「自伝および中米内戦体験記」7月10日~

(1)「サンタアナ日記」

 

話は1976年のことである。日本に来ていた国費留学生のエルサルバドル人を追って私はこの年エルサルバドルについた。足掛け10年勤めた高校の教諭職を放り出し,私が彼に賭けたその物語の1ページである。

 

日本は高度成長の真っ最中,あらゆる仕事が人の手を離れて,電化製品に変わっていったころである。東京に住んでいたのだけれど,高校卒業するまで,家に電話が無かった。洗濯機は高校時代,絞る所は手動の物,テレビが普及したのが平成天皇御成婚からだから,高校3年,しかし家に現れたのは大学3年の時,冷蔵庫は腰あたりまでの低いのがやっぱり大学に入ってからだったかな。しかし70年代ともなると,洗濯板をわすれ,映画館を忘れ,冷蔵庫が無いうちなんか無かっただろう。

 

エルサルバドルに着いた時,生活の中に有った物はもう日本では忘れていたものばかりだった。電話を引くのに3年は待つ。洗濯は2本の手に頼る。もっとも人件費の馬鹿安いこの国では,女中(「お手伝いさん」などと呼ぶような先進国用語ではない)を雇って全部やらせる。テレビは持っているうちまで出かけて行ってみる。

 

冷蔵庫は有るには有るのだけれど,牛乳が3日でチーズになる。牛乳に問題があるのか冷蔵庫の性能が悪いのか知らない。 でもまあ,物は取り様。電話する相手もいないんだし,2本の手に故障は無いんだし,テレビはポータブルで,ラジオもカセットも着いているものを日本から持ってきていた。

 

牛乳がチーズになるなんて面白いじゃない。日本には半年も持つ牛乳って言うのが有ったけど,かえってそう言う牛乳には何が入っているか分からない怖さがある。

 

私は昭和16年生まれで防空壕育ちだ。東京の食糧難を体験しているから,あの時の体験を活かせば良いさ。案外良い気分でこの異国の第一歩を始めたのである。

「マキリシュア」

 

結婚の書類上のことが整うまで,私は首都サンサルバドルからバスで40分離れたサンタアナという町に、婚約者と二人で下宿した。エルサルバドルの第2の都市である。

 

いきなりわけのわからない生活が始まった。言葉もろくすっぽできなかった。 家はブロック固めの四角四面の造りで,パティオとよばれる中庭が有ったけれど,地面はタイル張りで,鉢が隅に有り,日本家屋になれた私には味気ない毎日だった。家に土がないのである。これがたまらなくて,私は良く散歩に出た。

 

町は臭かった。風呂に入ったこともないような裸足の子供が,外国人の私を珍しがって寄ってきて触ったりした。男は女を見るとだれかれ問わず注意を引くために,“チッ,チッ”と言う動物を呼ぶ時のような合図をする。女学生が私を見て驚き,私の姿が見えなくなるまで無遠慮に凝視する。“チニ‐タ,チニ‐タ”(中国人だ,中国人だ)とささやきあう。

 

私の行く所,つねに人の目が有った。対象をまともに射止めて放さない執拗な視線がハエのように付きまとった。目が合った時,試しににらんでも見たし,微笑んでも見たが,反応は無く,警戒してただただ見つめていた。

 

凄い国に来たぞと正直私は思った。美しいと思えるものが何もないと感じるほど,余裕を失っていた。時期が乾燥期にあたっていて,埃っぽい所為もあった。ハエだらけである事を,埃まみれである事を,臭気が充満している事を誰も気づかずに生活しているのが,私にはもっとも救いようなく思えた。

 

ある夕方,私は歩き回って道に迷った。方向だけ見当をつけて,一つの曲がり角を曲がった。そして突然私は自分が別世界に入り込んだような気分に襲われた。頭上一面にピンクの花が広がっているのだ。これは御伽噺の世界だ,と私は感じ,花の天井を見上げた。

 

一本の大木が八方に枝を張ってピンクの花をつけている。

 

おお!! 不思議な感動が私を襲った。ハエも埃も目玉の列も忘れ,私はしばらくそこに立って,散る花と戯れた。こんなに美しいものがこの国にあった。 花は筒型で,強いていえばつつじの形に似ている。葉が出るのが遅いらしく,花ばかりが空に広がっている。風にふかれてぱらぱらと落ちてくるのを手にとって見て,私は思わず一人で笑った。

 

おまえに会えてうれしいよ。花に向かって私はささやいた。

 

それは私がサンタアナにきて始めての喜びだった。 花の名前が知りたくて,道行く人に尋ねたが,誰も教えてくれなかった。めんどくさそうに,ああ,あれはフロールロサーダだよなんて答える。「フロールロサーダ」とはスペイン語で,「ピンクの花」という意味だ。見ればそんな事わかるから,誰もそんな事人を呼びとめてまで聞きはしない。そうか、だれもしらないのか。外国人の私をこんなに感動させた自分の国の一番美しい花を。

 

こんなに見事な花をどうして名無しのままにしておくのだ、と私は思って本屋に行って図鑑を探したが,スペイン製かアメリカ製の図鑑はあっても,この国の動植物を扱ったものは一冊も無かった。 私がこの花の名前を知ったのは,半年たってサンサルバドルへ行って,何と日本人から聞いてからだった。

 

日本人はこの花が山で満開の時,遠くから眺めると桜そっくりに見える所から,「エルサルバドルの桜」と呼んで愛していた。マキリシュアという花だった。

 

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「グラナデイージャ」

 

サンタアナの町を歩いていて,グラナデイージャという果物を見つけた。外側がみすぼらしくて中身がうまい。からす瓜みたいな形をしている。カポッとからを割ると中に蛙の卵状の塊が入っている。甘い上品な香りのする汁をすすって蛙の卵を舌の先で丸め込み,一口か二口で喉の中に送りこむ。霊妙な味がする。その茶色がかった橙色の外見からは,とうてい想像のできない味だ。何も魅力を感じさせないものがこれだけの中身を持っていることは、“高貴だ!”と,一人でこの果物をいとおしむ。(これはエルサルバドルではグラナディージャと呼んでいたが、英語圏ではパッションフルーツと呼び、にほんではとけいそうのいっしゅらしい)。

 

ここサンタアナの町は泥に満ちている。いや,私は東京からやってきて,泥に満ちたこの町を,ここにはまだ泥がある! と言って,愛し始めている。たった今,神様が泥を捏ね上げて作りました,と言ったような人間がたくさんいる。そして市場は活気にあふれている。路上には暑さしのぎの筵の天幕が張り巡らされて,その下であらゆる日用品が売られている。しつこいほどの呼び声。値切りに値切って物を買う。

 

泥だらけの子供がざるの中で眠っている。隣のざるには足を縛られた鶏が5,6羽、ケエッケエッと言っている。あるいは半分死にかかってだらしなく首をたれている。その隣には各種の動物の各種の排泄物がある。人類のもある。その隣では,体中縦横斜めにしわの寄ったばあさんがしわしわの胸をはだけて,切った西瓜を売り叫んでいる。からすのような声である。サンデイーヤ,サンデイーヤ,アガレ サンデイーヤ(西瓜,西瓜,西瓜召しませ,西瓜!)

 

ス‐ペルと呼ばれる,つまりスーパーマーケット,日本やアメリカにあるセルフサービスの店が無いわけではない。2,3度立ち寄ったが,あらゆる商品がうっすらと埃を乗せていた。店員が一人カウンターに仏頂面をしてうずくまっていた。果物,野菜などは総て古く,缶詰めでさえ買うきになれない。黙って品物を見せると,カウンターの男はぶすっとして値段を言い,聞き返すと2分ぐらいたってからうるさそうに返事をする。

 

どう見ても,ごろごろ転がっている赤ん坊を踏んづけそうになりながら,人いきれのむんむんする市場の中を歩く方が,自分も人も生きていると言う感じがする。

 

泥がある,泥がある! 私は東京から来たのだ。これがグラナデージャの中身なのだ。

 

 

 

 

 

 

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日本で育てた「トケイソウ」の花

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グラナデイージャの実

 

「タラポ」

 

サンタアナにもだいぶなれたころ,首都サンサルバドルまでバスで行った。空はカアッとはれていて,美しいと言うより恐ろしい。

 

サンサルバドルとサンタアナを結ぶ道路を走る間中、バスの窓からその恐ろしい空を,目玉見開いて眺めつづけた。新道と旧道があって,埃をだいぶかぶるけれど,旧道を通る方が面白い。その違いは新幹線と東海道線の違いだ。新しいものは便利だが味気なく,古いものは人間の歴史と生の生活が生きている。

 

ジャングルみたいな山の中を通るのも魅力だ。この木なんの木 気になる木 みたいな高い大きな木が,黄色の花が一杯着けている。この花は見事だったけれど,八年間の滞在の間,ついに名前を知ることができなかった。遠くの空の一角に,その黄色の花を見つけると,ああ,なんて美しいのだと思う。あの木の根元には安らぎがあるだろうと確信する。もしかしたら,あの木の廻りに,生々しい人間の声に渦巻く市場もあるかもしれない。

 

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ひどくがたがたするバスの座席にしがみつきながら,私はその時空を掠めて飛んでいる光る緑の羽根を着けた,尾の長い鳥を2羽見た。ケッツアルかな!?と私は思った。ケッツアルはグアテマラの国鳥だ。紙幣にも硬貨にもテーブルクロスの刺繍にも描かれている鳥だ。マヤ族の神鳥で伝説の主人公だ。

 

見たぞ。とうとう見たぞ,と私は感動した。伝説の鳥が生きている。日本では最後に残った神人まで戦後人間になってしまったのだ。私は決して文明を厭うているのではない。人間を殺す文明でなく生かす文明に憧れているのだ。その時私は見た鳥はケッツアルだと決めてしまっていた。

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バスが埃を巻き上げて止まるたびに,一瞬の間の売上を目指した人々がどこからとも無く土の中から立ち現れて,飲み物や果物やトルテイージャ(とうもろこしでできた,灰色の薄いパンのようなもの,この国の主食)に何かを巻いたのを高だかと差し出して,バスの周囲に群がってくる。すばらしい早さで物とお金が交換される。動き出すバスに食い下がってくる人々,体を半分ドアの外に出したまま発車の合図をするドアマンの少年,ぎゃあぎゃあ騒ぐ鶏を籠に入れて頭に載せて普通の顔をしている太ったおばさん,それらの中でわたしは見られる存在であると同時に見る存在でもあった。

 

さて,あの時私がかってにケッツァルと決めて感動した美しい鳥は,じつはケッツァルではなくて,サンサルバドルに住むようになってからも時々庭にやってきて,八年間私を楽しませてくれ,後に今にいたるまで,私の絵の題材になりつづけているエルサルバドルの国鳥,タラポ(別名トロヴォス)だった。

 

神鳥ケッツアルはグアテマラの博物館で剥製を見る機会が一度あっただけだったのは今でも残念な事だと思っている。負け惜しみではないが、タラポはケッツァルに劣らず高貴な美しさを持った鳥で,五代前ぐらいのおばあさんにでも聞けば,これこそエルサルバドルの神鳥だと教えてくれたかもしれない。

 

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グアテマラのケッツアルはこれ。タラポもケッツアルものちに私は画材としてよく描いたものだ。 

 

「蟻とキリギリス」

 

サンタアナに行く前に、主人の親戚のうちに、私は一月ほど食客なったことがある。そこに一人の女の子がいた。もう学齢に達していそうなのに,何時も家にいて人形遊びをしていた。

 

年はいくつか尋ねたら,七つだと答えた。七つで学校に行かないのかとたずねたら,その子の面倒を見ながら留守番をしていた高校生の叔母が答えた。学校は10月末から2月始めまで休みだと。

 

なぜそんなに休みが長いのか聞いたが答えない。わが母国日本でそんなに長い休みが有るときは,何か物騒な事件が有った時だから,闘争とか,紛争とか七つの子に不似合いな言葉を思い浮かべた。

 

しかしその子の叔母の当惑から考えると,どうも私は,なぜあなたは二本足で歩くのか,とか,なぜ夜は眠るのか,と言うたぐいの質問をしてしまったらしい。

 

小中高を通して,月曜から金曜まで,1日4時間の授業が有る。午前の部と午後の部があって,どちらかに通えばよろしい。その他の時間は子供達は太陽の下で遊んでいる。あるいは市場で親と一緒に稼いでいる。それで1日をすっかり使って夜は星を眺めて散歩をし、眠る。星はこの国では健在である。

 

ところで、エルサルバドルの気候は,10月から2月までが一番しのぎ良い。3,4月は酷暑で盛夏というところ,5月から9月まで雨季。雨季は寒いくらいだ。酷暑と言われる3,4月でも,朝夕は風が吹き,涼しい。昼の12時ごろから3時頃までが一番暑い。この間は昼食して寝る。たまたまその時刻町を歩くと,路上の日陰に人々が土と同じ色をして眠っている。

 

なぜ一年中で一番勉強しやすい季節に三ヶ月も休んで,酷暑や雨季に開校するのだろう。夏休みでさえ一ヶ月しかない、その夏休みでさえ夏季講習などで勉強する事が常識的なわが祖国日本で教職に就いていた者としての単純な疑問を,私はちょうど来た夫の知り合いにぶっつけた。

 

一番人生を楽しめる季節に楽しまないで,なぜ勉強なんかするのだ。と,彼は逆に尋ねてきた。

 

なぜこの国の学校では1日4時間しか授業をしないで,後は子供を放っておくのだ?と私が聞くと、

 

なぜ日本の先生は良い年した大人の癖に自分の楽しみも子供の楽しみも奪って,1日中子供を相手にしゃべりまくっているのが正しいと思っていられるのだ。と、逆に質問してくる。

 

一番良い季節を遊びに使うという考え方と,一番良い季節は勉強に使うという考え方の間には180度の隔たりがある。

 

しのぎやすい季節には灯火の下で読書をし、雪が降ればそれも明かりとしてやっぱり読書をし、夏になれば克己の精神で酷暑に耐えて予備校に通わなければ精神が落ちつかない...そう言う習性を植えつけるあの中華文明圏で育った私は,おかげでキリギリスの国に来ても馬鹿みたいに読書ばっかりしている。私は一生猛烈に勉強する為に500冊の本を抱えてエルサルバドルに移住してきたのだ。恐らく1年でこの500冊は読みきるだろう。

 

一万年前にベーリング海峡で袂を分かった同族とは言いながら,地球の裏と表ではまるで価値観が違う事を計算に入れていなかった。

 

私の祖国では,蟻のモラルの方がキリギリスのモラルより優れていると言う事になっていた。むしろ,キリギリスにモラルがあるとは認められていなかった。子供のころから,夏に謡って暮らしたキリギリスは冬に死ぬ事になっていた。すでに黒白はついていた。蟻の為にキリギリスのようなやつは死んでも良かった筈だった。

 

でも黒白を決める為闘ったアメリカはベトナム民族を根絶やしにできなかったぞ。かつて,ベトナム反戦運動に参加して青春の血をたぎらせた過去を持つ筆者は,ふとそんな事を考えた。

 

「サンタアナの夏」

 

サンタアナで「夏」を迎えた。3月である。下宿の中庭の鉢にサンタンカが咲いた。まっかなアジサイのような花だ。その茂みの中に体調3センチぐらいの鳥が巣を作った。下宿の女将が凄く喜んで,声を潜めて私に教えてくれた。しかし相変わらずここの人達はその鳥の名前を知らなかった。ただ愛情を込めて,パハリート(つまり小鳥)と呼ぶ。よっぽど性能の良いカメラで無いとあんな小さな鳥は撮れないなと思いながら,或る日こっそり写真を撮った。その鳥はサンタンカの花の廻りを羽を震わせて飛んでいる。ずいぶん後になってスペイン版の図鑑を買ってから多分それはハチドリだと言う事がわかった。殺風景な中庭が花と鳥の存在でやっと生きてきた。

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 サンタンカ

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ハチドリ(のちに私の絵の題材になった。この時はまだ画家ではなかった。)

 

市場は物凄くにぎわっていた。それまで見たことも無い野菜や果物が山とあった。それらを片っ端から買い込んで食べるのは楽しかった。メロンの山が売られていた。その値段を見て私はかなりあっけに取られた。日本の実家のそばの果物屋で,かつてメロンは高級品だった。おメロン様とでも表現した方がよさそうな扱いで,仰々しく桐箱に収まって,神棚の近くに鎮座して,一個4500円と言う値段がついていた。私は東京でメロンを買ったことも買おうと思った事も無かった。そのメロンがサンタアナでは五個30円。これ本当にあの「おメロン様」の親戚?

 

夜の町をエノク(つれあい)と歩いたら,怪しげな店でチュコと呼ばれる飲み物が売られていた。試すか?と彼が言うから,試した。灰色で見かけはそば粉みたいだ。どろりとしている。まずくは無い。飲める。しかしチュコとは,汚いと言う意味だと後で知った。この国は食べ物に無神経な名前をつける国だ。後でもっと物凄い名の食べ物を発見したときそう思った。

 

赤道に近い国だから,覚悟はしていたものの暑かった。この国はもともと貫頭衣の国だったのに,キリスト教徒が世界中を歩き回ってブラジャーを押し付けて回ったから,おかげで赤道直下の国でも窮屈な思いをしなければならない。かくして高音多湿の南太平洋の島々にも,赤道直下のアフリカや中南米のジャングルにも,おっぱいを出して歩くことがいかに野蛮で恥ずかしい事であるか,いかに挑発的で罪深い事であるか,と言う思想を植えつけ,おかげでどこの国でもブラジャーをしない女はすなわち商売女であると判断しても良いという感覚を蔓延させてしまった。

 

これはキリスト教が布教に成功した例である。しかしキリスト教が布教に成功したのは無ブラジャー文化地帯にブラジャー文化を布教した事ぐらいに尽きる。中南米はスペインカトリックが荒らしまわり,マヤ,アステカ,インカ文明を亡ぼして,カトリック化したとか,諸語を廃してスペインごを押し付けたとかで有名である。

しかし私の目には,このラテンアメリカカトリックが普及しているようには映らなかった。なるほど教会は建っているし,人々は教会の前で十字を切る。クリスマスには大騒ぎをするし,神の名は口にする。しかし彼らは月も信仰の対象にしているし、さまざまのタブーに動かされて行動するし、カトリックの諸聖人がキリストと同格の神様らしい。教会はここの土地の神様に間借りをしているに過ぎないように映る。要するにカトリックの神様に名を変えたマヤの神様が彼らの心に依然として生きているということだ。私はこの事を,クリスマスの市でクリスマスの飾りとして売られているものを見て悟った。

 

クリスマス前に市場に行ったら,聖母マリアや幼子キリストの像と並んで,私は鬼子母神のようなものが子供をくわえている像を見つけた。これはクリスマスの飾りか,といぶかしげに私は聞いた。そうだ,と筵に座って商品の番をしているおばさんが答えた。これはどう言う意味だと聞いたら,神様の一人だという。教会の神様かと聞いたら,そうだと言う。その昔隠れキリシタンが,マリア像の代わりに観音像を持ってマリア像として拝んでいた,アレなのだ,と私はその時思った。ははあ,これがキリスト教の正体か。

 

暑い夏にブラジャーを着けなければならない悔しさに,私はブラジャーについて深い考察を試みた。

 

「ブラジャー文化考」

 

私は運命か摂理か気の迷いか物好きか知らないけれど,この国の原住民の一人と結婚する為にここに来たのだ。前年の10月まで東京で教師をやっていた。教師は一種の布教みたいな仕事だった。教育とは本来自然なものを不自然にする仕事であり,その不自然の基準は、どんな気候条件のところでもブラジャーをつけることが正しいとするあの真正なキリスト教徒の布教精神と同じく絶対的なものだった。暑くても寒くても6月は夏服に,10月は冬服に変えなければ校則違反と考えるのが常識である社会になれていた。

 

しかも東京は私にとって世界文化の中心であり,宇宙そのものだった。東京の価値観は真理だった。しばらくの間私はこの国に有る物総て,受け入れがたい思いで,一歩引いて眺めていた。長年の癖で学生の姿を求めたが,歩いている学生は、私の頭の中にある学生とは程遠い存在でしかなかった。 私は世界中の国に行って,劣等感か優越感を持って物事を判断する日本人の一人である。地球上の諸国を先進国と後進国にわかつ習性を持っている。開発途上国と言おうと蛮国と言おうと,言おうとする内容は変わらない。便所とトイレの違いぐらいしかない。要するに,自分の価値の基準を変えずに評価する,または裁く態度がそこに有る。

 

働く蟻は歌うキリギリスより善であると言うあの思考方法がつねに支配的だ。欧米に行っては劣等感を感じるあまり,帰国後欧米の生活様式を布教したがる。中南米,アジア諸国に行っては優越感に浸り国粋主義者になる。これはブラジャー文化布教に成功したキリスト教徒の善悪,優劣,黒白に総ての物事を分けて評価する精神構造と相通ずる所が有る。

 

(誤解の無いように,キリスト教徒とは,主に西洋人を中心としたキリスト教の布教者であって,キリスト教でもキリスト自身でもない。かくいう私はカトリック教会に席を置いている。)

 

赤道直下の国々に行って男にネクタイ,女にブラジャ-を強要し,氷の国に行ってはテイーシャツ,ジーンズを流行らせ,アフリカを未開だと言い,イスラムはポリガミイの国だから不道徳だと言い,欧米は武器が一番発達しているから文明国であると判断する。その思考方法から見たら,この国エルサルバドルはほとんど住めない国である。

 

私が,どこの馬の骨か分からない男と結婚するのかと言う家族の罵声を振り切って終の棲家と選んだ国,その国はいわゆる開発途上国である。よほどの金持ちで無いと電気洗濯機などお目にかかれない国,町中排泄物の臭いに満ちた国,乞食が繁茂し,子供は裸で歩く国,交通機関は昭和20年代程度のバスとタクシーしかない国,鶏は生きたまま売っている国,国土は四国ぐらいの大きさで,コーヒーしか産出しない国,公害なんかありようが無い国,星と花が美しい国,グラナデイージャがうまい国である。

 

私が本当にこの国で後の半生を暮らす事を自分の人生の最終的な選択として選ぶなら,それは,物の考え方も尺度も違う,道徳も教育文化の有り方も違う,その総てを丸ごと,自分本意に変えることなく,日本文化の布教を試みず,受け入れてしまう外は無い,そう言う態度が要求されるだろう。

 

私の子供のころ,日本にだってブラジャーは無かった。秋津島瑞穂の国は,電車の中で母親が平気でおっぱいを出して赤ん坊に乳を飲ませる事を恥とは思わぬ国だった。私の子供のころ,たらちねの母は健在だった。戦後,私の母が婦人雑誌を見て、“乳バンド”なるものを作って身に着けていたのを覚えている。乳バンドはその後,ブラジャーと言う言葉に進化し,秋津島瑞穂の国に定着した。和魂洋才の日本は,キリスト教は受け入れなかったが,ブラジャー文化は受け入れた。

 

和魂洋才とはとりもなおさず,心を変えずに文化の形態のみを受け入れる事だ。 と言う事は私だってかつて形態上はブラジャー文化に征服された国にいたのだ。しかも優れて自国の文化と異国の文化を融合させる技術を持った民族の一員なのだ。

 

そうか,と自分は考えた。自分も変えずに人も変えない,そう言う事ができるかな。

 

「ブラジャー文化考」2

 

私は或る時,二日ばかりだったが,隣の国,グアテマラを散歩する機会を得た。

 

エルサルバドルから飛行機で、グアテマラに降り立ったとたん,私はまるでそれが現実の世界ではないように感じた。町はインデイオの色に満ちていた。インデイオの女性達は原色の美しい織物を身につけ,リボンを編みこんだ長いお下げ髪をたらして,赤子を背に,荷物を頭に,町にひしめいていた。町が赤い!と私は感じた。身につけている縞の織物や,荷物を包んだ風呂敷や,赤子を背負う背負い布が皆赤っぽかった。髪飾りも華やかで色が見事だった。

 

彼らは観光用に歩いていたわけではなく,一般の生活者として生きていた。ほとんど呆然として私は人々の群れを眺めた。アメリカ大陸の中にあって,しかもこんなにアメリカに近いのに,ここはアメリカ文化に汚染されていない!一般の生活者の中に,ティーシャツがいない。ジーンズがいない。ミニスカートがいない。20数年前日本ではミニが流行っていた。私もひざより上のスカートを身につけていた。ティーシャツにジーンズ姿は旅行者だけだった。

 

も も も もしかしたら,この国の人々は1000年間ぐらい,自分の文化を守り抜いてきたのかもしれんぞ。

 

グアテマラは90パーセントの国民がインデイオで,10パーセントに満たない植民地時代の白人が支配している。インデイオの教育は顧みられない.…と,或る観光誌に書いてあったのを読んだことがある。(1970年代のこと)

 

多分,と自分は考えた。どこでも横暴な白人がここではインディオを自分流儀に教育したりしないから,今でもこの鮮やかないろとりどりの織物に身を包んだ人々が,自分の文化を保っていられるのだな。その時私は浅はかにも,白人がこのインデイオ達の文化を尊重して手を触れないのかと思って感動したのである。

 

私はこの時、この国の原住民が長年の白人の支配のもとで、軍事政権から原住民掃討作戦の対象になり、30数年間白人の虐殺に耐えて来た民族である事など,その時知る由も無かった。

 

私はその歴史を知らなかったとはいえ,自分にとってかくも異質で,しかも現代文明の汚染を免れている民族の姿に感動した。それは異質であったが,まさしく固有の,それ自身価値を持った文化なのだ。

 

エルサルバドルは混血の国である。何が固有であるのか分からない。しかし彼らは混血なりに混血の生き方をしている。インディオ的であり,スペイン的であり,混血的である。マヤの神々もキリストも混血的である。私がこの国を受け入れると言う事は,この混血文化を受け入れると言う事である。

 

ブラジャー文化と無ブラジャー文化を同時に受け入れ、ポリガミーとモノガミーを同時に受け入れ、蟻とキリギリスを同時に受け入れ、灯火親しみながら太陽を浴び、キリストとアラーと仏陀とお月様とおいなりさんを同時に受け入れ、生きた鶏を食卓に運ぶ神経を養い、値切りに値切って毎日同じ物をべつの値段で買い,原語交じりのスペイン語を日本的思考方法でもって使いこなす。そう言う心構えで生きて行くと言う事だ。

 

私は故国を賛美しすぎる事が,もう故国に帰る予定のない私の精神衛生にとって危険である事を知っていた。

 

しかし私は,グラナデイージャの冷たい汁を乾いた喉に流し込みながら,この国に住めるかな,ノイローゼにならないかな,公害をもたらすあの現代文明が恋しくならないかな,などと考えた。私は始め,星と花ばかりを眺めていた。日本からもってきた工芸品を穴のあくほど眺めつづけた。美しいものがほしかった。美しい臭い,いや,せめて,無臭状態,ほんの少しの清潔さ,文化の初歩,自分の価値観に少しでも近い物を捜し求めた。

 

私のこう言う心はグアテマラを散歩してから変わり始めた。私が自分のもっている文化のみを正しいとする態度は,ナチがユデァ人を虐殺し,スターリンが仲間を粛清し,アメリカがベトナムを攻撃している態度と何ら変わることは無いだろう。もしそれらを間違いだと言うなら,私がエルサルバドル人に背を向けて,ひたすら日本の工芸品に頬を摺り寄せているのも間違っている。

 

日本のように,一億国民総学生で、何も生産活動に従事するものがいない状態が文明的、すなわち、善とはいいがたく、高校にも大学にも行かないで、スペイン以前の生活を保持したまま生産活動に従事しているインディオは必ずしも非文明的,すなわち悪ではない。お互いにお互いを布教する必要は無い。同時に,外側がみすぼらしく見え様と,開けてみたらどんなものが発見できるか分からないこのエルサルバドルと言う国を,開けてみても良いじゃないかと思ったのだ。

 

グラナデイージャは開ける前にみすぼらしいけど食べてみようと,開ける前に受け入れたのだ。これで行こう,と私はやっと長い戸惑いの末にたどり着いたのである。

 

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カトリックとやらの神様たち(残念ながらあの人食い女の写真は撮らなかった。)

 

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グアテマラの普通の人々(別にわざわざ「民族衣装」という必要ない。)