Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

今度は医療の問題)(2)

ところで、母の最期の話に戻そう。

母の気持ちを私は理解したけれど、私も「一度決定した事を覆すことが難しい真面目な日本人」だった。それを覆して母の最期を自宅で見ようと、あっけらかんとして決定したのは、「ケセラセラ民族の」エルサルバドル人の夫だった。かつて、自分の家庭で、死に逝く家族をすべて見送った経験のある夫は、いつも一人暮らしの母を心配していた。

実はこの母、私がケセラセラ民族と結婚することに反対し、結婚して8年後に出会った時から、握手を求める夫の手を振り払って、「あなたは私と関係ない」と言っていた凄い婆さんだった。その言葉に対して夫はそっと私の耳にささやいた。「お母さんはもう僕を受け入れているよ。関係ない人間なら、いくらなんでも手をふりはらったりしない。お前と無関係と宣言したりしない。」と言っていて、却って面白がっていた。

母を受け入れる準備として、私は、母の持ち物を選りすぐり、母が最後まで縫っていた衣類と、母が一生尊敬し続けた父の遺作の数点の絵と、母のコレクションであった諸国の土鈴と、母がこだわった母のベッドとを自宅に運び込んだ。母のベッドからそれらすべてが見えるように配置し、母のこだわりをすべて演出して母を迎えた。

其の時は母は言った。6人もいる子供たちの中で、自分のうちに来て下さいと言ってくれたのは、あなただけだ。最終的にそう決めたのは、私でなく主人だったが、あれほど主人を拒絶していた母も、最期は主人を受け入れた。少し歩けるときは、主人が会社に行く時も帰る時も、玄関で母は手をついて私の主人を送り迎えた。私はそんなことしたことがない。母は最後まで武家の出身である自分の出自を誇りにし、人と接するのに儀礼的だった。

すべての人に感謝しながら、集まった家族にも見送られ、母は私の腕の中で死んだ。

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ところで、母の死から何年もたったころ、私は札幌の寄宿舎のある学校で勉学していた娘の卒業式に行った帰り、飛行機の中で急性盲腸炎になった。客員が手配してくれた救急車で、私は羽田からある救急病院に運ばれ、手術を受けて数日間、ある病棟で過ごした。当時夫は国外に出張中で、娘はまだ帰宅していなかったから、病室など選べず、救急病棟の大部屋で過ごした。

ところで、其の時の経験から、ホスピスを嫌がった母の言葉の意味が分かったのだ。なにしろ救急病棟で、毎時間運ばれてくる患者の状況がこちらにわかるのである。斜め前に寝ていた患者の状況を示すモニターの画面が見えた。始め波を打っていたグラフのような線が、つつつつーとまっすぐになっていく、その意味がわかった私は、母があのホスピスを逃げ出したくなった理由が突然わかったのだ。

母は死ぬ前の日々、これを見て暮らしたのか!

腸炎くらいの手術で、別に死ぬ直前ではなかった私でも、とうとうたまりかねて、病院を抜け出すことにした。あと3日間いなければならない状態だったが、私はエビのような姿で手術のあとを保護しながら、電車に乗り、家に帰って一人になった。

人は生き物だから必ずあるとき死を迎える。死を迎える医療というものが、まだ生きている物と分離されて、隔絶されて、死の施設に送りこまれるという、それが本当にいいことなのか、私は少し疑問に思う。家族は家族の死に直面しない。器物と化した死体の処理だけ引き受ける。

これはははたして「人間的」か。

私は3歳のときに姉の死を見届けた。9歳の時、父の呼吸が止まり、たてていた足が崩れるまで、そばにいた。平成2年母を見送った。葬儀を見届け、土葬だったときは墓に土をかけ、火葬だった時は灰になった骨を見た。異国の内戦の中で、路上の死体を見た。死の悲しさを、別れの悲しさを、そして不気味さもおぞましさも、「体験として」知る状況を生きた。

今、すべてが「合理的に」進行している。若者と老人、子供と大人、健常者と障害者、そこにわざわざ分類の壁を作る。其れは医療保険の徴収金額にまで及び、74歳と75歳の医療保険は区別して、75歳から負担が大きくなる。それはまるで、生きるなら74歳までにせよと言われているように聞こえる。オリンピックとパラリンピックはひにちまで分けるのが、世界的な常識で、ふと頭をかしげる人はいない。人間を細かく種別ごとに整理整頓するのが、文明的で、すべてを一緒にするのは非文明的らしい。

生まれ、育ち、死ぬのは一貫した生物としての人間の一貫した生涯だと思うが、其れを分類しないといけないと決めるのが文明社会の合理主義である。

徘徊老人を、ボケだの、認知症だのと名をつけて、病人扱いするのも、文明社会が動物の本能を忘れたからである。其の事を私は去年亡くなった舅の行動をみて、思った。

爺さんが外に出ることを、家族も使用人も許さず、ドアに立ちふさがって妨害した。妨害されて怒った舅は、杖を振り回して抵抗した。それをみんな、爺さんがボケたからだと思った。見知らぬ街で徘徊されたら大変だと思うのは、よくわかる。しかし、私が観察した事実によれば、彼は故郷に戻りたかっただけだ。

昔飼っていた猫は、死ぬときにいなくなった。自分の死に場所を生まれたところに戻る本能によって、猫は消えて行った。ジャングルの象も、死に場所を求めて消えるらしいし、多くの動物が、死ぬ時生まれたところに戻るらしい。

お爺さんは、いつもチャルチュアッパに行きたいと言っていた。生まれ故郷に戻りたかっただけだ。其れに気がついた私が、主人とその弟に、故郷に誰も知り合いがいなくてもいいから、一度でいいからお爺さんを連れていったらどうかと提案した。彼らは意見を受け入れて、お爺さんの故郷に連れて行った。

隔離され老人の徘徊を人は病気の一種と思うらしい。しかし、人間はもともと動物で、死ぬために生まれたところに戻りたくなるのは、果たして「病気」なのか。私は疑問に思う。

人は自分が動物であることを忘れすぎてはいけない。人が動物の自然なら、なにをするか、ちょっと考えてみたら、老人病と言われるほとんどは、解決するかもしれない。