Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

好き嫌いって、誰にも理解されない

人の好みって理由がない

 世の中には、猫が好きな人、犬が好きな人、鳥が好きな人、爬虫類が好きな人がいるけれど、「好き」という感情は、理由がない。なぜ猫が好きか、なぜ鳥が好きか、なぜ蛇が好きか、なぜなぜと聞かれても答えられない。

 

 私は大体の動物は好きだけれど、特に飼うなら、鳥がいい。今はインコを飼っているが、昔は鶏をたくさん飼っていた。コッケッココケッコと鳴くの近所迷惑だと言われて飼うのやめたけれど、今でも鶏を飼いたいという気持ちはある。

 

 ところで、音楽だって好みがある。演歌が好きな人、浪花節が好きな人、日本民謡が好きな人、クラシックが好きな人、ミサ曲が好きな人、いろいろある。で、音楽というものは、音が出るから、好きな人にとってはもう大音響でも、心がほのぼのとするらしい。他人の気分など全く考えず、素敵だから聞きなさい、と言って押し付けてくるのはすごく迷惑で、猫がかわいいからと言って、鳥を飼っている人の家に、猫を連れ込むのと全く同じ。

 

 演歌に酔える人は、誰でも演歌に酔えるものだと思って、クラシックファンに大音響で、演歌を聞かせて、いいでしょいいでしょというからかなわない。だからといって演歌好きな人にクラシック聞かせても、うんざりするだけ。

 

 そういうのが分からない鈍感がいるけれど、静かに自分はその音楽分からないからかえって失礼に当たるから、といっても自分がいいと思うものはお前もいいと思うはずだと言って聞かせようとするからかなわない。遠慮しているんだと思うらしい。

 

 演歌好きは鈍感が多い。自分はクラシックなど聞いても全く何もわからないし、クラシックなど音楽じゃないと思っているならそれでいい。別に好きじゃないもの好きになれなんて言っていない。演歌が好きなら好きでいい。でも、それを他人に押し付けるのは、やめてほしいものだ。

 

 こちらも演歌好きにクラシックを押し付けたりしていない。むしろ、こっそり、誰もいないところで静かにクラシックを聞いている。