Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

只今、リハビリ中

昨日の眼科の予約が心配で、風邪をしっかり治したつもりだった。それで、凄く都合よく、「治った」と思って、自転車で往復して家で落ち着いたのだけど、何かの拍子に、腰を痛めた。いつもの腰痛の鈍い痛み方でなく、立っていられないほどの痛みだった。

眼科の診療で遅くなって、2時ごろ昼食を作っていたのだけど、台所で立っていられなくなり、這って階下に降りて、痛みの激しい部分にロキソニンパットを張り付け、コルセットをしっかり巻いて、腰を固定し、ベッドのわきに2年間用ナシで放置していた杖に頼って、また、2階に戻った。ロキソニンの飲み薬は2階にある。

どうしよう!と実は思った。整形外科に行くにも、他人の助けなしには、どうしようもない。タクシーだって、崖の下までしか来ない。仕方がない、薬を飲んで様子を見て、最終手段は、救急車だな…。と、覚悟した。

ところで、「覚悟」というものは凄いもので、救急車の世話になるなら、戸締りだの、死んだ時の用意だの、いろいろなことを、段取りをおって、頭の整理をしなければならない。なにしろ、国外にいる家族は、日本の死亡事務の煩瑣な手続きを何も知らないから、書類を作っておかなきゃならない。それでパソコンを遅くまで操作して疲れちゃった。だいたい、昨日までもっこ担ぎやっていた人間が、今日は杖、なんて本人だってわからないのだから、家族はさぞたまげるだろう。

寝るとき、湯たんぽをきちんと用意した。お湯を入れれば重いのだけど、ひきずってでも布団に運び込むべき必需品だと思った。

起床は6時40分。頭の中には、また、私が結婚して家を出てから、88まで一人暮らしだった母の言葉を思い出した。彼女、自宅の電灯をとりかえる為に、脚立に登って、落下し、骨折した。80を過ぎていたから、医者でさえも寝たきり宣言をしていたのだけど、彼女自分でリハビリして、歩けるようになった。訪ねて行った時、ゴミ箱がベッドから離れた部屋の隅にあったので、気を利かせたつもりで、ベッドの脇に寄せたら、彼女、怒った。「すべてが手の届くところにあったら、寝たきりになるから、わざわざ遠くに置いているのだ。リハビリの邪魔をする気か?」

あの言葉、凄かった。表情は鬼気を帯びていた。

80を過ぎて骨折した母が、リハビリで歩けるようになったのだ。医者があきれるほどの回復ぶりだった。

そうか…。母の精神を思い起こして、私は考えた。また、もっこ担ぎできるまで、やってやろうじゃないの。