「偶然の結果の出生地と宗教の選択と 他宗攻撃を口実にした覇権争い」2
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私が無意識のうちに生まれた世界は、太平洋戦争直前の日本人の家庭で、宗教は日本ではかなり少数派のカトリックだったから、近隣にそういう人種は一人もいなかった。
おまけに母が植物が好きだったからか、家はまるで森の中の赤ずきんちゃんの家みたいに、木々で覆われ、一般世界から孤立していて、遊び相手になる子供もいなかった。
だいたい私が記憶している最も幼女のころの居場所は、『防空壕』の中で、家族が庭に穴を掘って作った防空壕だから、それはまさしく竪穴住居以前の「ほこら」だった。家族以外の人間関係が出来るわけがない暮らしをしていたのだ。
東京大空襲の猛攻撃を覚えているよ。
それでカトリックと結び付かないけどね^^。
私は日本にいながら日本古来の仏教や神道起源の常識を身につける事が出来なかった。
まして私がいれられた小学校は、がむしゃらな覇権主義で異民族の文化を破壊して、世界にカトリックを強いたスペイン系のカトリック私立校で、私は住んでいた町の日本の祭り等に参加はおろか、神社仏閣の中を散歩で通ることも許されなかった。
それにもまして、へんてこな制服を着た私が道を通ると、悪ガキが『アーメン、ソーメン、ひやソーメン!』と叫んで石を投げる。そんな状況の中で私は、自分を異物視する者に対する敵意もきちんと育った。
だって、生まれた場所の考え方が問答無用で一番正しいんでしょ?
大東亜戦争のもとで日本では、敵国宗教であるキリスト教は弾圧され、一般人は江戸時代のキリシタン邪教意識を引きずっていたんだからカトリックの家庭に生まれカトリックの学校の制服を着た私がまともにあつかわれるわけがなかったのだ。
敵意と言うものはお互いにこういう状況で生まれる。理屈もへちまもないのだ。
このような状況下で育ったら、自分が所属する世界以外への理解など生まれるはずがない。