Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

つくづく婆さんになった

今日はやや痛みが軽減しているのを感じた。ぎっくり腰で、痛みが強烈で不自由な状態が続いた時、進行中の私の「造園」をどうしようかと思った。ビバホームに焼き杭を20本頼んであって、それを取りに行きたいけれど、どうしようもない。だいたい、杭を打てるまで回復するかと、あの時は、考えた。

今だって、ようやっと、薬を飲んで痛みを抑えているにすぎないのだから、薬をやめて今までみたいに買い物に出たりすることができるようになるのか、心配なのだ。

私には、すでに他界したけれど、道産子の母がいて、ヒグマのごとく強かった。80を過ぎても一人暮らしで、すべてのことを一人でこなしていたが、ある時、天井の電灯を代えるために、脚立に乗って転んで骨を折った。以後、治療にあたった医者が寝たきり宣言をしたにもかかわらず、くそっと思ったか、自分でリハビリして歩けるようになり、それ以後数年間、途中まで車で連れて行ったとはいえ、山歩きだってしたのだ。自分が腰砕けになる時、いつも思い出すのは、あのヒグマ母さんだ。

80代で骨折して以後、山歩きができたあのヒグマ母さんを思い出す限り、私は自宅の造園ごときを放棄してはいけないのだ。実は、私が杭うちに使っている「よき」は、実家にあって私が子供のころから薪割りに使っていたもので、母の死後、もらいうけた。「金め」の物に、あまり興味なかったが、母が子育てに使った昭和4年満州で買った、手回しのシンガーミシンと、あの「よき」を母の形見にもらった時は、なんだか、うれしかったな^^。

私は婆さんになった証拠だな、よく昔を思い出す。