Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」10月23日

「仏教との出会い」(4)

「象と盲人のたとえ」

 

「ヤーヴェ」と「法」は定義上同じものらしいと、この際論争中の真宗男と私の二人だけの合意で、話を進めるけれど、そもそも「法」とはなんなのだ、と私は真宗男にしつこく聞いた。

 

「法」と言う言葉の響きは、何か、人間を規制するような響きがある。先ほどの二人の合意点を仮に真理とするならば、キリスト教徒はそのヤーヴェ:原存在の名において、意味不明の「法」を「父」と呼んで崇めていることになる。

 

イエスは旧約の律法至上主義(いわばヤーヴェを律法そのものと考えた主義)を愛を優先させることによって克服したのであって、「法」をヤーヴェだという真宗男の考えに、ふと、疑念を抱いた。

 

おまけに彼は浄土真宗の門徒である。浄土真宗は阿弥陀信仰を持っていることになっているから、その「法」と「釈迦」と「阿弥陀さん」の関係がわからない。ひょっとしてひょっとしちゃうと、これって、三位一体?

 

もう少し知りたいと、私は真宗男に詰問した。

 

この友人は私と同様、かなりのパラノイアらしくて、一つ質問すると、研究をしまくって怒涛のように答える。内容も深いし、仏教用語が邪魔して私にはわかりづらい。だから、わかったところだけをつまみ食いしながら、付き合わざるを得ない。

 

(会話を全部そのまま載せてもいいけれど、それでは私が自分の問題に取り込みながら考えて書くこのエッセイの意味がない。だから、私の仏教理解は「生まれつきのカトリック信者の頭を通しての理解」なので、仏教徒にとっては意味ないだろうと思うけど、読者の中の仏教関係者の方々、気にしないで欲しい。というか、当のカトリックも、プロテスタントも、私のこの心の旅を自分とはかかわりないものと思うだろう。所詮こういうものは、独り言だから。)

 

で、私の質問そっちのけに、パラノイア同盟の真宗男は長々と「盲人と象の話し」

を書き送ってきた。

 

かいつまんでいうと、こんなところかな。言葉は私流儀に書き換えてある。意味だけ取ってください。

 

「ある王様が、国中の盲人を集めて、象を触らせた。で、一人一人に、象とはいかなるものかと、問いかけた。盲人は、それぞれ自分が触れた象の部分だけを全てだといって、お互いに争った。鼻に触れたものは、象はでかいホースのようだといい、耳に触れたものは、象は座布団のようだといった。おなかを触ったものは象とは、穀物を入れた頭陀袋のようだといい、足を触ったものは、象とは樹齢50年ぐらいの木の幹のようだと主張した。

 

言いたいことは、盲人は象の全体が見えないから、自分の触れた部分が象なるもののすべてだと言い張ったという事実である。

 

で、この盲人と象のたとえで真宗男が言いたいのは、「法」にせよ「在りてあるもの」のヤーヴェにせよ、「真理」とは、限りある人間にすべてを把握できるような代物ではなくて、一人の人間が把握して、信じているものは、真理のホンの一部に過ぎない、「法」とはそういうものであって、「法」の前に人間は盲人なのだ。と言うことのたとえのようだった。

 

つまり彼は、この逸話を提示することによって「法」の解説を避けたのである。

 

なるほど、と私はこの回避の仕方に満足した。

 

これは「法」と呼ぼうが、「ヤーヴェ」と呼ぼうが、世に「真理」と言われるものがあるとしたら、それは限界ある人間の頭ですべてを把握できるものではない、定義を求めることが、そもそも無知であり、法なりヤーヴェなりの定義は、このとおりだということ自体ナンセンスだということの説明に他ならない。

 

宇宙に原存在といえる真理が存在する。ある人間集団はそれをヤーヴェと呼び、自分の民族の軍神として捕らえた。ある集団は、これを太陽のごとく捉え大日如来と呼んで、他の呼び名を排除した。ある集団はこれをアラーと呼び、アラーのほかに神なしと宣言した。彼らは一人一人、「原存在」の耳を触り、尻尾を触り、足を触り、鼻を触り、それがすべてと感じたて呼び方を決めただけ。

 

で、お釈迦さんはこれを「法」と呼び、法とはなにかと言う問いに答えず、人間の無明の状態のほうに、注意を促したらしい。

 

人間はすべて、真理の一部を触っている盲人に過ぎず、誰も真理のすべてを把握しているものなどいない。人間の争いは、すべて、自分が盲人であることに気付かないところから来る。

 

ほう! これは凄いぞ、と私は感じた。私はその時、自分が実生活において、知識を求めまくっていた自分が、ただの盲人であったことを、雷に打たれたごとく悟ったのである。

 

釈迦は歴史上の人物である。その人間的歴史的事実はどこにでも書いてあるから割愛する。釈迦が産道を通らず母親のわきの下から生まれたとか、天上天下唯我独尊言って、3歩歩いたとか言う伝説的なものは、凄く喜んで信じている人がいるのも知っているけれど、思考に邪魔だから、尚のこと割愛する。

 

なんだか古代の偉人聖人の伝記作家は、自分だって男女の性交によって、女性から生まれたくせに、ひどく女性が穢れたものと考えていたらしく、偉い人を処女から生まれさせたり、産道を通らずに、穴がないわき腹から生まれたりさせたがるので厄介だ。

 

(ところで、とあるカトリック神学者ー実は他界した私の実兄ーの説を聞いたことがあるけれど、マリアが処女であることの意味は、イエスをユダヤの宗教的伝統と家父長制の枠からはずさないと、世界宗教としてのキリスト教の成立の邪魔になるから、その意味で、マリアだけから生まれたように設定したらしい。すみませんね、「設定」なんていうパソコン用語使っちゃって^^。何しろ、パソコンでこれ書いているもので・・・)

 

その釈迦が紀元前のある時代にインドのある地方に生まれて、人間としてのある期間を生きた後、家を出て修行をして「悟り」を開き、人々に「法」を説いた。彼は何かを「信仰」せよとか、まして、自分自身を拝めとは、一言も言わなかった。彼が説いたのは、単純化して言えば、人間の苦(煩悩)の克服であり、色即是空、空即是色の真理であったらしい。

 

(実はね、私のある親戚が、この「色即是空」の意味を「色っぽいことは空しい」という意味だと思っていたと言っていたのが、すごく気にいっているんだ。そりゃ、かなり空しいよね^^。)

 

その後何世紀もの間、アジアの各国で、釈迦は神格化され、伝えられた土地の民間信仰と融合し、キリスト教の歴史と同様、その実態が変化した。

 

私のような門外漢がおぼろげに仏教はこうだと思っているのは、その「民間信仰」と融合した仏教であるらしい。仏教には神がない。仏教における神とされるものは、仏教の出身母体であるバラモン教の神々であって、仏教には拝む相手はないのだ。ひたすら自己と対峙して「悟り」を開くことが、目的なのだそうだ。

 

だったら一体、阿弥陀如来ってなんなのだ。

 

私には、仏教美術の中のあまたの名前が付けられた仏像たちの姿が浮かぶ。触ると目の病気が治る観音様や、子どもを授けてくれるお地蔵さんなどが目に浮かぶ。

 

尤もスペインカトリックの古い教会には、同じような目治しマリア様がいて、視力の落ちた土地の人々が隊列をなして通っているのも知っている。実際その隊列の中に潜り込んで、何事だろうと私は見に行ったからね。

 

宗教って、創始者の思惑を無視してみんなそういう風なご利益宗教になりやすいのだ。これはどうも、人間が「無明」だからしい。呵々大笑。

 

私は、真宗男が極めて論理的に語る仏教と、あの仏像群の関係がわからない。多分それは、カトリック教会にごろごろしている聖人像に惑わされて、カトリックも多神教だと思ってしまう感覚に似ているかもしれない。中米のカトリック教会なんか、現地の神様まで飾ってある。ジャガーもいれば鬼子母神もいる。グアテマラのある地方の教会なんか、十字架の上にジャガー像がある。ジャガーはマヤ民族の守り神だ。ただの飾りじゃあないことを、私は知っている。スペイン人が民族の神殿を壊した上にカトリック教会を立てるとき、マヤの守護神をそっと忍び込ませた原住民の心意気に、私はそっと賛嘆する。

 

ただし、私は教会内に立っている、そういう有象無象を拝んだことはない。だいたい、祈りって、教会でなくても、どこでも祈って有効だよ。

 

仏教の仏像群も、外から見ただけで判断するのはまずい。聞いてみようと思って、真宗男に突っ込んでみた。

 

「仏教との出会い」(5)

 

「方便と言う考え方」

 

先に結論を言うと、結局私は阿弥陀さんの意味がわからなかった。彼は、阿弥陀さんを「実体ではない」とも言うし、「物語の主人公」だとも言うし、「メッセージの表現」だとも言うし、「方便」だとも言う。

 

思い余って私は、真宗男に、「阿弥陀さんて、一体どこから湧いたんだ?」と聞いたら、「大乗仏教の中の菩薩団の中から湧いたんだ」という。やっぱり、「湧いた」んだ^^。

 

大乗仏教誕生の歴史は、又、煩瑣なので、これもどんどん割愛しちゃうけれど、阿弥陀如来が登場してくる人間の心の歴史には、なんだかキリスト教の救世主、イエス出現の考え方との接点があったのではないかと考えている。当然これは、私の我田引水である。

 

ただし、彼の説明には、本当に三位一体のごとき話が出てくるので、三位一体という表現に慣れている私には、そう理解する方が理解しやすい。つまり、仏にも三種類があって、仏教では、法身仏、報身仏、応身仏というらしい。以下に、私は彼の説明をそのままコピーする。私の理解で捉えたものが正しいかどうかわからないから、読者各自で答えを出せばいい。(カッコ内は私の解釈。カギ括弧は真宗男の説明。)

 

「法身=はじめも終わりもない真理。(ありてあるもの「ヤーヴェ」に当たるかも^^)

報身=本来はじめも終わりもない存在であるところの法身の一部が特殊化したものだと考えられる。特殊化をした時点を一応の始まりとみて、はじめがあって終わりがない存在。(イエス様に当たるかも^^)

応身=肉体をもっていた、まったく人間の姿をして生まれ死ぬ「仏」、これ、釈迦かな。とにかくはじめあって終わりのない仏。(カトリックの「聖人」に当たるかも^^)

 

法身からあふれ出す慈悲が、一切衆生を救わずにはおれない、という願いとして現れた報身となり、さらにその慈悲が釈迦という肉身となってこの世界に具体的な形となって現れた、という解釈になっていく。」

 

で、阿弥陀如来は、「法身からあふれ出す慈悲が、一切衆生を救わずにはおれない、という願いとして現れた報身仏」であって、つまり「慈悲のメッセージに名前をつけた姿」ということらしい。それを仏教では「方便」と言うらしい。

 

(ヤーヴェからあふれ出す愛が、人類の救いを願って、その救いの願いとして現れた御子イエスが救いのメッセージを伝えた・・・。

どお?ちょっと代入法で当てはめてみたけど。^^)

 

カトリック信者としての、我田引水的考えで言うと、キリスト教はユダヤ教の伝統の中から、もともと存在のもととして戴いていたヤーヴェを人格化して捉えてきた。イスラエルの歴史の中で起きてきたさまざまな出来事を、彼らはこのヤーヴェの視点から捉え、書き記した。それが旧約聖書と呼ばれるものだな。

 

彼らは、原罪を犯した人間とヤーヴェとの契約と言う形で「救世」を約束されたと考えた。この流れの中で、イエスの出現をヤーヴェから送られた救世主、「ヤーヴェの人間化」(受肉)と言う形で捉えた。(原罪:人間がヤーヴェを越えようとした)

 

一方、仏教の考え方の道筋は、その逆で、まず釈迦が現れて、説いた教えを実践している教団から、釈迦をこの世に送った存在は、何かと言うところに思いをはせ、釈迦は法(真理)の化身であり、法身仏なる「存在の元」が慈悲によって、人類を救済するために送ってきた仏という考えに至ったのではないかと思う。

 

そしてその釈迦を送ってきた存在に、「阿弥陀如来」と言うあだ名をつけたのではないかと。

 

釈迦滅後数世紀後に結成された大乗仏教の菩薩団(衆生の救済を念じて修行する人々の集団)は、釈迦と言う一人の偉大な人物の教えを思うとき、どう見ても只者とは思われない釈迦をこの世に送ってきた存在を「想定」せずにいられなかった。それが阿弥陀仏。阿弥陀仏はそういうわけで、「報身仏」と呼ばれる。

 

真宗男は、イエスを「神の子」と言うキリスト教徒の伝統的な呼び名を避けて、「イエス如来」と呼ぶ。如来とは「真理から来た者」と言う意味だ。だったら、その呼び名は整合性がある。

 

仏教には、さまざまな「如来」がいる。「いる」と言うか、方便によって設定されている。多分、推定の域をでないが、その多くの「如来」なるものは、キリスト教における「天使」にあたるかもしれない。大天使と呼ばれる天使なるものが、いろいろな決定的瞬間に出てくる。マリアに受胎告知をしたのも、大天使だから。

 

ふと私は、自分が子供の頃、苦しんでいたときに忽然と現れて自分を助け、消えていった人々のことを、「羽なし天使」と呼んでいた過去を思い出した。あまりに適切なときに現れ、ひとり立ちできるようになると、消えていった、追いかけても捕まえることができなかった、あの不思議な出会いのことを。

 

仏教における仏たちは、もしかしたら、個人的な私の記憶にあるようなものの延長で、もっと規模の大きい集団を救った「羽なし天使たち」かもしれない。すくなくとも、阿弥陀如来が「想定」されるまでの、古代インドの人々の心理の構造は、私の個人的経験から来る「羽なし天使」の形成とよく似ている。私の中に、夢にうつつに、出会った「羽なし天使たち」の影がよぎっては消えた。 

 

「仏教との出会い」(6)

 

「ちょっとここで、伏線としてのキリスト教の話」

 

私が高校時代に出会って、いつも心に抱いてきた言葉がある。それは「汝らのうち罪なき者、まず石もてこの女を打て」と言う言葉だ。

 

その言葉は、宗教の授業ではなく、文部省選定の国語の教科書に出ていた。その言葉に出会ってから、私はいつもこの言葉を眺めて生きてきた。イエスの無条件の愛を自分に向けられたかのように感じて、勝手に感動していた。

 

そう。この言葉には、イエスの「無条件の」愛が見事に表現されている。キリストより前に出てきた預言者、洗者ヨハネは「悔改めよ」と叫んでいた。彼は救いの条件を「悔改めて」「水の洗礼を受ける」こととした。そして現代の多くのキリスト教徒も、「悔改め、洗礼を受けること」を、救いの条件としている。

 

キリスト教の元祖といただくイエスが救いに何も条件をつけていないにもかかわらず。

 

「罪の女」をかばった時、イエスは一言も、「救いの条件」の話はしなかった。イエスが群集に向かって放ったこの言葉は、「無条件の愛」の表明だ。救いの条件として、「悔改める」ことも、「信じる」ことも、「洗礼を受けること」も、制定などしなかった。彼は、「悔改める」のを待たずに、罪の女とされ、殺されようとする女性を救った。これは、ユダヤ教の伝統的な律法違反の人間に対する、「律法を無視した愛」だった。

 

その愛の意味に、若くてまだ深く考えが及ばなかった私は、あたかも、自分に対してかけられた言葉であるかのように、感動して大事にしていた。

 

「合法的に」殺される寸前だったこの女性は、イエスの愛に感動して、イエスについていった。信じてから悔改めて、その条件によって赦されて、条件を満たした後救われるという、儀式や段階を経て、ついていったのではない。

 

イエスは救いの「条件」を出さなかった。後世の教会が何をいおうと、彼は救いの条件に儀式的な懺悔や洗礼の条件など、提示しなかった。

 

この場面の彼の言葉にはどんな人間も逆らえないほどの気迫がある。「お前たちのうち、罪がないものがいるのか!?いるのなら、この女を石殺しにしてみよ!」と彼は群集に向かって、吼えた。

「自分にだけは罪がなく、人を裁ける人間であるとうぬぼれているやつが、いるのか。」

そういう問いを、彼は律法をほとんど神そのものだと思っている群集に向かって投げかけた。

 

群集は彼の、魂をえぐるような問いかけに、律法を盾にして反論することが出来なかった。彼は罪の女とされた女性の命を救ったばかりでなく、居合わせたすべてのものに、自分の心と対峙して、人間とはいかなるものかに目を向けさせ、覚醒を促した。彼は女性の生命を救ったが、群衆に対してはその心を救ったのだ。

 

他に聖書のどんな部分を読まなくてもいい。イエスの救いの意味はこの言葉に集約されていると、私は思ってきた。

 

エルサルバドルにいたとき、散々聞かされた、スペインカトリックの残虐な歴史のなかの一こま。

 

あるスペインの兵士が自分が強姦した原住民の女性が子を孕んだ。ところが、その女性は洗礼を受けることを拒んだため、男は、女の腹を掻っ捌いて自分のDNAを持つ赤ん坊を引っ張り出し、その子に洗礼を授けて、殺した、と言うのだ。それほど、洗礼というのは、救いの条件として人々を呪縛し、なんでもいいから洗礼の水を引っ掛けて授けちまえば、すぐに死んでも安心だと信じられていた。

 

教会の呪縛の中で生きたイエスなき、キリスト教徒の成れの果てとしかいいようがない。教会の組織の中に取り込まれたイエスは、その後、救いのために多くの条件を付与されてきた。

 

生きた生の人間イエスは、救いに洗礼の条件などつけなかった。彼が救った「罪の女」といわれた女性に、彼は洗礼を授けなかった。聖母マリアといわれる彼の母も、12人の弟子たちも、洗礼も受けず、教会にも所属せず、教会維持費を払わず、特に悔い改める儀式をせず、「聖人」と呼ばれている。ゆえに、聖母マリアも12人の弟子たちも「キリスト教徒」ではない。