「自伝及び中米内戦体験記」11月1日
「マチュピチュ紀行」
「キトー観光の残り」
7月29日、ガラパゴスからキトーに戻った。ガラパゴスの前に来た時と同じホテルに泊まる予定だったので、この前と同じガイドが空港に迎えに来ているはずだった。荷物の受け取りなどで時間がかかり、やっと外に出てきた時に、ガラパゴスで一緒だった3人の老女の一行も、同じホテルだということで、待たされていた。
彼女達は、一つ前の飛行機で発ったのに、私達と一緒に送迎バスに乗せられるため、実に2時間も、空港で待たされていたのだそうだ。なんだ、なんだとお互いに挨拶をし合って、私たちにとっては、もう見慣れたつもりのホテルに到着したが、改築中だったホテルは、数日の間に少し趣を異にしていた。
案内された部屋も、ガラパゴスに行く前に寝た部屋とはまるで違い、小綺麗でもっといい部屋だった。あの海賊船の中に3晩閉じ込められた後だったから、そう感じたのかもしれないが、シャワーもトイレも新しく、熱いお湯が出た。部屋には別に必要はないが、テレビがあり、冷蔵庫もあって、飲み物が冷えていた。
その改築されたらしいホテルの部屋ですこし休んでから、今度は夕食に町に出た。ホテルの食事は、国際的で、どこにでもある定番の料理しか出さない。この国の、典型的な食べ物は、町の料理店にしかないのだ。ぶらぶらと歩いていたら、ちょっと大きな料理屋があった。もっといいのがあるだろうなんて考えていると、また変なことになる。もう、ここでいいからはいろうよ、と私が主張して二人ではいった。
ボーイがメニューを持ってくる。「この国の一番典型的料理は、何?」と、聞いたら、「クイを揚げたのがあるよ」という。クイというのは、モルモットに似た動物で、後で聞いた話だけど、原住民が大切な祭りなどで食べる貴重な蛋白源だそうだ。「それを食べたい!」と私は即座に言った。
せっかく南米に来たんだ。現地のものを食べなくてどうする!
さっそく、クイを注文した。わくわくして、待つこと20分。クイがきた。ジャガイモや、アボカドや、いろいろな野菜の傍らに横たわっているのは、ちょっとねずみ状の形状を呈する、怪しい動物のから揚げ。お頭つきで足もある。耳や足が特にねずみそっくり。何だか、かわいそうだな、とチラッと感じた。実は思い出した。ガラパゴスで一緒になったスペイン人たちが、この国の人はネズミを食べるんだと言ってさげすんでいたのを。
まあ、食べ物ってどこでもその国の特徴はある。日本人は、魚やえびは平気で丸ごと、時には生きたものを食べるくせに、四足に弱い。昔若い時にスペイン旅行をしていた時に、レストランのショーウインドーにあった、豚の胎児の姿を見て、げげっと感じたのを思い出した。
とりあえず、かぶりつく。塩味が強い。骨が細い。開いた感じが、モグラみたい。いろいろな知っている動物を連想しながら、食べた。そうなると、本当は気味が悪いという感じもしなくはなかったが、とにかく、珍しいものが食べられたことに満足した。
30日。例の順序の逆な朝食をすませ、ガイドの到着を待った。マチュピチュに行く前、まだこのエクアドル観光の残りがスケジュールに組み込まれていた。3人の老女とは別行動で、今までのガイドはそっちに付くらしく、別のガイドがやってきた。
気のよさそうな、ジイサンだ。La Mitad del Mundo、地球の中心のことらしい。「地球のへそ」ともいう。博物館や土産物屋が一箇所まとめられた、政府が作った観光名所で、この観光に参加したら、必ず行くことになっている。地球はまん丸なんだ、どこが中心か、分かるかい、と私はいつものごとく、独り言を言いながら、エクアドル観光の定番に付き合うことになった。
何だか、いろいろと市内の教会めぐりをしてから、その「地球のへそ」とか言う名所に行くらしい。建物としての教会はヨーロッパが本場で、此処の教会は皆そのコピーだと考えた私は、教会なんか見たくないよ、と言ったら、まあまあ、となだめられ、爺さんは車を運転始めた。
実は私には少し、その「教会めぐり」が苦痛なのだ。教会は、スペインが制圧したインカの神殿を取り崩した跡に建てられた。殺戮と覇権獲得の血なまぐさい歴史と、「愛の神の子」キリストの教会の建物とが、あまりに矛盾に満ちていて、いくら美術的価値があっても見るのは辛い。
そういう私の胸中などどこ吹く風と、爺さんは町の中を車を走らせていて、幸福そうに、説明などをしてくれる。ところが、爺さん、ふと通りに自分の息子が立っているのを見つけて、「息子だ息子だ」といいながら車を止め、その息子を乗せて、息子の仕事先まで送り、それから息子自慢を始めた。公私混同もはなはだしい。気がいいジイサンだ、ラテンアメリカだし、こういうのもありだろう。
ジイサンはヘイヘイしながら、あっちこっちの建物の説明をして、私達は気のない顔で、ふんふん、と応じていた。ジイサンは、どんどん、自分の自慢の教会に私達を連れて行く。凄いだろ、いいだろ、立派だろ、と爺さんは気のよさそうな顔して、自慢げに建物の説明をする。どの教会も、ゴチックだのロココだのという形式の、ヨーロッパの教会のコピーだ。ああ、そうだね、ふむふむ、面倒くさそうに返事していた。
そのコピーの中で、ひときわ目立ってでかいのがあった。古めかしくどんなに遠くから撮っても、全部が収まるような大きさじゃない。とにかく、がばーーーっと町の一角を占めるのだが、端から端まで歩いても10分位かかりそうだ。
これはすごいな、とさすがに私達はそのサイズに圧倒され、撮影を試みることにした。どこかで下ろしてくれとジイサンに頼んだら、やっと注目してくれたかといわんばかりに喜んで、いそいそと駐車する場所を探していた。ところが、爺さん、「ここいらに適当な駐車場がないので、ぐるぐる回っているから、写真撮ったら、ここにいてくれ」と、拾う場所を指定して下ろしてくれた。
そのカテドラルの主な部分
その、人を圧倒するようなでかい建物は、市の中心のカテドラルだそうだ。傍に立っているだけで、人間が蟻んこに見える。そりゃ、これなら、「市の中心」にちがいない。時間がなさそうなので、中には入らなかったが、航空写真でも撮る以外、どこから撮っても、一部しか撮れないことに諦めて、さっきの場所でジイサンを待った。
征服者が権力の象徴として建てたものだ。実寸を図ったわけではないが、ヨーロッパの本家のものより、どうも南米の教会のほうが、壮大で、辺りを睥睨してそびえているように感じた。
教会と呼ばれようと、カテドラルと呼ばれようと、宗教そのものには関係ない代物だ。権現様が祭られた、ごてごて、キンキラキンの日光東照宮と変わらない。本気で宗教を研究すれば、そういう権力の象徴としての物体は、宗教にとって、むしろ百害があって一利もない代物だということが分かる。
そんな冷ややかな思惑とは裏腹に、爺さんはニコニコして、やってきた。「でかいね」と私たちは一言いい、車に乗り込んだ。爺さんは、拍子抜けしたような顔をした。
私達が、街中の観光客相手の「すごいはずの」建物に、あまり感動しないのを見て取った、ジイサンは、「じゃあ、これは観光のルートには含まれていないところだけど、自分の取っときの場所に自分の気持ちで案内する」といって、町を離れて山の方角に運転を始めた。この人たち、壮大でもなんでも、町はだめなんだ、と観念したらしい。
先日の立て板に水のガイドが、ちょっとテープを回したみたいに機械的だったのに比較して、このジイサンは自分の息子を観光案内の車に乗せるだけあって、人間的だ。
先日のガイドだったあのテープ人間のガイドが、あまり面白くもないところを突っ走るので、うんざりしたあげく、あの時私は提案を試みた。客は私たち二人だけだった。それで自由が利くと思って、窓から見かける珍しい植物を写真に収めたいと考えた。「どこでもいいから途中、野の花を写真に撮りたいから、車を止めてくれないか」と交渉したのだ。
そうしたら彼は、一所懸命、花屋だとか、個人の庭園だとか、花を栽培している農園だとか、ビニールハウスだとか、「観光客が喜びそうだ」と「彼が考えた」ところに連れて行こうとして、困った。私が、身振り手振りも交えて、夫も協力して、「そうじゃなくて、ほら、そこに見える花を写真に収めたいんだよ」と指差すのに、どうしても理解してくれず、金持ちの私的な庭なんかに侵入しようとして、断られていた。
彼にとっては珍しくもなんともない植物でも、私にとっては始めてみるものだ。彼にはそのことがわからない。まあ、日本でぺんぺん草を写真にとるみたいなものかな。。。
私は説明を諦め、指を加えて窓の外を眺め、おとなしくガイドに従って「元祖地球のへそ」や、美術館や、教会の見学をしたのだった。
このジイサンは、公私混同の精神を持っているので、すぐに私達の人間を理解した。彼の取っときの場所は、観光客が行かない、土地の人の楽しむ、高台だった。だから足元はごみだらけだったが、アンデスの山々の展望が素晴らしかった。山々の名前は、スペイン語のサント何とか言う名前ではなくて、すべて、原住民の昔ながらの固有名詞だった所為で、書き留めるものも持ってなかったから、記憶していない。
それでもそばに、小さな土産物屋があって、中で、年齢不詳の男が、笛を吹いていた。日本でも有名な、あの「コンドルが飛んでいる」だ。ええと、「コンドルがやってくる」だっけ。とにかくコンドルがどうかした曲だ。その笛が気に入った。自分で音程を調節できるかどうか分からないけれど、誰か、出来る人にプレゼントしよう。
あの公私混同の気のいい爺さんの気持ちを思い出に、雄大な山々の景色を堪能し、こんどは、水が欲しいという私に、水だけじゃなくて、すごくうまいパンを売っているところがあるよと、これも、観光ルートから外れた小さな店に私達を連れて行った。
それはガソリンスタンドに併設された小さな店で、東屋のような屋根にベンチとテーブルがある、小さなコーヒーショップみたいなところだった。爺さんが勧めるパンを注文し、水を買った。間にクリームのようなものを挟んでやいた、ふっくらとして暖かく、とてもおいしいパンだった。エンパニサードというのだけど、何だか、そういうものを日本ではどう呼ぶんだか、スペイン語の世界にいると思い出せない。とにかく昼食前、軽いもので済ませ、次の行動に移るには、丁度良いおやつにありついた。
あちこち寄り道して、私達は、やっと、エクアドル観光の目玉である、La Mitad del Mundo「地球のへそ」にやってきた。目玉だけあって、観光客が群がっている。特にへそと一緒に写真を撮ろうとする客が後を絶たない。爺さんは、せっかく来たんだから、赤道の上に立って、へそを背景に、写真を撮れといって効かない。
政府認定の地球のへそ↑ 前見た初代地球のへそより建物としては立派
赤道は赤い線が引いてあって、ちょっと滑稽だ。赤線の延長線上に、へその記念碑が建っている。元祖「へそ」よりりっぱな「でべそ」で、塔の上に地球が乗っている。
しかし、へその近くには、高校生らしい一団がふざけながら、奇声を発して写真を撮ろうとなるべくおかしなポーズを取りまくっている。相手にしていられないのだけれど、爺さんは写真写真といってうるさい。もう、写真を撮ってくれないと生きていられないみたいな口ぶりだ。可哀想だから始めは付き合っていた。
でも、高校生たちは、キャッキャキャッキャと騒ぎ続ける。とうとう、管理者側からマイクで、高校生に立ち退き命令が出た。でも、一向にどこうとしない。
いらいらした私は提案した。「どうせ中心なら、裏側からでも中心なんだから、裏側から写真撮ろうよ。」それを聞いてジイサンは東西南北の西正面を残して3方向から撮ることに同意した。爺さんが私のカメラを放さない。3方向回ってきて、西正面に戻ったが、高校生はまだ地球のへその正面でふざけまくっている。よほど、地球のへそが好きらしい。
「私のへそじゃ、ダメかい」、とうっかり言いそうになった。
へその周辺にはレストランと、土産物屋がある。へそにかかわりすぎて博物館の見学の時間がなくなった。どうせへそにかかわる博物館だ。エノクが入るというので、私はその間、土産物屋に回った。私は、現代の、多分中国なんかで大量生産している「世界の民芸品」が欲しいのじゃない。掘り出し物の土器とか、土着民がその価値を知らないで、二束三文で売りに出している意味不明の怪物が欲しいのだ。
店の正面には、観光客がよろこぶことになっている、メキシコにもグアテマラにもエルサルバドルにもありそうな、どこでも国名だけ換えてはんこを押した人形とか飾りの類の並んだところを通過して、奥の目立たないところにおいてある土器と化け物が積まれたところに直行した。
爺さんに連れられて行った山の途中で売っていた細密画↑
私はそこで博物館で見たような、つぼを数点買い、ジイサンの運転する車に乗って、リマ行きの飛行機に乗るべく、飛行場に飛んだ。いよいよ、マチュピチュだ、そう思って、私達は勇み発った。
飛行機の中で、「あのジイサン、いい人だったな」、とだんなが言った。確かにいい人だ。いい人の特徴で、仕事に対する弱さも目立つ。客に合わせるのはいいけれど、これで会社でやっていけるのかな。と、余計なことを考えた。
それに、聞きながら思ったのだけど、彼独特の妙な訛りのあるスペイン語で、話が聞きづらかった。母音のないrの発音をsの発音で統一している。puerta norte(北口) をpuesta noste(動詞ponerの活用形、)と発音する。そうなると、意味が変わり、理解に苦労した。
はじめその単語だけの癖かと思ったら、よく聞いていると、すべての単語に同じ訛りがある。それでやっと、sをrに置き換えながら聞いて、意味が分かるようになった。エクアドルのある地域の訛りかもしれない。あまりキトーに思いが深くなかったので、キトー観光は、なんだか面倒くさかった。