Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

原点の絵の話

昨日、昔住んでいた町に行った。郵便局の本局がある。今住んでいる町のゆうちょ銀行にドルの換金ができるかどうか聞いたら、本局でしかできないというから、来たのだけど、昔の顔馴染みが多くいるからちょっと楽しみでもあった。

特に、昔行きつけの美容院の主とずいぶん懇意にしていた。引っ越してからも、他の美容院がなじめなくて、半年に1度は行っていた。その美容院の主は、変なお世辞を使わず、案外真面目で、案外正直で、案外気が利いていて、案外話の聞き方がうまかった。昔住んでいた家の近所なのだが、美容院以外では、彼との付き合いはまったくなかった。つまり、絶対に逢わなければならない友人というわけではないが、ある時間おしゃべりしながら頭を任せる人間として、気にいっていた。

たぶん私は、自分の話をいい加減には聞かない、身近にいる唯一の友人として彼を自分の世界に入れていたのだろう。収入がなくなり、わずかな年金暮らしになってからは、どうでもいい1000円の床屋に行ったり、自分で切ったりしていたが、昨日は郵貯の本局に行くついでに、最後の別れかもしれないと思って、2年ぶりぐらいに彼の店に行く気になった。

店の近くまで行ったら、周りはなんだか閉まっていて寂れていたが、彼の店は明かりがついていた。ぬっと中をのぞいたら、そこにはちょっと見たこともない男がいて、こちらをじろっと見た。え!一瞬たじろいだ。

しかしよく見たら、昔馴染みのあの主だった。彼、骨と皮ばかりになって、見る影もない激やせぶりだった。しかも、髪の毛は暴走族みたいに茶色に染めていて、ほとんど用無しになったかつてのボス猿みたいに落ちぶれた姿に見えた。

どどどどうしたの?半分になったじゃないの…といったら、うん、という。

糖尿病で薬漬けなんだそうだ。

体格のいい男だった。元気な姿を覚えている私には、其の骨に皮がかぶっているだけのような姿がショックだった。

28年前、難民となって日本に帰り、逆カルチャーショックでつらかったころ、自分が親しんだ人々が、病気になって命をすり減らしていく…ふと、この前会ったリフォームやのMさんの姿が、重なった。彼は不整脈で、時々気を失うそうだ。

しようがない。生き物である限り、自分が好む一定の姿を保っていられないのは、自分にとってだって、自分の家族にとってだって「真理」なんだ。

気を取り直して、昔のように、いろいろな話をしながら頭を任せた。詐欺被害にあって無一文になったことも、多くの友人たちに助けられたことも、娘が癌になったことも、今回日本を離れたら、もうお互い今生の別れかもしれないから来たことも。

それから。私は、昔絵の修業時代、この美容師をモデルに描いた絵をもしよかったら、もらってくれるか、と聞いてみた。この前出してみたら、他の絵とくっついて禿げかかっていて、修復しないとだめなんで、持ってこなかった・・・

そう言ったら、彼は言った。ぼろぼろでもいい。あれは俺の歴史なんだ。それを息子が見たり、孫が見たりしてくれるから、修復しなくても、そのぼろぼろの部分も俺の歴史だから。

ああ、と私は内心思った。この男も、たぶん死を覚悟している。

もう時間がないから、今日取りに来てくれ、と私は言った。あの絵は、修行時代、まだ内乱の絵を描き始めてもいなかったころ描いた、それこそ私の原点だ。日本を出る前にあれを預けていきたかった。

夜7時ごろ、仕事を終えた彼は絵を取りに来た。

ついでに私の絵を見ていってくれと言って、はじめて彼を自分の画廊に招じ入れ、内乱語り部絵画をすべて見せた。彼は絵を見て驚嘆していた。

それから、簡単に自分の画歴を描いた名刺代わりのはがきを渡した。内乱から逃れて初めて住んだあの町の「ハンプティ」というさびれた美容院の壁に、彼はその絵を飾るだろう。誰の絵かわからない状態で飾らずに、この画歴も飾っとけよ。お互いに生きてもう一度出会う機会があったなら、ただで髪の毛カットしてね、と言ったら、彼は「おう」と答えた。

あの絵が、初めて明るみに出る。


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