサルバドル大司教,オスカル アルヌルフォ ロメロが,友人の追悼ミサ中に狙撃を受け、倒れた。サンサルバドル市のはずれにある癌病院の付属の小さな聖堂の中だった。

以下の写真はロメロ大司教25周年記念の時に、私の描いた絵を表紙にして出された写真集から。私が描いた「大司教暗殺」の写真が表紙になっている。しかもこの絵の作者は未詳のまま。かすかに私の署名が見えるけど。

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ロメロ大司教の暗殺現場の生々しい写真が17ページわたって出回った。表紙が私の絵だったことに驚いたが、誰も作者が日本人であることを知らなかった。

 

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暗殺現場の聖堂の中。

1978年、INCINCAと呼ばれる合弁会社の日本人社長マツモトフジオ氏が反政府組織に拉致され遺体で見つかって以来、エルサルバドルにはもう日本人は引き上げてしまって私のような個人的な目的できているものしかいなかった。

 

言葉がそれほど流暢だったわけではなかったけれど、4年間を政情不安定な国に暮らした結果、かなりのことは「肌で」感じ取る習慣が身についていた。私はこの報道をラジオやテレビで知ったのではなかった。

                                                                                               

彼は時のカトリック教会の司教区から,学者肌で最も政治に疎く、従って政府との摩擦を起こさないであろう人物として推薦され、ローマの本部から大司教として任命された人物である。

 

カトリックの総本部は、内戦下の中米で、カトリックの急進派の神父達が、ラテンアメリカの政治にかかわることを恐れていた。ラテンアメリカで生まれた、「抑圧されたものの味方である教会」という考えから出発した「解放の神学」なる神学は、総本部では理解されていなかった。

 

つまり彼は、政治にかかわる恐れの無い、世界情勢に対しても自国の政治に対しても全くうぶな男だったから、「無難な」大司教として選ばれたのである。

 

人は往々にして、「学者肌で世事に疎く、純粋な人間」を「ただの馬鹿」だと思う。

 

その彼はまさしく「うぶで純粋で、事を起こさないはずの馬鹿」だと思われたから、困難な時代に困難な情勢下で、事を起こすのを恐れた任命者から選ばれた。

 

しかし彼は、「うぶで純粋」だったから、自分が選ばれて大司教の座についたことの意味を、「うぶに純粋に」考えてしまった。実際に抑圧された人々の声を聞き、その生活の悲惨さを目の当たりにしている神父達が、急進的にならざるを得なかったことの本質を、彼は自分の目で確認してしまったのだ。

 

「世辞に長け、狡猾に自己保全を考えている」人間は、むしろ「事を起こさない」だろうことを、任命者は気づかなかったのは、皮肉なことであった。実に司祭職の本来のあり方から見れば、「愛を説いて十字架にかけられたキリスト」の生き方に殉ずるべく、天与の使命を受けて神父になったはずであった。つまり、本来彼らの仕事は、キリストの愛に反する社会から目をそむけず、戦わねばならなかったのに、「事を起こさない人間」と想定した人物を、故意に大司教に任命したとすれば、それはむしろ、反キリスト的であることを、本部は悟っていなかったと思うしかない。

 

しかし、任命を受けたロメロは「純粋」であった。彼の「純粋な」目は、本部の思惑に反して「純粋な目にしか見えない真実」を捉えたのだ。民衆のために働く、彼の仲間の神父達が、毎日危険にさらされながら、国家警察によって拉致されたり拘束されたり、行方不明になったりしているものの続出する家族を見舞い、彼らも弾の下をかいくぐって生きていたことを。

 

「急進的」と本部から呼ばれる仲間の行動を抑えようと、彼らの後をついていったロメロ大司教は、だんだん自国の民衆の置かれた現状に気づき、無視できなくなった。彼らの後を追ううちに、書斎の本の山から目を離して、自分の「本来の」職責を果たす為に、抑圧に苦しむ人々と直に接することになったのだ。「抑圧に苦しむ人々」とは、彼が主とあがめるイエズスキリストが、誰よりも相手にした人々だったから。

 

彼はそのとき初めて、教会の机上の理想主義が通じない今まで知らなかった世界を見た。人々は、さしたる理由があって、逮捕され、裁判を受けて判決の結果死刑になるわけではない。ある日突然付けねらわれ、拉致され、監禁され、レイプされ、舌を抜かれ、さんざん陵辱されて最後にゴミの山で銃殺されるのだ。行方不明になって、彼が探していた、そういう一人の女性の惨殺体を彼は実際にごみの集積所で、自分の目で見たのである。

  

その家族を訪れれば、彼らの住んでいるところを見なければならない。拾ったダンボールを集めて張り合わせて造った小屋に住む人々、ほとんど裸同然の格好で朝から働く子供達、ゴミをあさって食べる子供達、動物以下のおぞましさ。

 

路上に投げ出された変死体、海水浴場に流れ着くばらばらの遺体,抑圧された人々の側に立って戦ったため、逮捕、監禁、拷問に会う仲間の神父の変わり果てた姿。

 

それらの自国の中で起きている事実を、本の虫といわれていた彼は「自分の目で見るまで」知らなかった。「知らなかった」ことは、天与の職として心から自覚し、その職務に忠実だった「純粋」な彼にとってどんなにショックだっただろう。

 

大司教の任命を受けて、本来まじめだった彼の目に映ったものが、このような同胞の苦しむ様だったことに、彼は呆然とした。

 

「本の虫だった」彼の心の奥に,本来自らが司祭となり,任命を受けて最高責任者となった自分の使命が何なのか激しく問いかける声を聞いた。彼はその問いかけを神の啓示として聞いた。彼は突き動かされるように立ちあがった。

 

世間に無頓着に書斎に閉じこもっていた彼は、そのとき初めて自分の使命に目覚めたのだ。彼は文字通り「純粋」だった。権力争いとか、競争心とかに無縁の人物だったからこそ、彼の目は真実の姿を見つめることができたのだ。

 

大司教ロメロは、始め政府と直接対決の姿勢を取る事に消極的だった。彼が変わったのは、私がサンタアナにいたころに挙行された、77年の大統領選挙以来のことだった。投票に行こうとする農民達が、政府軍により妨害を受けたとき、彼はたまたまその場に居合わせ、民衆の足であったバスが襲撃されて、投票場まで歩くことを余儀なくされた民衆と、行動をともにした。

 

総面積日本の四国程度の小国エルサルバドルの公共交通手段はバスのみであった。真に民衆のためを思う政権を期待している人々は、自家用車などを持たない、タクシーも自転車も持たない、半裸で裸足の農奴としか呼べないような民衆だった。投票行動をするとすれば、彼らはバスで町までいかなければならず、政権を守りたい政府は、田舎から都会の投票場に走るバスを、出発直前に破壊さえすればよかった。

 

民衆の為に積極的に働いていた彼の友人の ルティリオ グランデ神父は、車を運転中、いっしょに乗せていた老人と子供とともに銃撃を受け、殺された。大司教はその真相を究明しようとしているうちに自分自身も投獄されると言う、現実に直面した。

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 ↑ルテイリオ神父

 

私はその選挙のあったころ、エルサルバドルの第2の都市、サンタアナに住み始めたばかりで、あの国が内戦の前夜を迎えていることなど知らなかった。主人が投票から帰ってきて、不正選挙だ、腐敗選挙だと興奮していきまいていたので、わずかに嵐の予兆を感じただけであった。

 

エルサルバドルの内戦の目は,1930年代から始まる。貧富の差を打開するためのほんの少しの改革でさえ,手をつけようとする政権が現れると,共産化を恐れたアメリカの介入によって,公正な選挙が行われた事が無いと言う事情が1970年代まで続いた。それを不満とする民衆の蜂起は,それを弾圧する政府軍に対するアメリカの武器援助によって、出口の見えない内戦になったのだ。

 

エルサルバドルだけでなく,ニカラグアは革命の真っ最中であり,グアテマラは先住民弾圧の真っ最中であった。中米中が内戦の中にあったのである。

 

ロメロ大司教は民衆に対する軍事政権の弾圧に対して、何ら対抗組織を作ったわけではなく、武器を取ったわけではなく、彼が持ったのはマイク一本であった。神父はミサを行う時必ず説教壇から信者に向けて説教をする。彼はその説教をラジオを通じ、全国に向けて行った。

 

説教をする彼の声はいつもある使命感に裏づけされた、そこ知れぬぞっとするような信仰に満ちた、ある特殊な響きを持っていた。そう。死を決した信仰表明そのものであった彼の説教は、「聴いていてぞっとするほどの深遠な魂のうめき」に聞こえたのだ。

 

その声は一度聞いたら二度と忘れないだろう。その「魂の深遠な咆哮」を私は4年間ラジオを通して聞いていた。そして現在も彼の声は、ビンビン私の聴覚を駆け巡る。

 

全国が彼の放送を聞き、彼の声を待っていた。小さなラジオにしがみついて、街角でも、コーヒーショップでも、ひとびとは彼の説教に耳を傾けていた。

 

暗殺で倒れる1週間前、ラジオ放送で説教をする大司教の声を、私はまだ覚えている。私はその時流産の危険から逃れるために、ほとんど寝たきりで注射をしながら暮らしていた。しかし、ラジオから彼の声が聞こえてくると、私は半身起こして耳をそばだて聞き入った。彼の声は、ほとんど絶叫であった。その絶叫は民衆の心を激しく揺さぶった。

 

エノクはカトリック信者ではない。しかし彼はロメロ大司教の信奉者であった。大司教の説教を聴くたびに彼は熱をこめて誰にともなく、ほとんど自分に言い聞かせるように言う。

 

エルサルバドルの本当の指導者は大統領ではなくてこの大司教だ」と。

 

皮肉にも偶然にも、弾圧者側の急先鋒、当時の大統領の名もロメロだった。

 

当時、どこの国のどこの教会も、老人の思い出の場となって、その指導制はおろかシンボル的な役割さえ失っていた。その世界的宗教後退の時勢に、その当時のエルサルバドルの教会はいつも満員で、特に大司教の説教をする教会は、外まで人が溢れ返っていた。

 

私も一度入ってみようと試みたが、あまりにひしめき合っていたのと、外には軍隊が銃を構えて何時発砲するかわからない状態だったので、あきらめた。

つまり彼の説教を聞くためにカテドラルに押しかける人々は命がけだったのだ。

 

彼はその立場上、大統領に直に会う事のできる身分であり、衣食住に事欠くスラムにも足を運ぶ事ができる立場でもあった。つまり彼は、弾圧に苦しむ貧民の訴えを支配層に伝え、支配層の言い分を貧民に伝える役を担う事になったのである。

 

彼は国をまとめる仲介者の役割を担っていたから、ゲリラの側とも会っていた。お互いに話し合いの席に着く事を拒む極右極左の言い分を聞いて、自分の考えで、解決策を練り、双方に伝える事ができたのだ。

 

これが、民衆が彼をエルサルバドルの本当の指導者と呼ぶ所以であり、同時に政府の側から猜疑心をもって見られる原因でもあった。民衆が彼を慕えば慕うほど、政府は彼を疎んじた。彼はまさにあの時代の預言者であった。

 

私の耳に残っている大司教の言葉は,一般民衆に対するよりも,むしろ支配層の人々への呼びかけだった。彼は大国が自国の国軍に対して行う武器の援助やゲリラ掃討作戦の訓練が,罪無き民衆を苦しめる事を憂えた。

 

彼はそこで時のアメリカ大統領カーター宛に書簡を送った。

 

「我々の政府に武器の援助をしないで下さい。あなたの国の武器が多くの罪なき民を殺しています。」と。

 

世界の覇者を任ずるアメリカに対してさえ、彼は預言者として自分の命を盾にして言葉を発したのだ。国中を荒れ狂う弾圧の嵐のなかで、彼は丸腰であった。

 

路傍には拷問の末虐殺された死体が転がっていて、それを飛び越えて私が買い物に行った、そういう国で、彼はマイクのみを握っていた。

 

脅迫は彼にとって日常茶飯事であった。しかし彼はマイクの前で叫び続けた。「殺すぞと言う脅しを私は何度も何度も受けている。しかし私を殺しても、私はエルサルバドルの民衆の中に甦り、彼らと共にあるだろう。」

 

政府に対して、時には友人に呼びかけるような説得の言葉を彼は続けた。相変わらず彼は,僧服スータン(カトリックの司祭が普段身につけている,白または黒の僧服)一張羅で,マイク一本で戦いつづけた。

 

死の前日,1980年3月23日,彼は説教で語った。

 

「私は今日、特に、国軍の兵士の皆さんと国家警察のかたがたに呼びかけたい。

 

私の愛する兄弟たち、あなたがたが毎日殺している人々は、あなた達の仲間、血を分けたあなた達の兄弟姉妹です。兄弟姉妹を殺せと言う上官の命令に従う前に、神の掟を思い出しなさい。神は言われます。『汝 人を殺すなかれ。』と。

 

どんな兵士も,この神の掟に逆らうような命令に従う必要はありません。あなたの良心にそむくような命令に誰も従ってはいけません。今は邪悪な命令に従う前に、自分自身の良心の声に耳を傾ける時なのです。

 

教会は神の正義を実現させ、人々の尊厳を守り導く使命を持っている以上、このような残虐行為を前に沈黙しているわけには行きません。私達は政府にこのような大量の流血と、拷問と、虐殺によって、得られるものは何もないということを真剣に考えてほしいと願ってやみません。そこで私は訴えます。神の名において訴えます。

 

日々ますます激しくその訴えを天に向かって叫んでいるこの苦しむ民衆の名において、

 

私はあなたがたに懇願します。私はあなたがたにお願いします。そして私は、神の名において、あなた方に命令します。

 

『弾圧を やめよーーーーーッ!!!』」

 

それは絶叫であった。彼の命をかけた、彼が確かに聴いた神の声を、邪悪な支配者に伝えようという使命に駆られた、現代の「預言者」の決死の呼びかけであった。彼のこの最後の絶叫は、ラジオを通して全国に響いた。ラジオの音はビリビリと鳴り、人々はラジオにしがみついた。人々は彼の絶叫に震え、胸に十字を切り祈った。

 

そして人々はお互いに言った。「この大司教こそ、吾らの代弁者、吾らの心、この国のたった一つの良心だ!」

 

彼は、あの説教の翌日の24日、彼が事務所(実は彼は「大司教館」と呼ばれる、ホワイトハウスみたいな公的住居に入ることを拒んで、6畳ぐらいの事務所に起居していたのである。)を構える癌病院の小さな聖堂で、友人の追悼ミサを行った。

 

その時、一発の銃声がとどろき、大司教ロメロは倒れた。高々と捧げていたカリス(聖体を入れる容器)が吹っ飛び、鮮血がほとばしり、床が赤く染まった。

 

ロメロが倒れた、と言う報道は、ラジオでもテレビでもなく、人々の口を通して一瞬のうちに全国をかけめぐった。私もその事を蒼白になって外から帰ってきた主人の口から聞いた。

 

彼の最後のミサはプライベートなものだったので、参列者は少なく、説教も放送されなかった。彼の説教は、だから、記録のみで伝えられている。その記録によると、彼は最後に自分の死を予感していたとしか思えない言葉を残していた。

 

「人は生命の危険から全く自分を保護し、安住するほど自分を愛してはいけません。安住するものは此の世に生き長らえる事ができますが、自分をなげうって隣人に奉仕するものはキリストのうちに生きるのです。地に蒔かれた麦の種は死なず、作物を通して永遠にいきるのです。」 

 

 

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  自作の絵、「一粒の麦の」(ロメロ大司教の亡くなった癌病院の記念館に寄贈)  

 

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 注:ここに描いた絵と文は、すべてが事実通りというわけではありません。絵として物語として描くために私が「解釈」を加えたものです。