Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

まだまいってない

2月19日
朝の仕事を全部済ませて、ちょっとくつろいでいたら、玄関のベルが鳴った。出て見たら隣の家政婦だった。63歳なのだそうだけど、80歳に見える。マリと親しかったから、マリがいないことを知らないで会いに来たのだろうと思って、マリはいないよ、と言ったら、知っているという。だったらなんだろう…
 
彼女、爺様の連れ合いのエンマ婆様と知り合いだった。ここは主人の両親の家だから、隣近所の老人たちは知り合いどおし。まあ、爺様に用事かな、と思ったら、そうではなくて、フリホーレス(いんげん豆)のスープを作ったけれど、いかが?という。ちょっと面喰った。フリホーレスのスープはこの国の常食。私に作れないことはないけれど、習慣がないから、作らなかった。
 
たぶん爺様に気を使って作ってきたんだろう。でも面喰ったのは、この隣の使用人の主人は鬼みたいな顔した横柄な男で、孫が赤ん坊のとき、ひどく激しく泣いていたことがあって、マリが赤ん坊を虐待していると言って、警察を呼んだりした。孫は赤ん坊の時手に負えないほど泣き虫だったらしい。それ以後、隣人との関係がぎくしゃくしていて、あったら挨拶ぐらい交わすだけになっている。使用人も、なんだかいい扱いを受けていないため、時々泣いていたらしい。それなのに主家の食べ物を勝手に隣の爺さんに持ってきちゃって、大丈夫かなと思った。
 
でもまあ、ともかくいただいて、爺様の昼食に出してあげよう。1週間ずっと、私が用意した食事を我慢している。何も手をつけないこともあり、全部食べてくれることもある。爺さまは私の介護に、声を出して「ありがとう」という。そんな言葉、だれにも5年くらい言ってないのに、私が私だということが分かっている。表情だって、「まとも」だ。
私はほとんど、彼と筆談をする。耳が聞こえないし、時々一人にすると、人を探すのか、ほかの用事か、家を歩き回って、ものを落としたり、倒れたりする。だから、私は出かけるとき、いつもホワイトボードに書いていく。
 
たまに買いものに出るし、昼食前に孫を学校まで迎えに行かねばならない。この国、生徒を一人で学校に通わせるということがない。歩いて10分くらいの小学校だが、一人で返さないので、誰かが迎えに行く。それをいちいち爺様に知らせることにしている。
 
「これから孫を迎えに行きます。帰りは少し買いものをして帰るので、遅くなります。昼食は用意しておきました。1時間ばかりおひとりになるかもしれません。よろしく」みたいな簡単な文を見せて、反応を確認してから行く。「表情」だけど、きちんとした反応が返ってくる。「よし、わかった。いってらっしゃい。」という表情で、手を挙げて挨拶する。それを確認してから行くので、意思の疎通は十分できている。この人、意識は確かだと、私は確信している。
 
これまで誰も人間扱いしなかっただけで、人間扱いされなかった経験を持つ私には、そのことのいらだちがよくわかる。排泄を断固として自分でしようとするのは、誇りがあるからだ。汚そうが何しようが、アテントなど、拒絶する。拒絶というのは意思であり、自分に残った最後の誇りを守ろうとしているのだ。母を介護したから知っている。人には死ぬ直前まで、人間としての誇りが残っていることを。