Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

文明と非文明(2)

日本人は卑屈だ

 若い時、世界各国を歩き回って思ったこと。世界を歩く日本人て、なんて卑屈なんだろう、ということ。

 

   別に私は国粋主義者でもないし、国外に出た日本人が国籍を主張しまくって異常に突っ張っていろなどというのじゃない。自分の名前を名乗るのに、国外に出たとたんに、真理子をMaryにしちゃったり、よし子を「よしーこ」と真ん中にアクセント置いて相手に伝えたり、ともこをTommyにしちゃったり、なんか、ばかじゃん?

 

 英語を話している国外の人って自己主張が強いから、自己主張をする人を尊敬する。私が自分の名前「瑠璃子」を名乗ったとき、皆が真ん中のシラブルにアクセントを置いて、ruri~koと発音するから、はじめのRuのu上に、アクセント記号を付けて、なんどでも、Ru.rikoと発音させた。いえるまでRUを強調し、自己主張した時、彼らはこう言って感心した。「おお!それだけ自己主張をする日本人を見たことがない。あなたを心から尊敬する。」彼らは以後、私の名前を間違えなかった。

 

 私は何も尊敬を勝ち得ようと思ってこういう話をしたのではない。自分がただ、別の名前で呼ばれることを避けたかっただけだ。それは異常な自己主張かもしれない。しかし「名前」とは固有の人格の表明であって、それを相手の国の表現に替えるということは、相手の国の傘下に入ることだ。

 

 外国人が日本語名を名乗った人物で著名な男は、ラフカデイオハーン(小泉八雲)(1850~1904)。ただし彼が小泉八雲を名乗ったのは、日本人と結婚して日本国籍をとってから。旅行中に、自分の名前を変更して「ともこ」をTommyと呼ばせて、相手の文化にへつらったわけではない。名前というのは、人間個人を表す、最も大切な「名刺」なのだ。

 

 英国人もスペイン人も世界中を歩き回り、世界中の異文化に出会った。しかし彼らは自分の個人の名前を、であった国の表記に替えたことなどない。それはなぜか。自信があるからである。彼らは相手の国の文化を滅ぼし、英語と英語名を相手に押し付けた。それは世界を支配するためである。

 

 ところが、世界中を歩き回っている日本人は、自分の名前を行った国によって、変更する。これって、ばかじゃん?

 

 だからといって、日本人であることを強調するために、国外に住んで日本の神社を建設するのが日本人の誇りとして素晴らしいなどと私は言うつもりはない。異国にあって異国の宗教の尊厳を傷つけるなら、それも一種の売国奴。

 

 世界中にキリスト教を強要して、アメリカ大陸の文化をつぶすことに専念したスペインが正しいなどと言っていない。アステカにはアステカの宗教、マヤにはマヤの宗教、インカ帝国にはインカ帝国の宗教があった。宗教はどこの世界でもその国の文化の根源を作り、支えたのだ。それをつぶすということは、そこに住む人民の「固有の精神をつぶす」ということだ。

 

 ところで私はカトリックの家庭に生まれ、カトリックの洗礼を受け、カトリック信者として育ったが、中南米を歩いて苦しんだ。アステカの文化、マヤの文化、インカの文化をカトリックの名のもとに、スペインがすべてつぶしてしまったことに。あるカテドラルの地下に今でも置かれている拷問用具を見て、私は大きなショックを受けた。

 

 カトリックが神とあがめるナザレのイエスは、イエスを神としてあがめない人間集団を、皆殺しにしても教えを広めよとなど言わなかった。彼は、「自分の教えに従わない相手は殺せよ」というような人間だったならば、当時の奴隷のための最も侮辱の刑である十字架刑などにかかって死ななかった。

 

 今、キリスト教と無関係な人も、どういう意味か、首に十字架をかけている。その十字架が、ギロチンと同じ代物で、キリストが十字架刑でなくギロチンによって死んだなら、首にギロチンをかけて粋がっているのと同じことだ。

 

 日本人て本当に自信のない民族だ。第2次世界大戦で敗れてから、日本に意味不明のカタカナ語が氾濫している。国外で暮らしたわけでもないのに、両親さえも、マミー、ダディと呼び、言葉の各所にカタカナ語をはびこらせ、80歳の私にはまったく意味不明の言葉を氾濫させているのを、彼らは「誇り」にしている。その「誇り」、それは奴隷根性そのものである。

 

 かのマザーテレサはカトリックの修道女であったけれど、インドに行ってカトリックを押し付けたりしなかった。彼女が死んだとき、インドが彼女を国葬にしたのは、彼女がインドの固有の思想、固有の宗教を尊んで、決してカトリックを強要しなかった、むしろインドの文化に貢献した人物だったからだ。「文明的」と自ら思う集団が「非文明的」と位置付ける他の集団を自分流儀に替えようとするとき、民族を単位の流血が起きる。それが世界戦争に発展する。