Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

自転車散歩

5月5日
朝、焼杭の残りを打ち込んだ。でも力がなくて、昨日まで打ち込んだ杭と同じ高さにできなかった。これ以上やったら危ないと、腰のあたりが言うので、いい加減にしてやめた。それからずっと家の中でぶらぶらしている。日曜は、テレビも面白い番組がない。面白そうだなあと思われるのは、9時過ぎで、そんな時間に、私は起きていられない。8時の番組だって、つけ始めてから、いつの間に眠っていて、内容がつかめないほどだ。
だったらもうばかばかしいから、8時には寝ることに決めた。だから朝は早い。だいたい目を覚ますころ、あたりの様子で何時かわかる。まだ暗いのは3時前。ほんのり明るいのは4時台。
5月6日
4時、まだ薄暗いころ目が覚めた。今日は自転車で、江戸川に行こうと、その時思った。何も用意していないけれど、気分がすっかり滅入っていて、どうしても気分転換の必要があった。たぶん、それは、「医学的に」必要だった。
自転車のバッテリーをとり換えて、もう、なんでもいいから出発した。江戸川の土手は単調で、べつにゴールデンウイークだと言って世間が騒ぐような見どころもないが、それでも世間が騒いでいるから、自分も家の中でくすぶっていないで外に出て見たい、と思っただけだった。
以前よく行っていた道と同じ道だったけれど、土手に上る道を間違えて、もたもたしていたら、散歩のおばさんが助けてくれた。重いのに、二人で自転車を上まで持ちあげましょう、とか言って。
朝の4時台に散歩しているおばさんは、若くはない。よくもまあ、あの自転車を一緒に持ち上げてくれたもんだ。世の中、捨てたもんじゃない、とこういう時思う。親切なおばさんに礼を言って別れてから、とにかく自転車を吹っ飛ばした。「海から22キロ」の地点から走って、以前なら35キロの地点まで走った。今回はどのくらいできるかわからなかった。
なにしろ、「行こう!」と思ってすぐ出てきたから、食料もなにも用意していない。持ってきたのlは、たぶん、1年前から冷蔵庫に入れっぱなしのペットボトル入りの「お茶」。それだって、手に当たったから持ってきた。普段は、「用意周到」な人間なのだけど、なんだか、このところ、どうでもよくなっている。
30キロ地点を過ぎたころ、少し疲れてきた。雉の声が聞こえたので、きょろきょろしてみたら、いた。懐かしい!でも、犬や猿はいなかった。釣り人、細いカヌーみたいな船、それから、いろいろな水の鳥、鷺や種類のわからない鴨類。それらを眺めていたら、気分も解放され、広くなるのを感じた。これだ、これだ、これじゃないと私はだめなんだ。
33キロ地点、ハンドルを握る手の感覚が、だんだん怪しくなってきた。35キロにこだわるまい、引き返そうと思った。ところが、行きはそうでもなかったのに、帰り道は、なんだか雲霞の大群に悩まされた。両手がハンドル握っているから、手で雲霞を払うのが危ない。なにしろ感覚の鈍った手を運転しながら離すのだから、危険極まりない。
そのまま走ったら、ざざっと音がした。なんだろう…と思ってふと胸を見たら、胸一杯に雲霞がぶちぶち張り付いている。いくらなんでも気持ち悪いので、自転車を止めて、胸の雲霞を払った。雲霞は小さい生き物だから、とまったり飛んだりするのに、「音」なんかしない。それが胸一杯に飛びつかれると、ざざっと音がするのをなんだか、新しい科学的発見みたいに感じて、しばらく、自分の胸から飛び立つ雲霞を見送った。
家にたどり着いた時は、7時過ぎ。ほぼ2時間半、自転車散歩をしていたんだ。満足だった。