Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」9月13日

「ある発表」

 

ある朝、朝会のとき、高校の教頭のほうから、「個人的なお知らせですが」と断って、ある発表があった。

 

「K先生が姓を元の姓に戻されてご結婚なさいます。」

 

寝耳に水だった。私の中の動物の本性が、くらくらと揺らいだ。K先生とは、車に私を載せて毎日誘惑しまくっていた男だった。彼が奥さんに先立たれたことは知っていた。しかし彼がもともと養子で、名乗っていたのが元奥さんの姓だと言うことは知らなかった。

 

あのバイブルキャンプの夏以来、ずっと彼の送り迎えに答えていた。家が同じ方向でもないのに送り迎えしてくれる彼の行動を、自分は普通だとは思っていなかった。会議などで、こと教育のこととなると、彼の意味のない、しかも軽薄極まりない発言に、時に私は痛烈な批判を続けていたにもかかわらず、彼の送り迎えに私はそれとは裏腹の何か異常に高揚した怪しい心の動きを感じていた。

 

あの「脳みその一人芝居」が私の心をずっと支配する限り、「教育」に関して私は常に情熱的だった。その「教育」を離れて個人的に彼に会えば、それとはまったく間逆の、別の心が動いた。彼に手を触れられれば、私の官能がそれを受け入れていた。

 

或るときは、彼を批判する理性をかなぐり捨てて、自分の内部の動物的な誘惑に答えてしまおうかと思うことさえあった。

 

その矢先の発表だった。しかも、私が心と精神を傾けた、自分の使命の実現の場である、官能だの欲望だのに支配されようがない、ほとんど「神聖」といってもよい舞台の真っ只中で。

 

「魔物に憑かれた」

 

学校で勤務していた間は、私は実に熱意を持って仕事をこなす人間だった。夏休みの間には、ほとんどの時間を、次の学期に教える内容の研究にあて、補助教材の作成やテストの作成にいたるまで、4ヶ月分の準備をし、学期が始まると徹底して生徒とつきあうことに専念すると言う離れ業をやって、職員室みんなからの感嘆を受けていた。

 

会議においては、極めて整理された頭を持つ英語科の中野先生と連携して、ほとんど会議を引っ張っていく存在だった。議事の進行を妨げる発言にはストップをかけ、校長だろうと理事長だろうとその発言に遠慮せずに割り込んで交通整理の役を引き受けていた。彼らは会議というものを雑談だと思っていて、ほとんど議事の進行の仕方など知らなかったから。

 

そう言う私が家に帰ってから一人になったときに、処理の仕様がない、理性と相反する思いに苦しんでいた。現れては消え、打ち払っては現れるあの生き物の影に憑りつかれていたのである。

 

その生霊は、いつも自分が批判し軽蔑さえしている相手であり、自分の半身がその人に惹かれているということを認めることさえ認めたくない人物であった。それは、「恋愛」というよりは「幻惑」であり、それは「振り切らねばならない」種類のおぞましい感情であったことを、私は確実に知っていた。

 

自分は自分に当惑し、毎晩毎晩、自己矛盾の中で、うめきながら、のた打ち回っていたのだった。

 

このことのために、今まで築き上げてきた信用も仕事そのものも、もろともに失ってしまうだろうことを予感できるほど、それは激しい内部の分裂だった。その分裂状態と対峙して心のうちで戦っていたときに、あの発表があった。

 

自分はそのときたぶん蒼白になっていた。日常的に彼は私を送り迎えし、車の中でいつも受身だったとはいえ、闇の中で車を止めて、私の体に触れる時間を設けるという状況は、お見合い結婚が常識だった私の若いころの状況では、普通ではない仲と信じるに十分だった。私は、その時、触れられる女は誰彼選ばず全部触るという男の生態というものに無知だった。

 

頭は常に彼を批判していた。しかし体内の何か魔の力が、私を彼に注目させようとしていた。だから、自分とは無関係のなんでもないはずの発表に、不意打ちを食らった。心が攪乱状態になった。私は結婚なんてまったく考えていなかった。それなのに、あの男の結婚の発表がなぜ私をこんなに惑乱させるのだ。

 

一人になったとき、行き場を失った激情が自分を襲ってきた。自分自身の激情が人格化して、悪魔のように自分をあざ笑った。

 

「そうだろう!おまえだって同じじゃねえか!おまえだって同じじゃねえか!」醜い背虫の小人が言う、昔見た夢が突然よみがえってきて再び自分を苦しめた。

 

自分の前を歩いている、自分が日ごろ嫌悪を感じている醜い背虫の男がふと振り返って、私を見て言う。「おまえだって同じじゃねえか!」と言うあの夢。夢に過ぎないと言ってうち捨てるにはあまりにも意味ありげに姿をあらわす、ひどく現実的なあの夢!

 

苦しんだ。畳をかきむしり、歯を食いしばり、うめき声を上げて苦しんだ。一方に高みに上ろうとする精神を抱え、一方に奈落の底に向かおうとする肉体を抱え、動物の咆哮のような声をあげて、のた打ち回って苦しんだ。

 

 

「ああ、小森先生!」

 

私は傍らにあった電話の受話器をむしりとって、小森先生に電話をかけた。自分の心の状況を始めて他人に話そうとした。彼女は私が内容を示さないうちに、状況を察していった。

 

「何をあなたが苦しんでいるのか、私には分かる。それでは私のうちにいらっしゃい。私が修道院遍歴の結果とうとう選んだ私生活を見せてあげよう。」

 

「え!?」

 

彼女は今まで自分のプライバシーを他人に語ることも見せることもしなかったし、私は基本的に他人が言わないことに興味を持って聞くと言う習慣がなかった。だから私は彼女の生活を知らなかった。

 

彼女は学校でも控えめで寡黙な先生だった。議論に泡をふかせている私とは対照的に、議論には参加せず、黙って聞いていたが、私がピンチにたつときだけ、鋭い言葉をしかもこの世のものとも思われない丁寧な言葉遣いで、一言言って、良くバックアップしてくれた。その姿に、マリア教の小森は気持ちの悪いヤツだとみんなに思われていた。

 

その彼女が私の窮地を知って自分のプライバシーを見せようと言った。ただ事じゃないと私は思った。

 

「破戒」

 

私は一言も口が利けなかった。善悪の判断など入り込む余地がなかった。

 

小森先生はあくまでも誠実に生きていた。自分に対しても、自分の行く道を交差したどんな人に対しても。誰にも受け入れられないであろう、彼女が選んだその人生を、二律背反の心の揺らぎに苦しんでいる後輩の私のためとはいえ、開示したことに対して、既に私には責任があった。

 

それは彼女の誠実さだったから。絶対に裏切れない、絶対に私自身も真剣に対処しなければならない、そして自分の人生も真剣に生きなければ彼女の勇気に対して済まない、それほど切迫した思いを感じさせる内容を、彼女は私に付きつけた。

 

「私はこの道を自分で選んだ。」

と彼女は言った。「これが自分に正直に生きようと自問自答して行きついた結論だ。自分はどんなに修道院を変えようと、自分の内部の正直さを振り切る事はできなかった。どんなに逃げても、答えは常にこれだった。これが答えだと判断して自分はこう言う結論を得た。だけどこの結論を自分で受け入れた時、この選択の結果生ずるいかなる出来事も、自分ですべて引き受けよう、決して他人の所為にするまいと決意した」と彼女は言った。

 

彼女の家に一人の男性がいた。彼女は同棲していた。彼は現職のカトリックの司祭だった。過去のある時期とは言え、神に生涯をささげるべく、貞潔を誓った元修道女が、同じく神に生涯をささげるべく、生涯童貞を誓った現職の司祭と同棲をすることを、彼女は逃げられない答えとして受け入れた。

 

二人は破戒を生きていた。かつて聖職者の誓いは生涯破ることの許されない神への約束だった。破戒に対しては破門が待っていた。女性問題ゆえに教会から消えていった、かつて優秀だった神父さん達を私は何人か知っている。彼らは破戒ゆえに信者の前から消えていった。何処にどうやって生きているかまったく消息もわからない状態で、彼らは闇の中に消えていった。

 

その破戒を彼女は生きていた。

 

「時代的背景とマインドコントロール

 

私の長兄太郎は、小神学校の学生であった時他界し、三郎が、私が高校生の時司祭になっていた。私たちは家庭の中の祈りをラテン語で唱和し、子供の絵本や文学作品に優先して、聖書物語や聖人伝を他のどんな本よりも多く読むと言うような家庭で育った。

 

戒律は絶対だった。聖体拝領の年齢の子供は罪の究明と告解(プロテスタントで言う懺悔のこと、仏教で言う「サンゲ」ではない)を、週に一度強制的に誘導されて行った。軽いうそも、拾った五円玉をちょっとごまかしても、親や先生、目上に対するホンのわずかな抵抗や口答えも、何でもかんでも「罪」だった。男女の間の厳しさはいうに及ばず、兄妹でも外を一緒に歩くことを当時のカトリックの学校は禁止していた。(ローマ教皇ピオ12世時代の話)

 

シスターが子供にわかりやすい言葉で教えるため、「天主の十戒(モーゼの十戒)」の解説で、「汚いことをしたり見たりしてはいけません」という言葉で言い聞かすものだから、当時路上に転がっていた馬糞を見ても、お母さんが妹のオムツを代えるのを見ても、信者の子供は告解場に駆け込んだ。

 

これは神父さんの方がうんざりしたと見えて、説教台でドイツ人の神父さんが、「馬糞を踏んでも、赤ちゃんのオムツ換えても罪じゃありません」などと言わなければならない始末だった。

 

ところでミサの最中に笑っても罪だったから、その説教に笑うものはいなかった。神父さんの悪口なんか言おうものなら、涜聖(聖なる者を冒涜すると言う意味)の罪とか言う罪になって、その罪は罪の中でも重い罪らしかった。

 

ちなみに子供は、神父さんもシスターも「神聖だから」便所に行ったりはしない生き物だと思っていた。あの生き物は子供たちの感覚の中で、もう人間ではなかった。それらのことをあほらしいと思うようになる年齢に達しても、子供の時にマインドコントロールされた「罪悪感」だけは生きていた。体の半分が罪悪感だったといっても過言ではない。

 

今一般の社会でも、教会のような宗教界でも、道徳観が薄れ、世の中は動物の自然さに戻ろうとしているから、過去厳しい戒律の中で生きた時代の常識を伝えるためには、そしてその中で「破戒行為を生きる」ことの意味を伝えるには、嘲笑を受けるのを覚悟の上で、敢えて反自然に生きた昔話を紹介しなければならない。

 

なぜならば、今なら到底理解されようもない私の苦しみを伝えるには、その精神的背景を伝えなければならないし、苦しむ私を見かねて自分の私生活を開示した彼女の行為の意味は、私をマインドコントロールによる罪悪感から解放しようとしたことに他ならないからである。

 

彼女はあの戒律の元で修道院を体験し、私はかなり緩んでいたとはいえ、あの戒律を生きた昔の人々とともに修道院生活をしたという体験を持っている。

 

その中で人間がどのようになっていくかを彼女は知っていた。私がどうして苦しんでいるのかを知っていた。単純な恋愛、単純な失恋ではないことを彼女は感じていた。この一連の出来事が、「悪魔のいざない」だと私が思っていることを、彼女は見ぬいていた。

 

「自分も『人間ではなくなること』を清いことだと教えられた。そして貞潔の請願をたてた。ところが自分に付いて回ったのは動物の自然の要求だった。逃げれば逃げるほど自分の欺瞞が明確になってきた。自分に正直であるために、自分の答えはこれしかなかった。」と彼女は言った。

 

お前はどうだとか、お前はこうするのが正しいとかは一切彼女は言わなかった。自分のことだけしか言わなかった。今まで誰にも言わなかった、正直な心の内部を、彼女は私に開示した。

 

「転落」

 

私は黙したまま、彼女に一礼して、彼女の家を出た。月が照っていたが夜道は暗く感じた。「ああ、小森先生!ああ、小森先生!」天を仰いで私はつぶやいた。

 

今日という日、私は彼女と出遭った。彼女の心に内在する神と出遭った。彼女は真実を受け入れた。真実を突きつけた神を受け入れた。ああ、小森先生、ああ小森先生!涙が湧水のごとく沸いた。

 

私の心は震えていた。自分の心の真実を見つめる恐ろしさに、自分の心に内在する神の意思を発見する恐ろしさに。

 

自分は自分の体を解決しなければならないという思いが一晩中私を苦しめた。次の日腑抜けのようになって出勤した私は、満面に愛想笑いしながら接近してくる K先生改めO先生に声をかけた。

 

「ご相談があるんですが、今晩送ってくださいますか。」彼はむちゃくちゃに喜んで、「もちろんお送りします」と答えた。そして一日中私の周りをうろうろしていた。いったいなんだろうと感じるほど、ひどく陽気で、ひどく優しかった。

 

私の半分がその姿を皮肉に見て舌打ちしていたが、もう半分は不安な期待を抱えていた。夕方、私は彼の車の助手席に座った。いつもの座りなれた、「私の」席だった。

 

私は声を殺してうめくように「ご相談」の内容を言い始めた。「O先生、私は先生の人生の決定に反対する気もないし、阻止する気もありません。でも、ひとつだけお願いがあります。今日の発表の後、私の気持ちがかき乱されて仕事もできません。どうか結婚を冬休みまで伸ばしてくださいませんか。冬休みに入れば、私は何としても、この気持ちを克服して、生徒に迷惑をかけずに乗り切ることができます。他のことに関してはなにも要求しないし、送り迎えももうご遠慮します。だから冬休みまでの余裕を私に下さい。お願いします。」

 

私は自分の彼に対する感情など一言も言わなかった。ただ、「立ち直りを助けてくれ」と言ったまでだった。私は、実際当惑するほど感性を共有しない相手と、結婚する気など毛頭なかった。私はそのとき、魔物に憑かれて苦しんでいただけだったから。

 

彼は一瞬沈黙した。じっと固まって前方を見ていた。彼はそのとき自分なりの思考の方向を整えていたのだろう。

 

それから、彼は口を開いた。「もう日程も決定してしまったことだからそれは出来ない。」そう云ってから彼はまた考えているようだった。車を止めた。沈黙が続いた。それから彼は私の手を握った。彼は私を抱きしめた。軽蔑と幻惑が私の心と体に同時に走った。私に対しても不実な人間は、婚約者に対しても不実だった。

 

そして彼は、運転を始めた。しかしいつもの道をまっすぐには行かず、何だかおかしな道を走った。「遠回りしている。時間を延ばすのかな、」と私は単純に思った。しかし、彼が車を止めたのはモーテルの前だった。

 

蒼白になった。転落か!と私は思った。

 

彼の人間の内容に私はいまさら疑念を挟んだり、深い思惑をしたりするほどの余裕はなかった。もとより私は彼を知っていた。彼がどのような人間かと言うことも、自分がどのような人間かと言うことも、とりわけ新しい知識の必要はなかった。

 

婚約者がいても、婚約が仕事場で発表されても、他の女をモーテルに誘い込むんだ。彼ならこういうことはするだろう。何処に転がっているどんな女に対してもするだろう。

 

転落か!この動物を相手に、私も動物になるのか!自分の分身なる「動物」を、今、確認するのか!

 

「闇にて」

 

その夜どうやって私は自宅にたどり着いたのか知らない。全く記憶にないのだ。

 

惑乱を克服しようとして、さらに激しい惑乱の中に突入して行った。実際問題として、私は社会生活不能になった。そのとき私は33才になっていた。本能がまともな発達の段階を経ず、いきなり爆発した33歳だった。苦痛のあまり、死のう死のうと思った。

 

 

どうやって自宅に戻ったのか、記憶にない。木が狂ったように酒を飲んでいる場所が自宅だった、そのことだけ覚えている。酒を飲んだ。浴びるほど飲んだ。斜めに傾いた鏡に映る自分は、肝臓をやられたのか蒼白で醜くむくんでいた。飲み始める前に、自分をしっかり見つめてやろうと、自分の前に鏡を斜めに傾けた。自分の醜さをこの目で確認してやろう。そこに映る姿がお前そのものだぞ。目をそらすなよ。決して目をそらすなよ。真実を見ろよ。その目がつぶれたら、心眼を使ってでも、真実を見ろよ。お前の心の真実を。お前の心の醜さを。自分の目で、自分の死をも見届けよとばかり私は鏡の前で自己の影を凝視していた。

 

もうだめだ。動けない。わずかに残った責任感で、私は仕事を休むからよろしく頼むと電話をかけた。誰にかけたか覚えていない。鏡の中の自分を睨みながらひたすらに酒を飲んだ。そのまま私は酒瓶を抱えて酔いつぶれた。どのくらい時間がたっただろう。

 

「あなたはいったい誰なのだ?」

 

傍らにたたずむ男女の影に私は声をかけた。

 

私はY子に電話をかけたらしい。

 

「何の用事だ、このやろう。こんな姿を見に来るな。」

 

ほざいたが動けなかった。「一週間ぐらい休暇を取れ、」とY子は言った。朦朧とした頭の中で、私は母が近日中に帰国することを思い出した。母を恐れて暮らした子供のときの思いが頭をよぎった。恐怖に顔を引きつらせ、あの母なら私の今の状態を見たら、本気で殺してしまうだろうと思った。

 

母は毎日料理で包丁を使うたび、その包丁を布で巻いて、さらにそれを新聞紙にくるんで、米櫃の奥深く隠す習慣が在った。変なことをするなあと私が不審に思って理由を訊ねてみると、母は上目遣いで、凄い形相で私を睨んでこう言った。

 

「私は自分の性格を知っている。こうして隠しておかないといつか私は人を殺すだろう」と。肝を冷やすような凄まじさに、私はあの時声を呑んだ。

 

もうひとつ、実はその年月日まで記憶していることがある。もう20歳を越した次郎兄さんが、いかがわしい雑誌を買って盗み読みしていたといって、母が彼を打擲していた。そのとき、兄は膝を折って自分で自分の手を後ろ手にして「殺して下さい、殺して下さい」といっていた。

 

そのときの恐怖の記憶が明確な映像となって、 私の脳裏を揺さぶった。母が帰国したら、仕事もせずに私がここに一週間もいたら、血を見るだけだ。と私は思った。

 

何とかして立ち上がろうとした。頭が云うことを聞かなかった。まるで、頭は畳にくっついたごとく、持ち上げることができなかった。Y子が介抱しようとするのをさえぎった。

 

「自分で選んで落ちた地獄からは、自分で這いあがるしかないのだ。優しさは無要だ。ほっとけ。何時か連絡する。」

 

なおも手を貸そうとするY子はサー助に止められて帰って行った。

 

畳に張り付いたまま目を開けて、水平に前方をにらんだ。かつて修道院にいた時に、仲間のために自分で作った祈りの一節が突然頭をよぎった。

 

「主よ、私達はぶどうの蔓、地を這い、巻きつき、実を結び。」

 

畳の上を泳ぐようにつぶやいた。

 

「地を這い、巻きつき、実を結び・・・

 地を這い、巻きつき、実を結び・・・

 地を這い、巻きつき、実を結び・・・」

 

あのころ、やっぱり私は苦しんでいた。うねうねと、あの時も私は地を這いつくばっていた。しがみつけるものが在るものならしがみつきたい思いを私はあのように祈ったのだ。

 

「墓穴を掘った」

 

太陽が怖かった。白日の中に身をさらすことが怖かった。体はすっかり消耗しきっていた。しかし、かつて私の半分をしめていた理性が消耗した体の中で起き上がりつつあった。理性は人となって残りの消耗した半分を責めた。

 

しかたがない・・・一週間の休暇をとるか、と言う考えを私はぼんやり思い起こした。しかし、医者が診断書を書くような病でもなく、自分以外に治療をできるもののいない状況を、学校に理解してもらうにはどうすれば良いか分からなかった。自分の生徒に対する責任感も、ゆっくり頭をもたげていた。

 

私は再び受話器を取った。私は折邊先生を呼び出した。

 

「くたばっている。来てくれないか。話がある。」

 

彼はやってきた。身を起こし、周りを整えて彼を迎えた。かいつまんで自分の状況を話した。私は彼をそのころは、もう宗教上の仲間だとは思っていた。私は同じキリストを奉ずるものとして、宗派の違いに話しが行くことを極力避けていたから、親しくなっていた彼も同じ思いだろうと思っていたのである。

 

彼の学校における立場を尊重して、私は生徒に対する宗教上の指導には口を出さなかった。だから私は彼と宗教上の話をするのは職員会議の場だけで、肝心な教会などでは、どのような礼拝のし方をするのか無知だった。職員会議の場で生徒指導となると力を合わせていた関係で、私はある錯覚を持って彼に親しみを感じていたのだ。

 

しかし、いかんせん、システムを異にする教会に所属する彼の考えは、こう言う時に意外な結果となって現れたのである。いろいろの質問に対して私は正直に答えた。別に私は宗教に関係なく、本性からバカ正直だったから、質問されれば答えるしか方法を知らなかった。

 

私はカトリックの司祭が、たとえどんなに人間的にへんてこな司祭でも、信徒の心の内部の告白に対して、たとえそれが犯罪にかかわることであっても、守秘義務を持っていることは、常識的に前提であったから、彼の立場で守秘義務を持たないということは考えられなかったのだ。

 

だから、まず私は彼が守秘義務を持っているかいないかと云うことを確認もしなかった。

 

そして私はプロテスタントにおける他人の内部の告白の扱い方についてまったく知識がなかった。カトリックが「告解」という形で極めて個人的に一人の司祭を通じて行っているいわゆる罪の赦しの方法も、彼らのシステムの中では公開懺悔であって、「兄弟」の罪は自分たちの罪という考え方で切磋琢磨しあうのだと云うことだった。

 

そしてO先生も、その婚約者も、この宣教師の所属する教会の仲間だということも、知らなかった。私はO先生がキリスト教徒であると云うことをかつて念頭に置いたこともなかった。真面目さとか、真剣さとか、人生に対する真摯な姿勢と言う物がまるでない男だったから。

 

しかし私の先入観による彼に対する思惑はともかくとして、折邊先生に言わせれば、彼らは宗教上の「兄弟」であった。

 

「O先生がそう言う男なら、僕は兄弟として見捨てて置けない」と宣教師折邊先生は言った。

 

「私は今まで男と出会った事がなかった。男の、優しさに見える女扱いに、この歳まで触れた経験がなかった。彼の行動に私は惑乱してしまったのだ。しかし私も体内に女の生理を持った生身の人間だ。この状況に耐えられなくて、仕事もできない。それで、生徒の前で無様な姿をさらしたくないから、彼の結婚式が終わるまで、休暇をとりたい。と言うよりも体が云うことを利かないのだ。動けないのだ。私は彼の決定に待ったをかけているのではない。誰かの罪の話をしているのでなくて、自分の精神状態の話をしている。」

 

身を起こしているのに耐えられなくて、私は額を壁につけて支えながら話したが、彼は話をどうしても「兄弟の罪」という方向に持っていくことを辞めなかった。

 

私は観念した。「それなら」と私は言った。

 

「言ってしまったことは取り消せない。彼を、あなた方の教会で宗教裁判で裁くのなら、彼の言い分も聞いてやってくれ。」

 

この言葉を宣教師は、 私が愛する男をかばっていると言うように受け取った。自分は官能の炎をたきつけられたことは事実だが、まさか愛してなんかいなかった。しかし何を言っても、彼はO先生が悪いと言う主張を変えず、私に同情したのである。

 

私はとうとう自分がとんでもないことに火をつけてしまった事を悟らざるを得なかった。

 

「すったもんだ」 

 

学校に出て行った日、「結婚式場に刃物を持って押しかけて、ぶち壊してやるぐらいの事をするのが世の女の常識なのに、あなたは知的女性を気取っておとなしくしているなんて、考えられない。」と、ある女性教師が私の耳元でささやいた。体育の講師の先生だったと記憶している。日ごろ職員室に定住していない講師の先生にまで私のうわさは聞こえていた。

 

私は「世の女の常識」どころか「世の女」なんかではなかった。私はあの男と結婚の意志なんかなかった。自分は自分自身の中で、魔物と戦っていただけだった。

 

この女性は多分世の修羅場をくぐってきた常識的大人だったのだろう。その時耳元でささやかれたこの言葉以外、私はその女性教師について、名前さえも記憶していないから、私にとって彼女の言葉は、よほど新鮮な言葉だったのだ。職員室に入ってすぐに聴いたこの言葉に私は少なからず面食らったが、自分を非難する集団の眼をある程度覚悟していた私にとって、この言葉はかすかに私を慰めた。

 

しかし「罪」を背負って生きていた「敬虔な」クリスチャンたちは期待通りの残酷さを見せた。日ごろ彼らは生々しい人間の本性がないかのように生きていたから、白日のもとに本性をさらした動物に、「改心」を迫った。私にはこの「改心」の意味がいまだにさっぱりわからない。私が問題にしていたのは「動物の本性」であって「心」を問題にしてなど、いなかった。そして私の「心」なら、そのときも今も、常に神を見つめていた。

 

私は理事長に呼び出された。理事長室に入っていったら、そこにO先生がうつむいて座っていた。

 

そうか。こう言うことになったのか。受けて立つか、または「敬虔な」クリスチャンを演じて。自己保全に徹するか二つに一つしかなかった。

 

私はかつて「敬虔な」クリスチャンだったことなどなかった。「敬虔」を装うクリスチャンになるには私は正直過ぎたのだ。「敬虔」とは欺瞞に他ならないクリスチャンの隠れ蓑だったから。

 

そもそもキリストは「クリスチャン」ではなかった。あの人ほど欺瞞を嫌い、独善を嫌った人はいなかった。

 

「この女を罪人だと言って殺すなら、お前達のうち罪のないといえるものが始めにこの女に手をかけるが良かろう」と言って、集団リンチにあって殺されかかっていた女をかばったのは、「クリスチャン」ではなくて、人を生かさぬ常識を叩き潰して歩いた生身の人間イエスだった。

 

キリストの死後、キリストを神と奉じ、魔女狩りをやったり、宗教裁判をやって科学者を殺したり、キリストの名において全世界の有色人種を滅亡に導いたのは、集団リンチの好きな「クリスチャン」のおおもと、西洋カトリックの集団だった。そして今、私を裁こうとしているのもキリストでなくクリスチャンの集団だった。

 

私は彼と共に宗教裁判にかけられた。

 

理事長は最初からO先生が嫌いだった。くだんの緑のネクタイをつけていたのはO先生だったが、それを笑ったのは理事長の言いがかりに過ぎず、私があの学校に就職した当時から理事長は彼に目をつけていた。

 

彼はO先生が革新運動の指導者であると睨んでいて、若い者をそそのかして学校に逆らっていると言っていた。私はそれがまったくの誤解であることを知っていた。私は「運動の指導者」と言う種類の人々を知っていた。かつて反戦運動に身を投じていた時のいわゆる「運動の指導者」ほどの信念も思想も彼にはなかった。

 

彼は職員会議が長引くと、学校は夕食を出すべきだと言っては会議をストップさせるだけだった。しかもそれは一回や二回ではなくて、真剣な討議の最中にあたりの雰囲気を破って、「夕食は」と切り出すのは常に彼の役目だった。

 

彼は運動の指導者の持つ思想などなく、自分が事実上何も参加してない「会議」が長引くと、会議の内容はともかく、食事を要求する係りだったにすぎない。

 

「彼はただおなかすいているだけですよ」と私は疑いを晴らさない理事長に良く笑って報告していた。実際彼は運動を組織したり、指導したりするための理念も指導力も持っていなかったから、あの疑いはお笑いだったのである。

 

しかし理事長にとっては、彼を引きづりおろすチャンス到来だった。

 

彼は理事長の前で小さく固まっていた。しかしこの問題は、私が自分で掘った自分の墓穴であって、他人を滅ぼすつもりはさらさらなかった。しかし「他人を滅ぼすつもりはない」という私の言葉は、男を守ろうとしている発言とみなされただけだった。自分を守るつもりも無く、まして他人を守る力など無かったのだが。

 

理事長はO先生を責めた。私はとりあえず、大人なのだから、責任は別に彼だけに或るわけではないといってみた。

 

個人的な、事実関係を詰問されて言葉を失い、私は錯乱状態になった。泣く以外に仕方なくて、私はとうとう人前で泣きだした。事実を否定したり、「主の御許に救いを求め奉ります」などと言うたぐいのけったクソ悪い言葉を吐くほど、私はうそにまみれた「敬虔」さを持ち合わせてはいなかった。

 

神経はずたずただったのに、人は私を強いとかふてぶてしいとか言った。あらゆる犯罪者に浴びせられる言葉である。上を向けば「反抗的」だと言われ、目を見て答えれば「轟然と見返した」等と言われる、新聞の社会面に書かれている表現がすべて私に飛んできた。

 

強くてふてぶてしいのは、けったクソ悪い言葉をほざいている「敬虔な」裁判官たちだったろうに。

 

どういう騒動になってしまったのか、O先生の婚約者はショックのあまり倒れて、結婚は延期になった。クリスチャンたちはそこまで物事を発展させた。彼らの中に、誰に対しても思いやりや慈悲の心、ほんの少しの心の繊細さを持っているものはいなかった。全員キリストの名において無神経だった。

 

後に、かの宣教師が私に語ったところによると、O先生の結婚の発表にショックを受けたのは一人私だけではなく、彼にもてあそばれた女性が他に「数人」彼らの教会内にいたのだそうである。この騒動は彼らの組織全体を巻き込んで、すったもんだに発展した。少なくとも私は彼にどんな期待もしていなかったが、彼女たちはそれぞれ結婚相手として期待していたそうだ。

 

自分が付けた火を消すに消せなくなった私は休暇を願い出て、Y子が探してくれた或る山の中の別荘に逃げ込んだ。 

 

「背虫の小人」 

 

私が逃げ込んだその山小屋は山の中の小さな庵と言う感じの小屋だった。送ってくれた人々が帰って一人になると、私は茶室ぐらいの大きさの座敷の真中にぽつねんと座って窓のそとを眺めた。

 

雨が静かに降っていた。その音が川の流れのようにも聞こえた。リリリリッツイツイツイツイとなくのは、虫なのか鳥なのか良く分からない。まだ若い、つややかな樺色の穂をたれたススキが群生している。雨の中にジンと秋が立っている。森があり、山が在る。耳の裏に何かがシーンと響いている。自分の魂の音がする。

 

その魂をじっと見詰めて、私は小屋の中で一人になった自分を確かめる。この小屋の主の奥さんがそっとおいて行ってくれた包みを見る。おにぎりか何かだろう。おにぎりを握ったその手を思う。人の心が身にしみる。

 

何度私は挫折しただろう。しかし今まで私はこんなにも無様な形でこんなに多くの知りもしない人々を巻き添えにはしなかった。かつて自分が挫折した時、自分は常に高潔であろうとしていた。高潔であらんとしたために挫折したと言う感が強かった。しかし今度と言う今度はただ浅ましい自己の発見以外の何物でもなかった。

 

今回のこの騒動にいったいどんな意味があるのだ。

 

やっぱり「意味」を知りたかった。私は「意味」をしつこく考える人間だった。暗くなった部屋の中で明かりもつけずに目を開いて、私は「意味」と向き合った。

 

夢か現かあの「背虫の小人」がそこに登場した。私の人生の前半に何度も登場して、私をあざけったあの醜い小人である。

 

見ただけで嫌悪を感ずるような姿をした小さな黒い小人が自分の前を歩いていて、突然振り返って口をきく。「おまえだって同じじゃねえか。」赤い舌をぺろぺろ出して、醜く笑う。「おまえだって同じじゃねえか。」

 

「そうか、お前がまた出てきたのか。そうか、私はお前と同じなのか。しかしお前はいったい誰なのだ?」

 

私は小人と対話した。「おれはお前だ」と小人は答えた。「おまえの分身じゃねえか。そうか、お前は私なのか。」不思議に其時、私は背虫の小人を拒絶しなかった。

 

自分にはいまさら、醜いものを拒絶するほどの、昔信じていた高潔な魂を持っているとは思えなかった。今の自分の中には高邁な理念も哲学も入る隙間がなかった。何処にも高潔さのかけらもなかった。自分がそれまで最も軽蔑し、自分だけはそうはならないと思っていた官能の渦の中に自分はそれもまたすごい勢いで突入してしまった。

 

ただひたすらにみっともないだけだった。ただひたすらにみっともないと、思ったときに私は、はたと気がついた。

「ひょっとするとこのみっともなさに意味があるのではなかろうか!?」

 

自分は高潔な人間なんかではなくて、実はもともとみっともない人間だったのではあるまいか?そんな思いがふっと沸いた。その思いは絶望の中から沸いてきたと言うようなものではなかった。自分の魂の中に静かに語りかける呼び声のように、みっともない人間としての自分に気付かせるかすかな声を聞いたような気がした。

 

「背虫の小人よ、お前はいったい誰なのだ?」

 

「背虫の小人よ、おまえは何時もあざ笑う、お前だって同じじゃねえかといいつづける。私は一体誰と同じなんだ。」

 

黒いぬめぬめした不気味な小人に私は問い掛ける。背虫の小人はげらげらげらげらと高笑いをする。

 

「俺はお前だ。俺はお前だ。お前はなぜ俺に背を向ける?お前はなぜ自分に背を向ける?お前はなぜ家庭を拒絶する?お前はなぜ修道院に入った?お前はなぜ自分を高潔だと思いつづける?高潔の裏に何が在る?何を拒絶して高潔をてらう?お前が救いの頂点においているその愛とはなんだ?人間の半分を拒絶して何処に愛が在る?お前の半分を拒絶して何を愛と呼ぶ?」

 

「苦しめ。苦しめ。お前は自分で拒絶し、軽蔑したあの男に惹かれているじゃないか。お前はお前の分身に出会ったのだ。軽蔑した分身に出あったのだ。拒絶した分身に惹かれているのはなぜなのだ。

 

好きだろ?好きだろ?あの男。欲望だけでできているあの男。知性なんか微塵もないあの男。お前はあの男の胸に飛び込んだ。お前の好きな高尚な愛など微塵もないと知りながら飛び込んだ。ただの一瞬の肉体の満足しかえられないと知りながら飛び込んだ。お前はそのことを事前に完全に知っていた。

 

好きだろ?好きだろ?あの男。性欲まみれの肉の塊。

 

知恵の木の実はうまかっただろ。その実だけは食っちゃ行けねえってお前の神様は言ったのか?エヴァよ、おまえはそれをくっちゃった。もっともっと食いたいだろ?お前はそれがほしかったのではないのか?好きだ好きだといってみろ。やせ我慢するこたねえよ。性欲まみれの肉の塊こそお前の求めていたものだと言ってみろ。

 

なに?退け、サタンだと?サタンはお前だ、サタンはお前だ。実におあつらえ向きな男に出会ったもんだ。」

 

背虫の小人はげらげら笑う。

 

「魔物の声、神の声 」

 

一体何時からだったろう。私の夢枕にあの背虫の小人が現れるようになったのは。苦しい時に何時も現れて私をあざ笑って消えて行った。

 

背虫の小人は、時々、同じせりふを語りながら、芋虫の姿をとって現れた。芋虫の姿の時は色まで鮮やかな緑だった。実家にあったみかんの木に何時もくっついている緑色のあげはの子がオレンジ色の角を出すのを子供のころ怖がっていた。あのあげはの子のイメージが夢の中で重なっていた。

 

背虫の小人は真っ黒で、生ゴムでできたこうもりのようだった。是もやっぱり子供のころ、猫がくわえてきた蝙蝠を助けて飼っては見たものの、その悪魔のごとき容貌の恐ろしさにそばに行くことができなかった。

 

夢は何時も子供のころの思い出とつながっていた。夢を見てはうなされて金縛りになってもだえた。一番苦しかった学生時代、同じ悪夢を毎日見ていた。

 

霊感を感じて修道院に入り、一度使命と感じたものを捨てきれないまま30を過ぎた。しばらくあの小人は出てこなかった。仕事は絶好調だった。生徒の信頼も仲間の信頼も得た。あれほど自分を悩ませた人間関係もうまく行っていた。真摯に誠実に生きていた。自分は使命を実行しつつあると思っていた。一体どうしてこういう状況に突然叩き落されたのか分からなかった。

 

山の中の一軒家に逃げ込んでせせらぎの音を聞きながら、私の思いは過去をさかのぼり始めた。原因が過去にあるとはその時思っていたわけではなかった。自分がかくも弱くみっともない人間であると言う事実を受け入れたとしても、だからなんなのだと言う疑問があった。

 

背虫の小人が醜い姿を再び現して若いときから私に言いつづけて私の心を脅かしていたあの言葉、「お前だって同じじゃないか」と言うあの言葉を、私に浴びせるのは、私にどのような「覚醒」を促しているのか知りたかった。

 

そう。私は「覚醒」を促されている。私は自分の状況をそのように解釈した。誠意を持って真摯に生きてきた。使命に目覚めた暁に、私は十分答えていたつもりだった。その私を奈落の底に叩き落す力があるとしたら、そこに「意味」があるはずだと感じ始めていた。

 

過去、私は人間の愛情を知らなかった。私は素直であることに恐怖を感じ、傷つく前に自分を傷つける相手を拒絶すると言う姿勢で生きていた。弱みを見せたくなかった。虚勢をはって生きていた。長いこと喜びも悲しみも見せなかった。たった一度人に愛される体験をした。あの時私は20年分の涙を流した。

 

人を愛することのできる人間になろうと思った。私は教師になり生徒を愛した。自分でできる全てを実行したつもりだった。自分は高潔だと思っていた。自分の半分を知らなかった。その半分が小人の姿で私に問いかけた。目をそむけているお前自身を凝視せよと。

 

自分が愛しているつもりの生徒たちのことを思った。愛とは一体なんなのだと問いかけた。愛に対象があった。自分以外の存在を肯定することが愛だと思っていた。

 

背虫の小人はこういった。

 

「俺はお前だ。お前はなぜ俺に背を向ける。お前はなぜ自分に背を向ける。お前はなぜ自分を高潔だと思いつづける。高潔の裏に何が在る。何を拒絶して高潔をてらう。お前が救いの頂点においているその愛とはなんだ。人間の半分を拒絶して何処に愛が在る。お前の半分を拒絶して何を愛と呼ぶ。」

 

自分は「高潔の裏側」と言う言葉をぼんやりと思った。自分は「不潔」を嫌って「高潔」にしがみついていた。そして自分はその時自分が嫌った「不潔」の源泉を思い出した。

 

それは十歳の6月、母の留守の日に起きたことだった。何時も兄弟に暴力を振るっていた一家の経済の担い手の次郎兄さんがその日はひどく優しかった。彼の優しさを私ははじめて体験した。そして私は初めての性の体験をした。十歳の子供に意味のわからぬ体験だった。それは兄妹でさえ男女が一緒に外出してはならないほどの戒律の厳しい時代の体験であった。

 

それは、成長してその意味を理解した私の人生が、狂って十分な体験だった。中学生の時あの兄に反抗して石を投げつけたことがあった。一家の経済の重鎮だった兄に対する一番年少の妹の反抗を母が許すはずがなかった。母は私をねじ伏せひざまずかせて兄に謝らせた。激しい憎悪と屈辱感を持って私は生きた。兄と母を殺してやりたいと何度思ったことだろう。

 

せめて、本当にせめて、自分だけは高潔に生きようと思った。あの兄のことを決して理解しようとは思わなかった。自分はどんなにへんてこで、馬鹿のキチガイのと人に言われようと、あの兄よりはましだと思っていた。むしろあの兄と反対の生き方をすることによって自分は自分を救おうと考えていた。兄は不潔の代名詞であり、汚辱の権化であった。拒絶し、否定し、目をそむけ、軽蔑した。情熱を持って彼を見下した。その情熱さえも生きる源泉となっていた。

 

「主よ、私はあの人と同じですか?」と私は恐る恐るつぶやいた。「あの人と同じであることを受け入れなければなりませんか?」と私は問いかけた。いつのまにか背虫の小人は十字架上のキリストに変わっていた。

 

そのときに、私の心に不思議な感覚が沸いてきた。優しい優しい感覚だった。人の心を潤す暖かい温泉のようにその感覚はふつふつと沸いて、私の心に満ちて行った。私ははじめてあの兄のことを静かに優しく思い起こした。

 

彼は私が高校三年の時結婚して三人の子供をもうけた。しかし結婚生活は破綻して子供はばらばらに施設で育った。彼は一度も幸福になったことがなかった。

 

彼は私の生まれる直前長兄が16歳で死ぬまで優秀だった長男と比較されて家族になんの評価もされない次男として育った。しかし戦争があり、父が財産を失い、そして戦後その父が財産を取り戻せないままなくなったとき、母を助けて一家を支えることのできる成人していた唯一の息子だった。

 

彼はいきおい自分の青春を犠牲にして一家の経済を支える役割を荷負わされた。何回か恋愛があった。恋愛をするたび母がつぶした。彼はくびきを背負って29 歳まで母に従った。その兄をその粗暴な性格から愛する弟妹はいなかった。一家は深く経済を彼に頼ったが、彼は何も報われなかった。その彼を、母は容赦なくエロ本を買って読んだぐらいで、激しく打擲していた。

 

彼の青春はどんなだったのだろうと私ははじめてその時考えた。青春の彷徨をまったく許されなかった、心の弱い彼のことを。愛することを許されず、愛されることもなかった彼のことを。多分「あの時」彼は人間性の全てを否定されていたんだな。と私は思った。彼は多分他人に対してまともに心を開くようには育っていなかったんだ。ちょうど私がそうであったように、母を恐れ、自分を生かす方法もなく、ただ飢えていたんだろう。彼は飢えを満たす方法を閉ざされていた。「あの時」の彼に一体何ができただろう。

 

かわいそうな気の毒な次郎兄さん。私ははじめてその時、彼の半生を思い、彼のために涙を流した。それは赦しという感情ではなかった。自分の血を分けた兄弟を自分の一部として受け入れた、覚醒の一瞬であった。愛とは対象を対象のまま他者として受け入れることでなく、罪あるものの連帯であり、一致であると、その時思った。

 

「背虫の小人よ、私がお前であることを、私は今確実に受け入れた。Miserere nobis.」

 

覚醒は光とともに来た。二度目に体験した「霊感」であった。 

 

「ああ、尚詩!」 

 

さてどうしようか、と私は考えた。ひとまず私の心は一段落した。しかし、現実の恐怖がうせたわけではなかった。学校に戻り職場に復帰する決心がどうしてもつかなかった。自分の耳元には絶えず漣のように消えては押し寄せてくる自分を指差し笑う声が聞こえていた。

 

このまま職場に戻るにはよほどの強靭な神経が必要だった。

 

どうしよう・・・と私は隠れ家の中で考えあぐねていた。

 

そういう時にそこに訪ねてきた一人の少年があった。あのバカバットギーターの哲学少年尚詩だった。私がこの少年と出会っていなかったら、私は決してバラモン経典に触れたり、インド哲学を読み漁ったり、マックスヴェーバーを慌てて読み返したりはしなかったろう。彼の作文を彼が中2のとき初めて読んで私は彼の哲学に圧倒されたのだった。

 

私は彼が私の隠れ家に現れたとき、まさか予期はしていなかったけれど、驚かなかった。むしろこの少年ならさもありなんと感じて、いつもそうであったように彼の真っ直ぐな視線を受け、それに堪えた。そう。堪えた。そのとき私はすでに自分は彼の「教師」ではないと感じていたから。

 

「先生は死にませんよね。」

 

彼は真剣なまじめな表情をして私の目をまっすぐ見て、前置きもなくそれだけ言った。およそ社会の常識とされていることなどを、まったく意に介さない、それはこの少年の正直な魂が語らせる、たったひとつの言葉だった。

 

私は彼のその一言にこめられたすべてを理解した。身じろぎもせず、私は少年のその真摯な視線を受けた。

 

「ああ。死なない。学校に戻る。」私も彼に劣らず超常識的に対応して、短く答えた。

 

彼は、ただその視線のみで私にある決意を促した。そして彼は私の目の中にそれを確かめてから真面目なひたむきな一瞥を残して、去っていった。不思議な少年。絶対に普通の人間ではないな・・・この少年。

 

私はその背中に合掌したい思いで尚詩を見送った。

 

彼の訪問は、「5万人の生徒や教職員のうちにたった一人、自分を待っている生徒がいる」というメッセージに他ならなかった。

 

彼は学校中のどの生徒よりもいつも私を真剣に見つめていた。49999人が私に愛想を尽かしても彼は一人、私の生還を待っているのだろう。

 

彼はその短い一言を言う為にだけ、Y子にせっついて、私の隠れ家を突き止め、やってきた。余計な質問、余計な思いやり、余計な感傷は、彼の言葉に存在しなかった。その一言に答えた私の短い答えにも、不要な修飾はなかった。即座に答えた私の言葉を彼は完全に信じて去っていった。

 

その彼の後姿は映像となって私の脳裏に住み付いた。その映像はすでに人間ではなかった。来たな! と私はほとんど確信を持ってその映像を思い起こした。

 

あの「一人の少年」の存在が私を生還させる。あの一人の存在のために私は後の49999人の拒絶に堪えられるかもしれない。

 

「そういう尊い存在として、あなたは彼を送って来たな!」天を睨んで私はつぶやいた。