Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

文明と非文明(3)

  日本人の知恵

 「生きるっていうことは食べるってこと」

 

 

 


今日は、戦中戦後を家族9人で生きぬき、内戦のエルサルバドルを生き抜いて無一文で帰国した、80ばあさんの知恵について思うことを記そうと思う。

 

 それは別に私だけが言うことでなく、もともと日本人にとっての「常識」であり、特別なことをいうつもりではない。100円入れれば食物が出てくる機械を文明だと思っている若い人々には多分「非常識」だろうけれど、100円玉がなかった江戸時代、人は「土」があれば生きて行けたのは生きる知恵があったからだ。

 

 コロナのうわさにおびえて家にこもり、ネット検索しながら、すべての食料をネットで注文しても、アマゾンにもイオンにもヤフーにも楽天にも、欲しいものがなければどうするのよ。飢え死にするの?

 

 だけど、人間が動物の基本に戻れば、つまり文明を辞めて、非文明に戻れば、いくらでも生き抜く方法はあるよ。土のある庭が少しでもあり、または土を入れる容器がベランダにでもあるなら、買ってきた果物の種や野菜の根っこを土に植えると、食料が生えてくる。それは原始体験かもしれないが、生きるということは、「食べる」ということ。「食べる」ということは生き物が生きる基本中の基本だ。

 

 まあコインを機械に入れたら食料が出てくるのが常識の人々には理解不能だろうけれど、「土」だよ、人間を生かすのは。いくら景色がよくても、金持ちそうに見えても、コンクリートの高層マンションじゃ生き抜けない。

 

 「味噌漬け、糠味噌漬け」


 なんだか飢饉が来るという噂がある。そりゃ大変だ。でも、コインスタンドで食料を調達する現代文明に頼らずとも、人間は現代文化以前から生きる知恵を持って生きてきた。

 

 卵や鶏肉が欲しければ、雌雄の鶏を飼えばいい。有精卵ができるから、卵は頂戴して、数個抱かせて雛を育てれば鶏が老いても若いのが育つ。鶏を放し飼いにすれば、土を掘って虫を食べる。フンは肥料になるなるから土も肥える。

 

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これは我が家にいた鶏たち

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グアテマラのマーケットで売っていた鶏


 日頃の買い物だって、ちょっと工夫すればいい。泥付きネギを買ってきて、庭がなければ大きい鉢に泥入れて、植えておけば、冷蔵庫より長持ちするだけでなく、ネギの根っこを植えておけばまた若いのが生える。ジャガイモだって泥付きをたくさん買ってきて、土深く埋めておけば、芽が出ないし保存ができる。

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泥付きネギ。その後ろに盛り土があるのは、ジャガイモを保存した穴。


 文明が発達しすぎて本来の動物の生き方を忘れた超現代人は、いろいろなものををネットで探して、食べ物がないない、コロナのせいだコロナのせいだと苦しんでいる。

 

 コロナが来ようがオミクロンが来ようが、家で布団かぶって寝ていないで、生活難を生き抜いた時代の知恵を思い起こせ。


 今文明人とやらはコンクリートの高層マンションに住み、全く土のありがたさを知らずに、飢饉がくるくると怖がっている。だったら、飢饉が来る前に土に戻れ、土に帰れ。土に触れてよみがえれ。20年前、私たち一家が今の家に住み始めたころ、あたりは畑だらけの田園風景だった。ところが今、たぶん代替わりしたんだろう、畑が全くなくなって、コンクリートの家がぎっしり並んでいる。息が詰まりそうだ。


 商店は、物を買わせるために、食料をビニールに包んで賞味期限が早くなるように工夫しているように見える。ぬか漬けもみそ漬けもビニールに包んで早めに腐らせてもっと買わせようとしている。ぬかやみそは東北の貧農が冬を越すために漬物を長時間保存するために考案したもので、今だって冷蔵庫なしで、一冬3か月は長持ちする。数日間で賞味期限が切れるはずがない。それを賞味期限促進用にビニールにくるんで、冷蔵庫で保存するのはアホだよ。もう。

 

 私は内戦のエルサルバドルで、爆撃の中で暮らして、その生き方を知っていたのは、日本のあの第2次世界大戦を防空壕で過ごし、戦後庭をすべて畑にして、家族総出で食料生産をしながら生き抜いた、あの経験があったからだ。あの時代を「非文明的」と言えるのかね。文明がどうあろうと、人間は動物として生きなければならない。

 

 なんだかね。進んでいるとか遅れているとか、文明人とか野蛮人とかいう前にさ、生きる基本を考えたほうがいいよ。飢え、乾き、爆弾を逃れ、そしてその中で生き方を模索して生き抜いてきた。80年、私は無駄には生きてこなかった。