Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

私は非常識を選ぶ

今回の大災害に、多くの団体が義捐金を募っているのを知っている。私も何かの役に立ちたいと思い、呼びかけを待っていたところがある。それは母校の同窓会だ。あの会なら、絶対に何かを始めるはずだと、信じていた。

ネットにある、ポイント募金とかのような、あまりこちらが傷ついたり犠牲になったりしないものには、それなりに応じてはいたが、自分が生きていくために蓄えたものを、切り取って送るためには、よほど信用置ける相手でないと、あぶないと感じていた。

私も積もれば山となるチリの一粒でありたい。ささやかな思いではあったが、自分が何も痛痒を感じない寄付では、偽善と言われてもしようがない。

そう思った私は今日、母校の同窓会のホームページを開けてみた。おう!義捐金の窓口を開いている。送金先はみずほ銀行らしいから、ネットで大丈夫なのかな、ちょっとひるんだが、様子を見て応じることにした。

母校の同窓会にこだわった理由がある。

それは、1985年に起きたエルサルバドルの大震災の時、日本に避難の帰国をしたばかりだった私に、お前は卒業生だ、支援の相手が内乱中で、本当に必要な人に渡るかどうかわからないから支援金をお前に託す、と言って、100万円を預けられた経験を持っているからだ。

無一文で帰ってきて、経済的に地盤を確立していなかった私を、卒業生だというたった一つの理由で持って、信用してくれたことが、うれしかった。信用されたことのうれしさに、私は、何が起きても責任を果たそうと思った。何のパイプも持たない人間ながら、どんな公のパイプも信用できないことを知っていた。

それで、私はJICAにも、大使館にも、教会にも、連絡を取らず、現地に残った一人の信用ある日本人と連絡を取り、エルサルバドル渡航予定の人物にこれこれの義捐金を託すから、それを持って、現地の路上であえいでいる人たちを直接援助してほしい、と、頼んだのだった。

その日本人は、もう一人の仲間と協力して、医薬品と、テントと、生活必需品を買い、路上の人々に直接手渡したのだ。その結果報告を受けたとき、私は小躍りして喜んだ。私を信用してくれて手渡されたあの義捐金が、公のルートを通して武器援助にならなかったことを、ざまあみろと叫んでで喜んだ。

実は、自分がエルサルバドル人と結婚して日本を離れたことを、母校になど知らせていなかった。学生時代のほとんどの友人が知らなかった。あの時、私は過去をすべて葬るつもりで日本を去ったから、住所録さえ持って行かなかった。その私がエルサルバドルと関係があることを、まったく知らないはずの同級生が、その時同窓会の役員をしていた。間に立って、義捐金を回す手はずをとったのは彼女で、その言葉に応じて、100万円を都合したのは、まるでまるで見ず知らずの当時の同窓会会長だった。

このことは、すべて「信用」だけだった。それまでの人生においてまったく自信を喪失し、人間関係の構築もできない人間として、不安におびえて帰国した私が受けたこの「信用」は、ただ事ではなかった。

というのは、比べる相手があったからだ。私はこのうれしさと感動を、高校の母校の当時の校長に語った。そうしたら、校長がとても喜んで、そういうことがあるなら、高校の同窓会も動かしましょうと、言ってくださったのだ。私は、信用されたうれしさを語っただけで、募金を募った覚えはない。断じて、ない。

ところが、のちに高校の同窓会に図った校長から連絡があった。彼女は同窓会から反対されたということを、なんだか、つらそうに言ったのだ。

彼女の言う、同窓会の意見を集約すると、以下である。

義捐金を仲介するというその卒業生(私)は卒業生だという理由だけでは信用できない。どういう背景で、どういうルートを通じ、どういう要請に従って行動するのかを明確にし、借用書と領収書を自著捺印の上提出し、かつ受取先の領収書も示さない限り、信用できない。」

哀れな校長はいうのである。「言い出しっぺの自分としては、何もしないわけにいかないので、修道会の方から義捐金を出すように手はずをとりました。」

しかも、それだけじゃない。その高校の同級生から、「なんでお前が信用されるんだ」「なんであの校長が、お前を信用するんだ」「一体お前は信用を得るために何をしたんだ」と、直接言われたのだ。まるで私が手もみしながら、あの校長におべっかを使って、金をせびりとろうとしたみたいに。

私は両校に対して、まったく何も個人的な働きかけをしていない。正確にいえば、一方がなんの保証もない相手に「非常識にも」一方的な信用をし、もう一方が「常識を働かせて」わけのわからない相手を信用しなかっただけである。

しかし、「なんだか知らないうちに」渦中の人間にされてしまった私は、「わけのわからない内に受けた非常識な信用」を、のちの人生の糧とするほどに、大事に心に持ち続けた。

あの母校の仲介による義捐金なら、私は喜んで身を削っても送ろうぞ!喜んで、勇んで、私の「非常識」をささげよう。そのように私は、母校のホームページを見て、今朝決意した。