Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

考えていること、または、感じていること

昨日、久しぶりに枇杷の葉っぱを煎じ始めた。友人のご母堂が喘息だと言うので、その気になった。でも去年枇杷の木の枝を大量に剪定したから、お茶に適した古い葉っぱがたくさんない。庭に置いた鉢に4,5本生えている枇杷の苗があって、それは長いこと手をつけていないから、ごわごわした葉をつけているのを知っていたので、雪の中を取りに行った。

1鍋分にはちょうどいいくらいの枚数で、昨日から煎じ始めた。紅茶くらいの色になるまで、煎じないと効用がないので、2日かけた。色よくできたから、味を見たのだけど、あまりおいしいお茶ではない。体によくたっておいしくないと、飲めないだろう、と思って、暮に友人がくれた「けんこう7福茶」と言うのを少し入れた。このお茶は、いろいろの種類の薬草が入っている。で、なかなかおいしい。それを入れて試しに飲んだら、おいしかった。

私もひところ、咳に悩んだ。枇杷の葉茶で救われたので、事あるごとに勧めているのだけど、あまり信用してくれない。どれほどよく聞くと言われるものだって、信用が肝心だ。

娘がいた時、娘の望みで、気功をやっている友人を訪ねた。その友人が気功だろうが手かざしだろうがヨガだろうが、信用がない相手の思う様にはならないと言っていた。実は私の大学時代の友人で、もとカトリック信者だった人々が、知っている限り4人も教会を離れて、気功だの、占星術だの、手かざしだの、聖霊信仰集団だのに身を投じている。そしてそれぞれの場で、人助けをしているそうだ。気功の友人は、実は60台になってから、庭師になり、高い木の上から墜落して骨盤と足を複雑骨折をし、医者からはもう一生車いすだと言われたのだけれど、同級生の聖霊集団に身を投じた人が治してしまった。彼女、二本足で歩いている。

私は、別に教会を離れて彼女たちが何をやろうと、善意である限り友人であることをやめる気はないし、むしろ愉快でたまらない。聖心魔女軍団とあだ名をつけて、面白がって見ている。

たぶん彼女たちがやっていることは、自分の力を超える「名のない存在」に無心で信頼しているからできることなんだろう。神と言おうが、アラーと言おうがヤーヴェと言おうが、仏と言おうが、そんなものは記号にすぎない。

バカな経験のおかげで、なんだか、そういう「自分を超える名のない存在」が、わずかに「見える」ようになった。私は、まだ、何をするべきか、わからない。でも、魔女軍団は私に何かを伝えているようにも感じる。