Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」7月31日

「ゲリラ大攻勢」

 

1982年、私たちはエスカロンという名の町の大きな家にいた。娘の2歳の誕生を祝ってから1月ぐらいたったころのことである。

 

その晩、主人はアウアチヤパンというところに出張で、帰りの道路が封鎖されているので、帰れないという連絡があった。いつものことで、危険なら危険地域を突破してまで戻ってこないほうがいい。心配したって仕様がない、とにかく家族の者がどこでもいいから生きのびて、いつか帰ってくることだけで安心し、もう他にはたいしたことを考えない毎日だった。

 

しばらくしたら、主人の実家からも友人からも、「今夜は危ないから、外に出るな」、「家の中にいても通りに近い所はなるべく避けて、奥に潜んでいる様に」と言う電話があった。その夜、ゲリラの大攻勢があると、囁かれていた。多分、親戚たちのうちの「誰か」が、直接的に正確な情報をつかんだのだろう。「今いる場所を一歩も動くな。今いる場所でできる限り身を守る方法を考えよ。」それが、公的機関ではない、もっと信用の置ける、正確な民間同士の連絡網による連絡だった。

 

家は通りから直角に奥に長いつくりで、4つの部屋が並んでいて、一番奥の部屋は寝室にしていたが、通りからかなりの距離がある。とりあえず、一番奥の部屋に、娘と二人でこもることにした。

 

飼い犬のクマが何を察したか、それこそ一番奥の私たちの部屋のベッドの下にもぐりこんで出てこない。呼んでも餌で釣っても出てこない。そんなところで糞をされたら困るから、別のところに移そうと思っているのに、クマは手も届かないほど奥に入り込んでいる。黒いコッカスパニエルの雑種だから、ベッドの奥の隅にいったら真っ黒で見えない。仕方なくて、私はベッドを動かして反対側から犬を見た。何と、クマは隅で、ぶるぶると震えているのである。手を突っ込んで体に触れるとその振動が激しく手に伝わってくる。尻尾は硬く股の間にはさんでいて、足はがくがく震えている。顔は情けなさそうに、私を見上げている。ここにおいてくれと懇願しているような表情だ。

 

まだ外でそれらしい音もしなければ、人間があわただしく騒いでいるわけではない。何にもおきていないのに変な犬だ。私が電話連絡を聞く前から、クマはベッドの下に避難している。ちょっと残酷な気分になって、震える犬を摘み上げてみた。必死で抵抗する。まるで私が殺そうとしているみたいに、許して暮れという表情で、もう見ていられないほど震えている。おしっこをジャージャーたらす。おしっこに耐えられずに下におろしたら、またもとの場所にまるで三角コーナーにめり込むように入っていき、震えつづけている。

 

一体この犬は人間同士の戦闘の情報をつかんだとでもいうのだろうか。変な気持ちだったが、私には犬をかまっている余裕がなかったし、具体的に何が起きるかわからない連絡に神経がかなり緊張していた。

 

娘を抱いて私はベッドにもぐりこむ。娘は寝息を立てているがもう私は眠っていられない。犬の第六勘が気になる。目を見開き、耳をそばだてて、外の気配をうかがった。

 

そうこうしている内に、夜半銃声が、ドドドドドドドドと、とどろくように鳴り響いた。それを合図に銃声は雨あられと降ってくる。意外に近く、炸裂音。そして爆撃。大音響。犬が耐えられないような情けない声で鳴いている。ワンとかキャンじゃない。クフクフクフ。掠れている。なんだ、これは!

 

そのうち銃声は、まるで頭の上を掠め飛ぶように、ひっきりなしに聞こえてきた。犬どころではなくなった。

 

ヒュルルンヒュルルンキーーーーーーーン。ヒュルルンヒュルルンキーーーーーーーン。ヒュルルンヒュルルンキーーーーーーーン。ヒュルルンヒュルルンキーーーーーーーン。

 

漫画だってこんな音は表現できないだろう。まるで耳のそばを、頭のすぐ上を弾が掠めるような音だ。

 

ふと気がついた。そうだ、この部屋は一番奥といっても、通りに面した窓から、一直線にガラスの窓が並んでいるのだ。外から流れ弾が飛び込んできたら、窓を次々と貫通して、ここまでくるだろう。自宅の台所にいただけで、流れ弾にあたって死んだ人がいるのをつい最近聞いたばかりだ。

 

私はベッドから降りて、娘を下ろし、そのベッドを立ててバリケードにして、窓をふさいだ。娘を守ろうとするためか、まったく自分はおびえていない。現実の銃声よりも子供のとき母に叱られた時の方がおびえていた。

 

ベッドをはがされた犬が震えている。犬はどこか安全地帯を求めて私と娘の間にもぐりこもうとする。こうなるともう犬が憎たらしかった。自分が守ろうとしている娘を押しのけて自分が助かろうとする生き物は、敵だと感じた。

 

犬なら人間を守れよ!人間を盾にして自分が助かろうとは何事だ!こっちも生きるのに必死だった。子供を守るのに必死だった。

 

クマも必死だったのだろう。しかし、このとき私が、私と娘の間に割り込もうとするクマを邪険に押し返したことで、以後この犬は私に近づかなくなった。外から帰っても飛びつきもせず、餌をやっても近づかなくなった。この人間は信用できない、とクマはもう決めていた。一番助けがほしかったときに、この人間は自分を省みてはくれなかった。私のことをクマはそう考えた。頭も勘もいいやつだ。文明をもった人間なんかより、よほど鋭い勘でこのゲリラ大攻勢を察知した。

 

内戦の中で、私も動物の世界を生きていた。自分の子供を守るためにマルタの家族を裏切った。そして、犬と安全な場所を争い、犬のことはこの犬畜生と思っていた。そのことを一番本能的に感じたのはこの犬だったろう。

 

戦争の映画にでてくる効果音なんか問題じゃない。これは実戦なんだ。クマは火薬のにおいを知っていたのだろうか。それで始まる前から、あんなにおびえたのだろうか。とりあえず手近にあったあらゆる衣類をそばに置き、靴もはいて、娘を抱いて寝た。

 

食料はそばに運んでおかなかった。廊下を隔てて台所がある。しかし、いくら家の中でも動くことは危険だと、先ほどの姑の電話で聞いていた。

 

はじめの犬の様子にすばやく反応して、何か準備をしておくべきだった。犬から何も学ばずに邪険にした自分が初めて悔やまれた。

 

3歳のとき、東京大空襲を経験していた。母が防空壕の入り口で、焼夷弾の破片をよけた一瞬を記憶している。あれ以来、母が子供全員に、衣類はいつもまとめて紐に縛って枕元に置くように、乾パンと懐中電灯をそばに置くように、ちりぢりばらばらになっても自分の名前と親の名前は言えるように、しつけたにもかかわらず、私は何も用意していなかった。

 

今たぶんできるのは自分の名前がいえることぐらいだ、と私は苦笑した。大事なパスポートさえ携行していない。いざというときのために何も用意していなかった自分をふがいなくおもった。これじゃ、娘を守れないじゃないか。

 

(ちなみに、2度の大戦と関東大震災を経験した母は戦争が終わって40年、88歳で死ぬまで、枕元に衣類をまとめて縛っておき、乾パンと缶詰と懐中電灯をナップサックに詰めてそばにおいて寝ていた。)

 

夜中頭の上を銃声が飛び交っていた。銃弾が炸裂していた。あの谷間の向こうから、こちらに向かってまるで私の家が標的になっているような音だった。

 

ヒュルルン ヒュルルン キーーーーーーーン。ヒュルルン ヒュルルン キーーーーーーーン。

 

朝を迎えた時銃声はやんでいた。怖くはなかったが、緊張し、かなり神経が疲れていた。エノクのことが気になった。いったいどこで、あの撃ち合いの夜をすごしたのだろう。無事に生きて帰るのだろうか。毎日毎日思ってつぶやいているこの言葉を今度という今度は真剣に考えた。

 

舅から電話があった。エノクは無事だ。心配するな。エノクがどのように「無事で」どこに潜んでいたのか、知らされなかった。後で帰ってきたエノクに聞いたが、彼は誰にも自分の所在地を連絡していなかったという。

 

でも、彼はいった。「お父さんは、自分がどこにいて、どのような状態でいるのか、不思議な能力でわかるんだ。国外から帰るとき、何も知らせなかったのに、いつも空港で待っていたりするんだよ。」

 

夕方エノクは帰ってきた。疲労しているようだったが、とにかく生きていた。無事な姿を見たら、例のごとく、何も聞かなかった。自分も夕べの経験を何も言わなかった。お互いにじっと見つめ「生存を」確かめ合った。

 

生きている。存在している。それで安堵の条件はそろった。服はほこりにまみれ、ものすごい形相をしていた。明らかに異常な夜を過ごした面持ちをしていた。

 

生きている。存在している。それでこの世の目的は完了していた。

幸福の条件?そんなもの、平和しか経験したことがない人間の寝言だ。

生きていることにしか、意味はないんだ。

 

後で写真で知ったことだが、谷間には累々たる死体が転がっていた。死体の血が固まり、硬直した青白い体にハエがたかっていた。それは完全に「静寂」の写真であった。

 

しかし、それでも家族3人だけは生きていた。3人が生きていたことは、「よいこと」であった。

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『主は誰がために死したもう』