Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

神経立っている


今朝目が覚めた時、ちょっとぎょっとした。かなりのどが痛い。風邪のひき始めののどの痛み方だ。目玉の手術は、他の病気があることを凄く嫌う。風邪をひかないように気をつけろ、インフルエンザなら、延期だ、と注意を受けたので、風邪を引くわけにいかなかった。
 
実は昨日、自転車で、サティまで行って、主人のパジャマを買ってきた。5日間ばかり、優待券だとか、割引の日だとか、いろいろな割引を重ねるとほぼ50%引きになる。14日までだけど、私が行動できるのは、昨日しかないと思った。

主人が帰る前に冬の衣類を点検したら、彼の寝巻、着古してどう見ても冷たそうなものしかない。冬用の靴下も薄くなっていて、保温力も薄れているだろう。そう思って、いつもなら、食品の割引の日の土曜日を待つのだけど、金曜日に帰るので、それだけのために出かけたのだ。
 
店内は暑くて汗をかいた。ジャケットを着ていられなかった。買い物をして、自転車に乗る時、ジャケットの前を閉めずに走った。途中、汗が冷えて、胸が冷たいのを感じ、止めてジャケットの前を閉めたのだけど、冷えた汗の感覚がとれなかった。家に入ってから、うっかりして下着を換えずに、エアコンをつけ、温まったからそのまま過ごした。
 
寝るとき、少しのどに怪しい感覚を感じたので、うがいをして寝たのだけど、案の定、やられたのだ。起きて、例の富山の薬を飲んで湯たんぽを抱いて、また寝た。目が覚めたのが、8時近かった。治癒はしていないが、いつもの行きつけの医者は、金曜が休み。のどをどうしよう…と思った。
 
それで、友人から情報を得た、こんにゃく枇杷を思い出した。あいにくこんにゃくはないし、寝ているつもりはなく、起きて家事をするつもりだった。で、こんにゃくの代わりになるものはないかと考えた。
 
こんにゃくそのものには医薬品としての意味はない。たぶん、保温力が優れているということで、こんにゃくを使うのだろう。実は、こんにゃくはともかくとして、私は、湿りが冷えるのが苦手なんだ。だから「熱いタオル」も危険を感じる。
 
あれは江戸時代に考案されたものだろうから、こんにゃくなんで、保温効果があるもので今なら何だろう…と、考えて行くうち、ミニサイズのホカロンがあるのを思い出した。首は、2重になったタートルネックのセーターがあるから、枇杷をのどに巻いたら、セーターの襟の中にスカーフに包み込んだホカロンを入れて、縛って固定すればどうだろう。
 
そう思ったらすぐに試したい。ベランダに出て、枇杷の葉っぱを数枚とった。今年の枇杷の花は、満開。夏、私がかなりの枝を払ったせいか、まばらになった枝に、花がたくさんついている。来年はかなりの豊作を期待できそうだ。しかも、ベランダから手の届く枝に、花がびっしり。まあ、カラスもヒヨドリも、ハクビシンも来るだろう。なんか、彼らと共同で枇杷の採取をする自分を想像すると、いい気分だ。
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布団を干す。
昨日と今日、やっと布団が干せるほどの日がさした。だが、冬の日は低くて、日を追って布団を動かさなければならない。
南側は例のゆずばあさんの家で、彼女の裏庭はうちの表側。崖崩れで、こちらは低いから崖の修理のために階段状に杭打って高くしたら、自分の側に木の枝をうずたかく積み上げて、もっと高くし、なるべく、うちがやったことが意味ないようにしてくれる。自分の庭の木は、上を切って、横枝を切らないから、枝が張って、うちには、日が入らなくなった。
陽が刺さないから、横枝を2本だけ切ってもらえないかと、交渉したことがあるが、自分のうちに風が来るからダメだという。風なんて、うちの家が遮っていて、彼女の裏庭の雑木林の木の枝2本切ったくらいで、家が倒れたりしない。おまけに、自然災害で崖が崩れて自分の土地が減ったら、うちが弁償しろとか言ってくる。実に因業婆だ。いじわるしかできない婆だから、ポチが裏庭掘ったら、毒蛇が出てくるぞ。
太陽は時々その因業婆の枝枝の隙間から明かりを送り込んでくれるので、その陽を追って、布団を干す。今日はまだ1時半なのに、もう、その陽も来なくなった。仕方ないから布団をとりこんでエアコンの下に置いた。
のどの枇杷は、おさまっている。枇杷の葉茶は、この前作ったのが、今日まで持って、今新しいのを煮詰めている。
だんな、あと3時間で成田だな。羽田に国際空港ができたよ、と言ったら、羽田に来る便は馬鹿高いのだそうだ。成田から最寄りの柏までのリムジンバスは、たぶん8時ごろになるだろう。体調によっては、先に寝ちゃうかもしれない。
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運転免許証更新
主人が留守中、彼の運転免許が有効期間が切れた。今年の5月に連絡が来たが、いなかったから、しようがない。どうするべきか、免許センターに問い合わせたとき、国外にいたことが証明されれば、3年間は更新可能だと言っていた。
何が必要かどうか、わからないので、ちょっと心配になって、又問い合わせてみた。そうしたら、誕生日から6カ月以内なら、更新手続きが有効だったが、過ぎてしまったから、別の対応になるという。それも帰国後1ヶ月以内だそうだ。手続きの受け付けは8時半から9時、1時から1時半の各30分だけ。
忙しい。手伝うのはいとわないが、手術後は4日間片目で過ごし、しかも、何度か眼科に通う。
役所関係の必要な書類数点そろえなければならないが、彼、たぶん、もう、漢字で書類がかけないだろう。
今日帰国だが、あいにく週末にかかる。住民登録が必要になるが、それも月曜までできない。13日月曜は、実は歯医者の予約がある。
しかし、13日にすべてをやらなければならない、と覚悟した。歯医者は9時半の予約。住民登録を9時に済ませて、住民票を取り、自転車で歯医者にいって、1時に免許センターに滑り込む。
いろいろ時間合わせに計画を練っていたら、市川の兄から電話があった。
姉と、父の絵のことでもめているらしい。母の死後、兄弟間で取り決めて分配した絵をほしがったって今さらうるさい。彼女、取り決めを無視して、母のいない家に忍び込み、修復前の好きな絵をごっそりアメリカに持って行ったんだから、画集を作るにあたって、姉が持って行った絵も収録するために、画集の出版社の人をわざわざアメリカに送らねばならなかった。その費用だって、払ってないくせに。
そういう行動をする人間を私は信用しない。だいたい、兄弟間が連絡を取り合う時は、いつも、平和な話じゃなくて、お前は窃盗だの、俺んだ俺んだお前に権利ないとかいう話ばかりなんて、つきあっていらんないよ。
そう言いたかったけど、そこまでは言わず、今日は主人が帰国するからいろいろ忙しいと言って、電話を切った。ああいう人、たぶん、すべてのものが手に入っても、やっぱり飢えているんだろうなあ。なんだか、いろいろな人間の標本が、身内にいるので、勉強になるわ・・・