Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

文明と非文明(1)

文明と水洗便所と、河川の汚染

 終戦直後の食糧難の時代、都会の人は、農家に行って米を買った。コメは配給制だったから、他で調達するのは違法だった。配給のコメは少なくて、到底一家を養える量ではなく、人々は、こっそり農家に買い出しに行き、コメを求めた。それは「闇米」と呼ばれた。お金があって買い出しができたのでなく、衣類、装身具、着物などの、物々交換で、ヤミ米を求めた。違法だから捕まればしょっ引かれる。危険を冒して人々は食料を求めたのだ。

 

 電車はヤミ米列車と呼ばれ、買い出しであふれる人々は、電車の連結器まで乗り込んだ。その中に、まだ小学生だった私もいた。子供だろうが何だろうが、コメを背負う要員が必要だったから。

 

 土のある庭には、あらゆるものを植えた。麦、ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシ、ナスやネギなどその他野菜類、植えられる食料はすべて植えた。畑で生産する食料を育てるために肥料は、肥しだった。もちろん、自家製産の肥やし。ぼっとん便所の中身である。(その当時、「ぼっとん便所」なんていう言葉はなかった。一般家庭に水洗便所なんてなかったからね)

 

 そうやって食料を生産し、生き延びた時代を非文明的というらしい。今は便所がみな水洗トイレだから、文明的なのだそうだ。便所は水洗トイレという意味は、すべての汚物を水とともに河川に流し、汚物は「見えないから」文明的という。

 

 そして薬物とともに流された水洗トイレの水によって河川の生き物は大量に死んで水に浮く。生き物など「文明」と関係ないし、人間が文明を楽しむためなら、魚なんか死んだっていいのさ。

 

 私が住んでいる松戸市の向こうにある柏市から我孫子市に広がる河川、「手賀沼」は風光明媚なところだけど、日本一、汚染の激しい河川らしい。私が行ったときは、魚が腹見せてたくさん浮いていた。ものすごく文明的だったねえ。

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 で、その文明が狂ってきた。その話を書こうと思う。