Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

感謝、及びこれからの目標

半世紀前、机を並べて勉強した高校大学の仲間たち、10年間、ネットの中で出会っただけで、私を助けてくれたネッ友たち、さまざまの場で、福祉の仕事に携わり、同じ目的を共有した友人達へ、感謝をこめて今の私の決意を申し上げたいと思い、お便りいたします。

このたびは、裸一貫になった私のために、絵を購入して下さったり、カンパをお寄せくださって、ありがとうございました。御蔭さまで、生きるためには何とか持ち直し、先のことを考えられるほどの余裕を回復いたしました。

具体的には、以下の事を考えています。

裸になるには裸になる事の意味があるはずだと思いました。裸になった意味を考えたら、ちょっと前向きになりました。

むかしエルサルバドルにいた時、私のうちに一人の女の子が奉公に来ていました。生活に余裕がなくて、学校に行くこともできない10歳くらいの子で、「おしん」みたいな子でした。元教師でそういう状態の子供に我慢できなかった私は、其の子に時間を決めて読み書きそろばんを教えました。しかし、内乱のさなかでしたから、私は自分の家族を守ることしか考えていなかったので、そういう事実をすっかり忘れていました。

ところが数年前、私がエルサルバドルに行った時、そのエルサルおしんが、私を訪ねてきました。もう、立派な婦人になっていました。

彼女にとって私は昔文字を教えてくれた恩人なのだそうです。いろいろと思いだしました。文字を知らなければ電話のメモもとれない、足し算、引き算を知らなければ、うっかり買い物も頼めない。私は、そんな理由もあって、エルサルおしんに教えただけだったのかもしれません。それに彼女は、私が料理も教えてくれたと言ってますが、奉公しているんだから、料理を手伝わせただけでした。まあ、彼女にとっては見たこともない、肉まんや餃子作りの手伝いをさせたから、凄く珍しいものの作り方を教わったと考えていたのでしょう。

ところで、其の子が成長してから、一念発起していろいろ勉強もし、読み書きも本格的にやったらしいのです。それでいまは、教会学校の指導者になって、子供たちに『あの日本人が教えてくれたこと』を教えているのだそうでした。話を聞いて自分は、内心、不具合を感じていました。私は彼女を『教育』したつもりはさらさらなく、「使えるような」女中になるために指導したにすぎないからです。

だから、「恩人」と呼ばれるのはくすぐったかったけど、これ、使える!といま裸になった時に思いました。

日本をたたんで、またあの国に逆戻りせざるを得ない、そういう状況は「与えられた」と考えたのです。70歳じゃ、何もできないと思っていましたが、大きな事を考えなければ何かができるかもしれません。

よし、あっちに行ったら、また『一人』教えよう。と思いました。其の一人が3人教えればいいのだから。

娘がね、面白い話してくれました。エルサルには「存在しない子」が存在するという話。「存在しない子」が存在するとは、何ぞやと思いました。そう呼ばれているらしいですが、それには事情があるのです。

田舎に住む親の無知から、婚姻届も子供の出生届も役場に出さなかったため、 戸籍も国籍も、その存在すら『ない』状態に置かれた子供たちがたくさんいるらしいのです。

裸になった私の相手は、それだ!と思いました。

だったら、大量の資金なんか要りません。今置かれた状態をただ受け入れればいいのです。裸でふらりとでかけよう。娘が私を飼ってくれるというから、娘のうちで、「お金があって、日本語を習いたい学生」を2人集めて、其の二人から授業料をとって、「存在しない」一人の子供を無料で教える。それだ、それだ、と思いました。

私の「裸」の意味はそういう事と解釈すれば、詐欺の存在も意味がある。詐欺を送りこんで私を裸にして、裸一貫の私が何を考えるか、試しているらしいあの存在の「そもさん」に「かっぱ」とこたえてみよう。

だから「裸先生」の出発資金として、みな様のカンパを使わせて戴くことにしましたから、どうか皆様、祈りの効果を知っている方は、各自の神様に、私のためにお祈りくださいませ。