Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

料理の主導権

比較の問題だと思うけれど…

少なくとも半年、もしかすると一生、ここにいなければならないと覚悟してから、料理の主導権を自分が握ってやろうと思っていた。別に私は料理がうまいわけじゃないんだけど、気のいい家政婦が作ってくれる食事が、どうしようもなく口に合わなかった。

パン作りに成功してから、みんな私のパンを待っている。パンは私が作るというより、機械が作ってくれるのだけど、その状況を利用しようと考えた。

時差ぼけから何とか回復して、細菌汚染の合間を縫って、私は野菜を切って皿に盛っただけの野菜サラダから手をつけ始めた。野菜のうまみを十分に出すような味付けをしてやれ。この前来た時、友人から日本の包丁を送ってもらっていた。こちらの刃物は包丁のみならず、ハサミも何も、切れない。こんな包丁ではきゅうりの薄切りもキャベツの千切りも10年かかってもできない。肉なんか、切れないもんだから、丸ごと煮ている。孫はスープに丸ごと入ったく大きな鶏の足を、スープに手を突っ込んで取り上げてまるごとむしゃぶり食ってから、手を突っ込んだスープには全く口をつけない。味のないジャガイモは、嫌って食べない。

娘は孫に野菜を強制的に食べさせようと鬼のように怒鳴りつけて口に押し込んでいる。あんな食事の仕方、冗談じゃない。

それでサラダから始めた。店で春雨状のものを見つけたのだけれど、表題がハングルだから本当は何物かわからないけれど、それを使ってみようと思った。キャベツは家政婦は食べたことがないと言って抵抗したけれど、キャベツは料理によってはうまいのだと言って強引に買ってこさせた。生でサラダにちぎって入れて食べさせられると思ったらしい。薄気味悪そうにキャベツを買ってきた。

キャベツはお湯を通してから日本の包丁で千切りにし、キュウリも透して向こうが見えるほど薄切りにして、ラディッシュを入れて、ちょっと塩を降りかけてから数分寝かしておき、韓国春雨にお湯を通し、歯ごたえを確かめてからシマダシを振りかけて寝かしておいた。それにレモンと隠し味のほんの少しの砂糖とほんの少しのキッコーマン醤油とほんの少しの日本酒をかけ、手で混ぜてしばらく冷蔵庫に入れ、食器に盛るときに上にシラントロと呼ばれる香草をあしらって、だした。結果、私の野菜料理は、家政婦が目を丸くし、ぶん殴って強制しないと野菜を食べなかった孫まで、おいしがって、がつがつ食べた。しかも、野菜の下に沈んでいた汁まで飲みほした。

以後、家政婦は私の同じ料理を待っているので、時々中身を変えている。

しめしめ、うまくいった。主食のパンと、副惣菜が大成功。

キャベツのうまみは家政婦に堪能させるため、今度はロールキャベツを作った。中身の肉にシイタケを入れて味を整えたら、これも大成功。今のところ、孫と料理長だった家政婦がターゲット。娘は私の料理を知っているし、主人は何も気にしない雑食動物だから、何を食べさせたって意味がない。

それからスープにかかった。気のいい家政婦に任せると、スープだろうが肉だろうが、味付けはコンソメしか使わない。しかもコンソメのうまみだって、うまく出していない。野菜も肉も一緒に放り込むから、各種の野菜が持つ本来のうまみを無視して、どの野菜も全く同じ味にしちまっている。グタグタに煮た挙句、ジャガイモも人参も同じ味になるのを、おなかに入れば同じだと、家政婦は言っている。

こういうの、味覚の確かな日本人、理解できるかな^^。

野菜を別々に下ごしらえして、上手いスープを作ったら、いつも抵抗している孫めが、最後の一滴まで飲んだ。もちろん肉を丸ごと入れていないから、スープに手を入れて肉だけ食べるというわけにいかない。スープを強制的に流し込まれて、食事というものが苦痛でしかなかった孫が満足して食べた。ひひひ^^

次にかかったのが鶏の胸肉。胸肉は下ごしらえもしないで、いやっというほど火を入れるから、かちんかちんに硬くなって歯が立たないようなものを作ってくれる。のどの細くなったばあさんだから、のどに通らない。これも一晩ニンニクとショウガとしょうゆとみりんで下ごしらえをし、砂肝は焼き鳥風に焼いて、胸肉はから揚げにした。

娘が、これいつもの鶏肉?久しぶりの味!と言って喜んだ。孫も、何も残さず、全部食べた。しめしめ。

家政婦には、作っている最中から味見をさせ、作っている過程を見せたが、同じように作ってくれるかどうかは、わからない。おいしいおいしいと言っているだけで、なぜこうなるのか、わけがわからないらしく、私が秘密に何か入れていると疑っている。もしかしたら、私に作らせて仕事が軽くなるのをたくらんでいるのかもしれないけれど、まあいい。私だって、意味もない存在として、この家にいたくない。

てなわけで、料理の主導権は私に移りつつある。私は別に料理が好きなわけでも、日本人の中で特に上手なわけでもない。日本人なら誰でも知っている味付けをしているだけだから、自慢できるわけでもないが、要は比較の問題で、あまりにまずいものを9年間も食べた後なら、当たり前の料理でも旨いと言ってくれる家族がいることは、ありがたいことだ。