「自伝及び中米内戦体験記」7月21日

 

「再びグアテマラへ」

 

「教え子訪問」

 

その冬(エルサルバドルでは「夏」と呼んでいたけど、つまり年末のころ)、東京のはずれのある高校教師時代の教え子が私を尋ねてきた。それはうれしいことではあったが、毎日毎時間人の死と向き合う内戦というものに対してまったく無知の、めくら同然の日本の若い子を引き受けるのは、疑問の多いことでもあった。

 

しかも、おなかの中に子供がいることを確信していたのは、私だけの勘であって、当時の医学ではまだ妊娠の可能性が判断できなかった初期のころだったのと、数回の病気で体が正常じゃないと思われていたし、おまけに医者からは、もう妊娠できないはずだとさえ言われていたので、女の勘より医学を信じるエノクに、妊娠の予兆を納得させられないでいた。

 

とにかく彼は遠く日本からこの内戦の地まで訪ねてくるという教え子の気持ちがうれしくて、できるだけの歓待をしようと張り切ってしまった。彼はすごく嬉々としてグアテマラに彼女を案内することに決めたのである。

 

今度はバス旅行ではなくて、帰国した日本人から買ったポンコツ車ムスタンで旅行することになった。その車はすごくよく故障を起こす車で、故障のたび主人が車の下にもぐりこんで直していた。

 

グアテマラエルサルバドルと違って、地勢の高低の激しい国だから、冬の高地は霜が降りる。だからグアテマラ製品の中に、現地人向きでさえ毛皮のポンチョや毛皮のブーツが売られている。利用価値のないものを売りはしない。いいたいことは、いくら中米だって、旅行をするなら夏物だけではなくて、冬物が必要だということだ。

 

高地で車の故障を起こしたりしたら、かなり危険だ。自分の体を思って私はかなり抵抗の末、しぶしぶ一緒に行くことに同意した。

 

教え子「むぅちゃん」には、寒いところに旅をするから冬の衣類を持ってくるように、現地の医療事情が悪いから、いざというときの為に薬の用意をしてくるように、さらに、水の事情も内戦下の国外旅行の危険さも何度も何度も言い含め、おまけにいいたくもない自分の体の事情まで言っておいて、自分は自分の体を最優先させる旨、知らせておいた。

 

水に関しては、水質を論じる前にそもそも水が不足している事情も説明したし、パスポートも携行せずに、うっかりもたもたしていると、有無を言わせず連行されるというおっかない事情も、こと細かく書き送った。私としては、万全の配慮をしたつもりだった。

 

彼女は、それでも怖いもの見たさかなにか知らないけれど、内戦下の中米にやってきた。彼女が来てからすぐに私達はグアテマラに向けて出発した。車は大して大きくないし、荷はなるたけ軽くしたほうがいいと思ったから、私は最低限の衣類を自分のカバンに詰め込んで、いざと言うときの為、車内をゆったりと大きくとろうと考えた。 

 

エルサル国境からグアテマラに侵入して、車は高地に入っていった。しかし、私達のポンコツ車は、とてつもない山脈地帯の霜の降りる人里離れた山の中で、予想通りにエンコした。技術者は主人しかいない。車の下にもぐりこんでから随分時間がかかる。その間外に出なければならないので私は袖なしのブラウスを着ていただけのむぅちゃんに「ジャケットでも着ないとしのげませんよ」といった。

 

そうしたら「あら、そんな物持ってこなかった。」と彼女が言う。「赤道に近いんだから夏服でかまわないと、マリさんが言ったもん」と、中米に住んだことのない人から聞いて、日本から着てきた冬服を途中寄ったロスアンジェルスの、やっぱり私の教え子だったマリさんという友人のところに全部預けてきて、袖なしの夏服だけ持ってやってきたのだ。

 

「赤道に近い」という言葉に、日本人は、すぐに、真っ裸でも生きていられるほど暑いと思い込んでしまう。寒暑の差は高低できまる。中南米諸国にまっ平らなところなんかない。特に中南米と呼ばれる太平洋側の地域は、時には呼吸困難に落ちるほど高地にある。

 

高地で飲まれているある種の飲み物は、その呼吸困難を避けるための飲み物だが、平地に持っていくと「麻薬」と呼ばれる。コカインだからね。私は、この麻薬と呼ばれる「お茶」を、マチュピチュのホテルで飲んだことがある。平地から来た観光客に強制的に飲まされるので、ちょっと抵抗したんだけど、飲まずに10分歩いて、ふらふらになり、やっぱりそれを飲みにホテルに戻った。

 

高地で生きるため、必要なこの物質を称して、中南米の人々はこの麻薬ばかり飲みあさっていると、誤解されているが、それは平地から国を乗っ取るために攻めてきた白人たちの言い分である。それを平地に持って行って、ふらふらになって楽しいわいなと、がぶがぶコカインを飲みあさっているのは、アメリカの白人たちなんだけどね。

 

で、そのむうちゃん、おまけに、あれほど医療事情が悪いから自分で使う薬は必ず持ってくるように言ったのに、「あら、保険に入っているから薬なんか現地調達でいいと思って持ってこなかった」と言うのである。

 

ああ!「保険」なんて、内戦の国で意味ない制度なのに!内戦て、殺し合いなのよ、殺し合い!大体、どの内戦の「現地」で、無い薬を調達するのよ!赤道に近いって、その「赤道」に行ったことあるの?地球儀に書いてある赤い1本の線が、全ての気候を表現していると思うの?地球儀の赤い線に触ったら熱かった?ばか!

 

正確には「エルサルバドルと赤道」はかなり離れている。「赤道」という言葉に日本人は、真っ裸で歩いてもいい場所と想像してしまうようだけれど、その「赤道」という意味の「エクアドル」という国だって、リャマの毛で作ったポンチョを着るほどの寒さがあるのだ。地球の気温は、まったいらな地面で判断するのでなく,高低で判断するんだ。もう!

 

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素っ裸の人いません。

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これ、「羊毛」これも素っ裸に不要でしょ? 

 

現地で彼女を引き受ける私が、彼女に直接書き送ったことは信用せずに、なんで、他国の内戦を造成しては悠々と暮らしているアメリカの、ロスアンジェルスでのうのうと暮らしている世間知らずの間抜けを信用するんだ!

 

私はそんなこととはつゆ知らず、いくら教え子といったって、今すでに成人した彼女の個人的な荷物なんか、まさか点検しないで出発した。

 

私は自家用車の旅行で荷物を少なくするため、自分の衣類しか持ってこなかった。自分は自分の体を守らなければならないのに、頼みのエノクは私が妊娠していることを頭っから信じようとはしない。遠い日本からわざわざきてくれた生徒だから、おまえが犠牲するのは当たり前だとか言う。犠牲ったって、何も現地にいる私のいうことを信じない、現地に来たこともない平地に住んでいる人間のいうことを聞いて、裸同然で来た人間の世話するために、私が裸になれっていうの?

 

むぅちゃんは、むぅちゃんで、「先生が貸してくれさえすればすむことじゃない、」などといって平気な顔をしている。凍てつく山の中で、私は内心怒り狂っていたが仕方ないから彼女に自分のコートを貸し与え、主人が車の下で故障を直している間中、足踏みしながら寒さに耐えた。

 

やっとのことたどり付いたソロラの村は、村中の男女が制服みたいに着ている民族衣装のせいで、赤い村のように見えた。

 

ところで、その当時のソロラの村人たちは、ほとんどスペイン語ができなかった。ラテンアメリカといえばスペイン語が通じると単純に思っていた私にとって、それはショックな経験だった。メルカードは赤い衣装の人々に覆われ、言葉をかけるとはにかんだように目を伏せ、なにも通じなくてオレンジのひとつも買えなかった。

 

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ソロラのメルカード

 

私にとっては部族の言葉しか話さないこの民族がすごく高貴で誇り高い民族のように思えたが、その当時彼らはこの通じない言葉と彼らの当たり前の通常服ゆえに、軍事政権から迫害を受け、民族が半減するような恐怖の時代を生きていたのだ。違いが一目見ればわかるからね。

 

外からやってきた観光客がさぞ怖かったのだろう。彼らは私たちの目を見なかった。私はなんだか遠慮してメルカードの写真はたった2枚、遠景からしかとらなかった。

 

グアテマラシテイーとアンテイグアでは、いろいろ買い物をしたり観光もしたけれど、私にはもう、そのときは1週間が限度で、早く帰りたかった。むぅちゃんははじめから終わりまで自分のことしか考えないで勝手なことばかりしていたから、こんなやつ付き合っていれば私の体が持たないと思ったのだ。

 

そこで私は「後はサンサルバドルで、いろいろ案内すればいいじゃないの」と主張して、とうとう主人を説得し、ポンコツに乗ってグアテマラを後にした。体の調子が、まずいぞと思うような状態になっていた。

 

「家に戻って倒れる」

 

家に戻ってから、まだむぅちゃんはいたけれど、私はもう誰が何を言おうと動かないぞと思っていた。疲労も手伝って体をいたわるのは自分だけしかないと思ったから、暇を見てはベッドやソファの上に横になっていた。

 

それを見たむぅちゃんが私を批判して、家庭のことなにもしないで家でごろごろしているというのだ。これ、教え子なんだけれど、なんだか小姑みたいだよ。

 

主人のほうはエルサルバドルに帰ってくれば、自分の仕事の準備をしなければならないから、そうそうむぅちゃんの相手していられない。

 

ある晩彼はレポ-ト書かなければならないから、今晩お酒は飲めないよ、と彼女にいった。ところがむぅちゃんエルサルバドルにきてロン(ラム酒)の味を覚えたものだから、「ねえねえ、エノチヤアン、ロン飲もうよう。」とかいってしつこくべったりんこ甘えて主人にせがむ。この教え子、私のだんなに「エノチャン」などと呼ぶんだ。げろ吐きそう!

 

一寸私のメンタリテイーでは考えられない。想像を絶するありさまに、あきれてしまった私は、それでも、ここに来ている以上、そう簡単に追い返すわけにいかない。つとめて冷静にエノクの仕事の状態を説明して、「今晩は忙しいと言っているから、飲みたいなら一人で飲みなさい。といった。ところが彼女はあろう事か、主人の手にぶる下がり、甘ったれて誘う。

 

「ねえ、ねえエノちゃあん、お酒飲もうよう。」それを見た私は、突然怒りがこみあげ、爆発した。

 

「いい加減にやめなさい!」

 

私の剣幕におったまげた彼女は今度は都合よく腹痛を起こし、主人にすがり付いて「エノちゃああん、お医者さんに連れてってえ」という。仕方なく主人が連れていった。

 

ところが、今度はその医者の医療が気に入らないといって、彼女は医者の前で奇声を上げ、まるでその医者が殺そうとでもしているみたいに、ぎゃあぎゃあ泣き出し、もう、手がつけられない。私はこれほど無遠慮な人間、今までいったどの国でも見たことが無いので、茫然と立ち往生する以外に無かった。

 

断っておくが、エノクが連れて行ったのは、あのゲリラ従軍医ではなくて、国際的な医療保険を受け付ける、日本人好みのまともの病院の医者だった。

 

彼女、いい年してお医者さんの手を振りほどいて大声で泣くんだからね。

 

「いやーー!!いやーー!!こんなのいやーー!!ぎゃあああああん」

 

なだめすかして、我慢の限界を超えたので、やっとの思いで彼女を日本に送り返し、やれやれと思っていたら、かつて、4年間全くの音信不通だった日本の家族からものすごい便りがきた。

 

彼女、日本に帰って、私の家族に会いに行ったのだ。

 

家族の手紙によると彼女はこう言ったらしい。「先生は家庭の仕事は何もしないで、ひまさえあれば家でごろごろしている。自分はせっかく訊ねていったのに、ほったらかされて、相手してくれる人もいないので、どうしてよいかわからなかった。

 

エルサルバドルの医療は原始時代のままで、近代的な医療は何もないので、自分は死にそうな目にあった。だんなさんは先生が妊娠しているのに医者にも連れても行かない。ほっておいたら先生は死んでしまう。自分は先生に死んでほしくないからこのことをご家族に知らせようと思ってきた。」

 

ぎょえええ!

 

恐れ入った。本当に恐れ入った。私がこの4年間、心配しているであろう音信不通の母の心を何とか慰めようと、ほとんど毎日手紙を書いた。こちらの事情を話し、写真も送ったし、民芸品なども送った。それらのことがすべて水泡に帰した。

 

私は彼女の言うことが正しくないことを証明するため、躍起になって、グアテマラ旅行に使った出入国の書類やら、ホテルの滞在記録やら、医者の証明などをコピーし、家でごろごろしていたというけれど、彼女がこの家で食べた食事はすべて私の手料理で、ここの国は出来合いのものを買ってきて食べるような状態ではないこと等を書いて、母に送った。

 

疲れた。神経が疲れ、私は起き上がらなくなった。エノクが私を「原始人向きの病院」に連れて行き、私ははじめて妊娠していることが認められた。

 

しかし、自分が、以前に「あなたはもう妊娠できない」といってしまった医者は、何しろ「原始的」なので、「子供が生まれても奇形児が生まれる可能性が90%だ」と付け加えるのを忘れなかった。

 

私はこういう彼を信用しなかった。それで主人にしつこく主張して医者を代え、クルビーナという名前のばあさんの医者にご厄介になることになった。彼女は知的でぶっきらぼうで、余計なことは一切言わない正直者だった。だから私は彼女を信じた。

 

どんな国のどんな文化を持ったどんな伝統のある国でも、知的でぶっきらぼうで余計なことを言わない正直な人間は、社交的で言葉巧みでその場限りのお世辞のうまい人間より実があるのだ。