「自伝及び中米内戦体験記」9月7日
定職にこぎつけるまで
(ここに記述の固有名詞は、実名を控えております。心当たりの読者の方、どうか、ご指摘をお控えくださいませ)
1)高校教師への道
修道院を出てから、私はとりあえず家庭教師をやって食いつなぐと言う、長年やってきた不安定な生活を続けた。母は渡米して姉のところにいて、私は一人でお化け屋敷みたいな家の中で、闊歩するねずみと共に暮らしていた。(これ、ほんと!)
仕事が不安定だったころ、かつてのシスター仲間が時々私の生活の仕方を面白がって訪ねてきた。うれしかった。修道生活の続きのような錯覚の中で、彼女達と議論をして時を過ごした。
しかし私はあの「歓喜の」体験以来、自分の心の中に突き上げる思いを何とかして実現したかった。
個人教授を紹介された一人の生徒がいた。修道院時代、教壇に立っていた学校の生徒だった。真面目な子だったが成績が悪かった。中3の数学を教えていたが、どうしても未知数Xの処理ができなかった。どこから迷い始めたのか探すためさかのぼって調べて行った。教えた事に対する理解力はあるのに、どこを間違えるのだろうと思い、試しに 2X+X=3 と言うごく初歩の代数問題を出して、彼女の思考方法を追った。
ところが彼女は X=1を導き出すことができなくて、なんだか頑固にX=3/2 と主張して譲らない。
ダメだ間違いだという前に、彼女の思考回路がつかめなくて困った私は、其の答えを出すまでの経過を説明させた。そこでやっと彼女の論理がわかった。
Xに係数が無いとき、彼女は係数を0と考えた。彼女は「見えないから0なのだ」と主張する。其の考えに私は飛びついた。宗教問答をやっているわけではないから、見えないものを0と見た彼女の思考はある意味で正しい。
「すごいなあ。確かに見えないものは0だねえ。」と、散々感心して、あたかも私が納得したかのように思わせた。そこで私は教科書を遠くに掲げて、「ほら、数字を考えないけれど、数字でないものがあるでしょう。何があるか見なさい」と言った。
「2XとXがみえます。」と彼女は素直に答えた。
「ね!」と私は言った。「Xの前に2があるのと、Xだけのがあるでしょ?つまり、Xは見えるでしょ?Xは『ある』んでしょ?」
「はい。」彼女はじっと、遠くに掲げた文字と数字を見ている。
「ね?見えないものはないけれど、見えるものは、確かに『ある』はずよね?0なら見えないでしょ?」「はい。」私が何を言いたいのか、彼女はじっと考えている。
「そう。X はあるから見えるのだ。」「え?」彼女はしばらく考えた。「ああ、あるんだ、ひとつのXがあるんだ。」「はい,ありますね。」
「あ、じゃぁ、2X+Xは3Xなんだ!0じゃないんだ!」
Xの存在を確認した彼女は其れで、自分で計算をしなおして X=1と言う答えを出した。
彼女は見たのだ。Xの存在を見たのだ。彼女がX=1という答えを出したときの喜びようはなかった。顔が輝き、目が光った。彼女は風呂から飛び出したアルキメデスのごとくはしゃいだ。
彼女は其れ以来数学が得意になって、おかげで私は用済みとなり、再び職を失った。
やれやれ。私はその子との付き合いが面白かった。彼女の疑問はすべて彼女が正直で素直な事から来ていた。彼女は常識よりも前に真実を見つめる目を持っていた。そう言う目を私はこよなく愛した。だから契約した時間を無視して、彼女の思考回路を追跡しながら、わかるまで教えるのはとても楽しかった。まるで禅問答だったから。
修道生活を放棄して、相手を失った私にとって、まだしがみついている使命感のやり場が無かったから、1人でもできたこう言う面白い生徒が生きがいだった。しかしそう言う生徒は一度自分でやって行けると思えばぐずぐず人を頼りにもせずすぐに自分の道を歩み始める。皮肉な事に私が誠意を持って接すれば接するほど、相手の独立を早めるから仕事にはならなかった。
2)保険会社に勤める
彼女を失った私は、とにかく定職を持とうとして、新聞広告を探した。其れでふらりと入社試験に応募したのが住友生命保険会社だった。社長だかなんだか知らない。とにかく自分より大層年上の男が面接をして、私との問答を面白がって入社が決まった。
世の中にはいつも必ず、この私を面白がってくれる人は一人はいるものだ。しかし、とても変な気分だった。何で自分は生命保険会社などの社員になってるんだろう。肌が合わないどころか、面白くもない学芸会の劇に出場させられているような気分だった。
魂と体が遊離しているのを感じながら、昨日は3件、今日は2件の飲食店でお茶ばかりのみ、保険に関する歴史だの仕組みだのの講義を聴き、ひまをもてあまして鼻毛を毟り取る癖のある手島支店長や、蚊のように痩せた目をもっと細めながらものを言う小野支部長や、数名のおばさん達を眺めて、やれやれ、やれやれと自分の立場を慨嘆しながら、数日間をなす事も無く過ごした。
ここは自分のいる場ではない。と感じたが、じゃあ、どこがお前のいる場なんだと言う答えは無かった。そんな事を考えているときに、母がアメリカから電話をかけてきた。私が、保険会社に就職したという連絡の手紙を受け取った母は、電話で一言、「其の会社は怪しい、やめなさい!」何が怪しいんだか知らないけれども、海の向こうからおっかない声がした。いつものことが始まった。。。
不思議なもので、いつもの通りの有無を言わせないこう言う強圧的な声を聞くと10年間ぐらい勤めようかなどと思えてくる。しかし...
母に言われるまでも無く、保険会社が怪しい会社かどうかはともかくとして、自分の使命感を満足させるところではない事は、わかっていた。その仕事は、退屈な仕事だった。自分で面白くないし、生きがいもないものを続ける手はない。
やっぱりやめるか。。。
再び私は母のアパートの管理人になった。長年慣れた仕事だから、つまらないけれど、誰かがやらなきゃならないと言いう意味だけで仕事をした。掃除と家賃の管理だけだけどね。
秋は深まっていた。どんなに庭を掃除しても毎朝葉っぱの層が庭一面に積み重なった。こう言う馬鹿なことの積み重ねを自分はいつまで続けるのだ。鬱々としていたとき、電話で見知らぬ人物から声がかかった。
3)教師を求めている学校がある!
電話の声がこういった。
「教師を求めている高校がある。あなたの人物を確かめたいから手土産持たずに普段着のままでちょっと来い。」
昔の知り合いがそのまた知り合いに、私に教師の口を推薦してくれたらしい。仲介役の人からの電話だった。
ほいさ!と言われたとおり、私は手土産持たずにとりあえず見られる服を着て出かけた。「手土産持たずにとりあえず見られる服装を身につけて」30分後現れた私を見て、彼は言った。
「ほう。気に入りましたねえ。来いと言ったとたんに言った通りの姿で駆けつけた人初めてだ。」
だって、私って、はじめからこういう人間なんだし。
彼は求人をしているKM学園の理事だった。明治の文化を担った有名な哲学者和辻哲郎の子息である。和辻哲郎なら私もかなり研究した。その子息とは奇遇だなあ。話しが面白く私のほうも気に入った。私は次ぎの年の4月からKM学園の高校に国語教師として勤める事に決まった。
4)「連合赤軍の末路に思ったこと」
私がKM学園に勤める前、浪人暮らしをしていた其の一年は、学生運動から始まって警察の取り締まり強化に追い詰められた連合赤軍が、崩壊していった年であった。
私は万感の思いを胸に、正義感から始まって青春を生き、仲間同士の殺し合いを演じて浅間山荘で自滅していった連合赤軍の末路を、テレビ報道で、一年中見つめていた。彼らの出発点に彼らが持っていた正義感と、正義感によって起こした彼らの行動の結果自滅して行った彼らの軌跡は、彼らの集団とはまったくお門違いの修道院の中とはいえ、正義とは何か、愛とは何か、と一年中問い掛けられつづけて暮らした自分の心の状態と重なった。行動も思想の内容も向かっていた相手もまったく違うことはわかっていたが、私は彼らを憎めなかった。
マスコミは彼らの所業を書きたてて、人間の心を持たない鬼だ、悪魔だ、凶悪犯だとののしっていた。もしあの子達が、鬼や悪魔や、生まれながらの凶悪犯なら、自分も同じ悪魔のDNAを持っている。
私にだって、殺意はあった。そのころ私は、私の罪でなく、上司の異常行動によって修道院を自主退院する寸前に、すべての事情を知りながら自分を解雇した校長に、ほとんど殺意を抱く事しばしばだった。殺意を実現する具体的な方法まで考えていた。
私はあの時、校長の決定の撤回を求めて、修道院の中でハンストまでして戦った。その戦い方だって連合赤軍の思考回路とまったく変わりはしなかった。だから私には、其の連合赤軍が崩壊したことは、まるで自分の末路を見ているように感じたのだ。
マスコミはこぞって連合赤軍を育てた両親にマイクを向けた。「純粋で正義感の強い良い子だった」と親たちは唱和した。一人の父親は首をつって自殺した。
生きられないだろう!死んでよかった、おとうさん!純粋とはそういうものなんだ、信念とはそういうものなんだ。覚えておれ!純粋とは一人の父親を首吊り自殺させる事なんだ。
そして人はいつもいつもそうなんだ。人間の行為の結果を責める、お前は人間ではないと言う、自分の中にだけは、こんな野蛮な傾向はもともと無いと言う。
ケネデイが暗殺されたときもそうだった。暗殺者に仕立て上げられたオズワルドは裁判も無く、殺された。オズワルドが犯人かどうかさえ確定もしていないのに、マスコミは、彼が犯罪を犯すにいたった動機だの、生い立ちだのを書きたてた。
暗殺されたケネデイの一家は栄光に満ち、オズワルドは生まれながらの悪魔だった。悪魔の DNAも英雄や聖人のDNAも、社会が後から植え付けるのだとは誰も考えてはいないのだ。
ショックは長いこと続いていた。連合赤軍の若者達がもし生まれつきの鬼や悪魔であったなら、逆に私はどんなに救われるだろう。彼らが人間で、しかも普通以上に真面目で、確かな信念と思想を持ち、正義感ゆえに行動を起こした其の結果が鬼の悪魔のといわれる所以である事が、同じような思考回路を持つ私にははっきりわかっていた。
其れがあんなにヒステリックに無様にうちゲバを重ね、屍を重ねて果てて行った。あの若者達のやり方が間違っていた事は火を見るより明らかだった。其れならば私はどうなんだ。
そう言うときに、一人のシスターが地図を頼りに探しに探して私を訪ねてきた。学生時代、アルバイトを次々紹介し影に日向に私を支えてくれた、あの老シスター広瀬だった。
5)「シスター広瀬に救われた」
私の生まれ育った家は其の当時、森の中の一軒家という感じだった。母の趣味で木や草に覆われていたし、庭には、市が保護指定にした木まであって、おまけに母の留守中私が一人で住んでいたので、庭の手入れが十分ではなかったから、どこから入って良いのかわからないほど、回りは木が生い茂っていた。
しかも、門の外側に呼び鈴など、付いていなかった。だから家の中からは、人の来訪は本人が大声で叫ぶか、または中にいるものが第六感で感じ取るだけだった。
或る時其の第六感が電波を感じ取った。節穴から外を覗いて見ると、うろうろしているお化けのような影が見えた。はじめ何だか分からず、怪しいぞと思ったが、すぐに、え?_首をかしげた。
どうも其のお化けに見えたのは、其の当時すでに老人しか身につけなくなっていた、古いシスターの修道服のように見えた。
外に出た。私はそこに、シスター広瀬を発見し、目を見張った。修道院がどんなに刷新の名のもとに変化しようと、彼女は頑固だったから修道服を脱がなかったし、フラフラ外に出かけると言うことも無かった。
これは自分の用事じゃない。私のことを心配してきたんだな!
私はこのシスターが、絶えず気になる自分の教え子のためには、身を犠牲にしてでも何か行動をせずにいられない事を知っていた。聡明で厳しい人だった。其の切れるような聡明さゆえに修道院の内部では案外嫌われていたのだけれど、教え子には尊敬を受けていた。だから、私も教え子として外にいたときはいつも彼女の配下にいたけれど、修道院に入って、修道女見習いになったときは、住む場所も違ったし、近寄る機会がなかった。
むしろ、あんな誰が見ても無様な状況の中で、この厳しいシスターに近寄るのが単純に怖かったのだ。
私は自分があんなとんでもない上司の下で、同性愛のとりこになっていた時に、いくらなんでも彼女の前には出られなかった。修道院を強制退院させられたシスター小山はこのシスターの影響下で修道院に入ったのだが、追い出された事情を、私は話せなった。すれ違ったときに聞きたそうな表情を私は知っていたが、敢えて私は沈黙していた。
そのシスター広瀬が私に会いにわざわざ来た。ああ、心配していてくださってたんだ。思いがけないシスター広瀬の来訪に、いろんな思いが去来した。
シスター佐富との一件はあまりにおぞましくて、まさか知性の塊であるシスター広瀬に言いたいとも思わなかったが、解雇にまつわる校長との1件を話した。かつて私はあの校長とは長い付き合いだったし、自分の理解者でもあり、よい友人でもあった。
其のつもりで、私は彼女に意見を言った。彼女の父兄に対する言動があまりに異常だったから、誰の前でもなく個人的に「まずいよ」と言ったに過ぎないのに、目をむいて怒り出し、「自分への批判を撤回しない限り解雇する」と通告してきた。批判の内容が誤解だというなら、いつものように議論の余地があったのに、自分が上司だからという理由で、私の言葉其のものの意味も理由も聞かず、問答無用で撤回せよ、さもないと解雇だというのは卑劣だと思った。
修道者で、しかも校長と言う立場になったら、だれも批判する人がいないからといって、修道院と関係ない、社会に生きている一般の父兄の疑問に対して、「自分の言っている事はあなたにわからなくても、すべて神様の言葉として聞くべきです。」と、発言したのだ。
「いくら修道院経営の学校だって、そんな神懸りみたいな事を、権威を笠に来ておし通してしまうのは間違っている。私は今だってこの考えは変わっていないし、これは信仰だの何だのと関係無い常識の範囲の事だ。私はあの人が善人だと言うことを疑わないけど、頭が悪すぎる。あれを校長に選んだ事が間違いの始まりだ。」
1年たっても腹立ちが収まらない私は、シスター広瀬に、こうまくし立てた。
シスター広瀬は静かにうなずきながら聞いていた。「其れなら」と彼女は言った。
「あなたがあのシスターが頭悪いと言う事を知っているなら、なぜ頭悪い事を念頭において話さなかったか。相手が理解力も無い、常識も無いなら、理解力と常識に訴えるような手段をとるべきで無かった。
何事も、時と所と方法とをしっかり押さえた上で行動せずに、成功する事は無いんだ。時と所と方法を誤ったために、失敗し、どんなに多くの血が流されてきたかを歴史が証明しているではないか。
執行部がその他のことでも人選を誤っていることは事実だ。適材適所に人を配置できないから、多くの人材を殺しているのに気が付かない。問題はそこから来ていることも事実だ。だからなおのこと、抗議の姿勢をハンストで示すような人間に、対応できる人なんかはじめから修道院に入って来ない。」
このひと!相手の意見を全部肯定して、落ち着かせた上で、私の心理を読みながら、自分の考えを言っているぞ!
私は話を聞きながら、ふと考えた。
実は私はKM学園の就職が決まってから、あのかつて友人ではあったけれど、極め付きの「頭の悪い」校長と、自分の意に反して、和解の演技をやってきたのだ。
それは自分がこれから歩むべき将来に傷を残すまいと思ってやったことだったが、それが初めから演技であることを自ら意識していたから、腹の底には憤懣やるかたない思いを抱え続けていたのだった。
私は、シスター広瀬の言葉に従うなら、自然に学んだ其の「時と所と方法」を考えて、あの校長と「和解の劇」をやってきたことになる。
クリスマス直前と言う「時」に、校長室でなく修道院と言う「場所」を選んで、同級生のシスターを呼び出して、「降誕のキリストの名において和解にきた」という「修道者向きの言葉」を伝えさせるという、神懸り人間が納得する適切極まりない「方法」を使って、握手の演技をして来た。
彼女は演技とはつゆしらず、心から喜びに満ち、ありがとうありがとうと連発して、私に飛びついてきた。彼女は私が自分の将来に傷を残さないために演技をやっているに過ぎない事を見ぬく知恵なんかなかった。何しろ極め付きのバカだったから。私は其のとき知性や常識に訴えたのではなくて、まさに、相手が納得できるような演技をお膳立てをしたのだった。
つまり自分のため、彼女をだましたのだ。気分が悪いのは自分を裏切っているからだと思っていたのだけれど、実は善人の彼女の善意を利用して、和解の演技をしてきた自分に、げろ吐きそうな思いを持っていたのである。
しかし、今、シスター広瀬の話を聞きながら、自分のやった行為が、どうも、嘘から出た真らしいということに気が付いて、心が落ち着いてくるのを感じた。これは嘘も方便、偽善から出た善かもしれない。
「正義や真理を追究するのは正しいことです。しかし行動を急ぐな、結果を急ぐな。常識が何のためにあるのか考えなさい。相手がわからない間はとりあえず常識を持って、時を待ちなさい。正義は愛を、愛は正義をお互いに完成させるもの。正義の無い愛、愛の無い正義なんて言うものは無いのです。時を待つことも愛であり、所を選ぶ事も愛であり、方法を選ぶ事も愛なのだ。」
と、シスター広瀬は一気に言った。
おお!自分はなぜこの人に最初から相談しなかったのだろう。気が付かなかった。仮に気が付いていたとしても、バカ校長のことはともかくとして、シスター佐富とのあんな無様な下衆の同性愛劇を、この高尚なシスターを相手に、言えるものではなかった。私はシスター広瀬に助けを求めるという考えがわかなかった。万が一求めていたら、あんな無様な形で修道院を出なくてもよかったものを!
「言うべき事があっても、今言ったら、この相手には無駄になると言う事を、あなたはわかる人だろう。」
彼女は慈愛に満ちた目をして、最後に私にそう言った。「それがわかる人じゃない」ことを知っているくせに。
心理の動きを読みながら、何も知らない振りをして、彼女はさりげなく私が深く心にかかわりを持っている歴史と社会問題の話しまでして行った。
「そう。彼らの出発点は正しかった。しかし、時を急ぎ、方法を誤った。だから彼らは自滅した。」連合赤軍のことである。
「とりあえず」常識を守りなさい。「とりあえず」礼儀を守りなさい。常識や礼儀はあなたを守るから。正義の完結を急ぐなよ。正義の完結は一時的な問題でなくて、其れは一生涯の問題だから。
シスター広瀬!あなたは本当に私を愛していた。彼女の背中を見送って、私は合掌したい心だった。
春はそこまでやってきて、私の教師としての船出のための心の準備が整いつつあった。