Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「家政婦」という言葉

「家政婦」という言葉

エルサルバドルの家族が暮らす家に「家政婦」がいるという日本語の表現をすると、ひどく豊かな暮らしだろうと、思われてしまうのを知っている。説明が面倒だから、どう思ったっていいから放置していたんだけど、なんだか、私の今の状況と矛盾しすぎていると感じた人から、ご丁寧にPMが来た。

やっぱり放置しておきたいんだけど、今日、教会の「分かち合い」の行列を見て、ちょっと感じたので、説明を加えようかと思う。

主人の両親は、歴史的にスペインの侵攻と侵略と略奪を受けて、徹底的に下済みに置かれた、制圧者から見たら「下層階級の」原住民である。学校も小学校2年くらいしか出ていない。努力と独学と反骨精神によって、あらゆる仕事をしながら、息子5人を医者と大学教授と銀行員2人と、小学校教師に育て、いま102歳で認知症になっている舅は、日本で言ったら「にこよん」風の労働者から、テーラーを経て大使館員にまでなった男である。

私はその事実を、主人の日本国籍申請の時に、日本の役所で要求された膨大な書類を、えるさるばどる中を駆け回って集めた舅が送ってきたので、翻訳の必要性からすべてを読んで知ったのだ。彼がたとえ「どんな階級」の出身者であろうとも、翻訳者の私は、この事実の前に、威儀を正して正座をし、敬意の念を感じながらペンをとらざるを得なかった。

ところで、この両親は、どんな身分になっても、豪勢な家に住んだこともないし、豪勢な暮らしをしたことがない。彼らは常に、自分の息子たち以外に、数人の子供を家に入れていた。貧しさから親に見捨てられ、奉公に出され、学校教育を受けられない子供たちだった。別に養子縁組をして引き取ったわけでなく、家において、衣食住を共にし、学校に行かせる代わりに、小間使いをさせていたのだ。衣食住を共にしただけで、雇っているわけではないから、給与を与えていなかった。その中にいた一人が、エルサルおしんと私が呼んでいる女性である。

現在家に住み込みで働いている女性は、主人の一族のすべての兄弟の家を転々としてきた女性で、読み書きもできず、当然学歴は一切ない。兄弟の家の需要に応じて働いてきたが、衣食住を共にしてきたため、子供の小遣い程度の給料に甘んじてきた。しかし、彼女は故郷の村に大家族を抱え、その大家族はほとんどが学校に行かず、届け出もしないために国籍も持たず、「人間」の扱いからほど遠い生活を余儀なくされている。主人は一応、この国で仕事を持ち、給与を得ているので、彼女にそれなりの給与を支払っている。

しかし、主人の家族が必要もないのに彼女を引き受け続けてきたのは、両親の精神を受け継いだ、助け合いの精神によるもので、豊かで家庭の仕事を自分でしたくないからではない。

特に現在のように、長年主婦をやってきた私がいるなら、ほんとうは彼女を雇い続ける理由はない。しかし、だからといって、故郷の村に無学文盲の大家族を抱えた彼女を「解雇」するにはしのびないから、付き合い続けているだけで、そういう身分の女性を呼ぶための日本語がないから、私は「家政婦」と呼んだだけ。彼女を家に置いているのは、主人の精神によるものであって、もう、それ以外の意味はないのだ。