Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

一神教と多神教

一神教多神教

私はいつも思うのだけど、日本の神々をGodと訳すのは翻訳ミスではないかということ。

その訳語を基本として分類すると、ユダヤ教イスラム教、キリスト教一神教で、その他は全部多神教、という分類になっている。そこには、そもそも「神」なる物の定義もなく、Godなる物の定義もない。一人だ、多数だ、というだけ。一人だという時のGod なるものと、多数だという時の神なる物の定義が同じわけないと、私は思うんだけど、この訳語に疑問を持たずに、喧嘩するのが、どうも人類は好きらしい。なんでもいいからいいがかりで喧嘩状態を起こして、相手を政治的に征服することが目的としか思えない。

世界中を征服するためにキリストをさんざん利用したカトリック国や、カトリックと喧嘩別れしたキリスト教圏の指導者は、教義上の矛盾なんかおかまいなく、いまだに喧嘩の種を宗教上の信念の所為にしているらしい。ばっかみて~。

カトリックには、天使とか聖霊とか聖人とか、ともかくGod の分身みたいな霊たちを信じているような向きがあるけれど、あのカトリックの天使とか聖霊とか聖人とかいうのが、むしろ日本の神々に近い。日本では、人は死んで神になるんだから、カトリックの聖人と同じだ。ただしカトリックの聖人の方は、人が死ぬと、生きている人間の権威者が、聖人の位を授与するのであって、男優位社会の聖人は、ほとんど男しかならなかった。あんなへんてこな聖人昇格制度はキリストの精神に反していて、日本の神々は人が死んだら無条件に神になれるところ、むしろ本来のキリストの精神にあっている。

で、天使や聖霊っていうのは人間がなったものでなく、霊界に本来うじゃうじゃ存在するもので、God の手先になってなんだかやらかすらしいよ。仏教には「如来」というものが存在して、其れは「真理から来た者」という意味だそうだ。だから私の知り合いのある仏教徒はイエスキリストのことを「イエス如来」とか言っている。私はそれ、気に行っているんだけど、くそ真面目なカトリック信者に其の話したら、毛虫を見るみたいな目つきで、退けられた。毛虫にだって霊が宿るそうだよ、なんて言っちゃったら、こわいね、カトリック信者。

カトリックでは普通、イエスキリストのことを「God の一人子」と言い慣わしてきた。別にそれに反対する気はない。彼の残した言葉を見ると、彼はまさに、「真理から送られてきたもの」に違いないから、それを「真理なるGod の子」と表現するのに、問題はない。「表現」なのさ、それは。

それより、カトリック教会は、(他の教会のことはしらないから言わない)父と子と聖霊の三位一体とかいう、まるでとてつもなく矛盾した論理を言い慣わしてきて、一体なんだから一神教だという帰結に持っていくらしい。しかもわけわかんないのは、イエス様を生んだマリア様を「神の母マリア」と言い慣わしてきて、一体のはずの父なるGodは天地創造のGod だというのに、天地万物の創造主に其の又母がいるという矛盾に気がついていない。一度ある神父さんにその話したら、ぶんなぐられそうになった。

まあね。宗教には矛盾が付き物。もともと論理的な思考を超えたもんですから。

ところで、其の神々をまつる日本の神社の親玉に、名高い靖国神社がある。日本の指導者が参拝すると、隣の国が文句を言う、あれ。私は靖国神社に行ったこともないし、これから行ってみようとも思っていない。だからと言って、誰かが靖国に行くことに、わざわざ反対するのは、余計な御世話だと思っている。戦勝国によって戦犯と呼ばれた太平洋戦争の日本の指導者が「神」として祀られているから、けしからんのだそうだけど、原爆落として日本の一般市民を大量虐殺したトルーマンは、「神」じゃないから英雄のままで誰が墓参りしてもいいのかな、と不思議に思う。これをいうと、他人の思考をすぐに政治的な発言と同様と考えるあほどもが、お前は右翼だとか言い始めるが、私は何も政治的発言をしているのではない。研究もせず、考えもしないで、他人の信仰行動に口を出すものではないと言っているだけだ。

死者が神になるという古代からの神道の信仰が、意味をわからない異民族からの攻撃を受けるのは、「神」を「God」と訳すからで、日本人は誰も、人が死ぬと皆「ヤーヴェ」になるなんて言っていない。「ヤーヴェ」は「神」ではなくて、「在りて在る者」「自在」「第一原因」である。日本人が知っている宗教用語に強いて訳すなら、「真理」「法」である。擬人化されて伝えられているから、その様に解釈できないだけだ。

「真理」「法」は本来の意味からすれば、多数あるわけはない。精霊である「神」が、どんなに多数いようと、「法」が多数あるわけではない。仮にカトリックが、一神教と分類される「ヤーヴェ」を戴き、うじゃうじゃいる天使聖人を生きている自分たちを守る者として尊敬するなら、多神教と分類される国々の庶民の考え方と矛盾しない。だったら、十字軍を派遣して異民族を殺す理由は全く存在しないのだ。

日本人は誰も靖国に祀られた神々が「真理」であるとも「法」であるとも思っていない。古代、無念のうちに死んだ 平将門も、崇徳上皇も、菅原道真も、神として祀られているのは、死んだ魂を「神」と呼ぶからであって、生前の敵が神となった政敵を祀り拝むことに、誰も反意を示さない。

いちいち神学の研究をしたり、民族の宗教について深い考察をしたりしない一般庶民が、ご先祖様を拝もうと、路傍のお地蔵さんを拝もうと、他人が口を出すことじゃない。私はそういうことを言っているだけで、政治的発言をしているわけではないので、右翼呼ばわりされるのは迷惑だ。