Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

時事放談4

どうも、まだ寒い。もう3月の陽気だと、天気予報が言っているので、崖の仕事でも始めようかと思って、外に出たが、冗談じゃない。ここ2ヶ月の電気代の多さにたまげて、暖房費を節約するには、図書館に行くか、散歩に出るか、懸案の土木工事を再開するかしかないと思っていたが、この寒さじゃ、まだ外出したくない。電気、こまめに切っているのだけど、家が一人暮らしには広すぎるのだ。寝る時間を長くして、啓蟄を待つしかないか^^。

ところで、昨日の番組で、20数年間引きこもりを続けている人間の取材を見た。で、考えている。引きこもりというものに突入する人のの性格をよくよく聞いてみると、なんだか、私に似ている^^。集団行動が苦手で、傷つきやすく、人間が怖くて、外に出られないそうだ。

たった一つ、しかし、大きく違う点は、「多分」だけど、ひきこもりになっちまう若者は、子供の時から「責任感」の教育ができていなかったことらしい。

まず、親が怖くない。してきたことと言えば、塾と学校で、社会に役にも立たないお勉強ばかり。学校時代、成績もよく、大学も出ている。家の仕事を一切任せられたことがない。親は子供の世話にはなるまいと、口癖のように言っているから、老親に対する責任感など全くない。老親の年金を頼りに生きていて恥じない。しかも、ただ寝ているのでなくて、パソコンにしがみついているらしい。で、そういうのが統計上、数に登るのだけで、日本全国に70万人もいるらしい。

幸いに、私の親は、独立した子供たちが誰も同居したくないほど怖かった。

父親が早く死んでしまったから、兄弟6人、子供の時からアルバイト生活を余儀なくされ、炊事洗濯掃除は有無を言わせず、当番制だった。私は末っ子だったが、上の兄たちが独立した後は、その当番制だった仕事が全部一人にかかってきた。母が経営していたアパートの経営まである時期任された。それが全部、学生時代のことである。

「親の世話をしなくていい」などという考えは、兄弟の誰も露ほども考えていなかった。生命保険のCMにあるように「墓代くらいは自分で用意して、子供の世話になりたくない」とかいうことを、親が言うような「常識」を、我が家のメンバーは誰も考えていなかった。ばか親が子供に、自分のスタンスとして言うことにしている、「お前の世話にならない」とぴうセリフほど、息子を無責任に、腰抜けにするものはないのだ。

ところで「勉強」のことを思い出してみると、母は世の中がなにを言おうと、数学国語英語などという、世が価値の上位に置く教科など、洟もひっかけず、生きていくにはまず家庭科(調理、被服、園芸、大工を含む)だ、楽しむためには音楽と美術だ、とか言って、高校の選択教科にさえ口を出し、数学三をとりたかった私の希望を蹴っ飛ばした。おっかないから、私はもちろん母に従った。高校で私はスーツを縫い、大学の制服のブラウスまで自分で縫った。

実は、小学時代、家庭科で「基礎縫い」という日本古来の縫い方の基礎を習った。教師の指導で、その縫い方の基礎のすべてを長方形の何枚かの布地に綴じ込んであった。それを、母は一生保存しておいて、私が44歳にして内乱の国から帰国した時、中学高校時代に私が学校の教室で書きとめた家庭科のノートとともに、「これが今から役に立つ」と言って、私に渡したのだ。学校で習ったレシピは、すべて尺貫法で書かれていて、むずがゆかったけれど^^、そのとき、あの30数年前の「基礎縫い」は、実は本当に役に立った。

ジャガイモ、キュウリ、トマトの栽培法も、私は生家の庭で、がみがみ怒鳴られながら覚えたものだ。

私は生まれたときから体も性格も兄弟じゅうで一番弱かった。生まれたときに、婆さんが私を見て、「この子、育つかや?」と言ったそうだ。小学校なんか、年がら年中休んでいたから、成績も悪く、いまだに小学校の仲間は私をバカだと思っている。

中学校では人間となじめず孤立していた。高校では2人の友人ができ、その友人と行ったところは繁華街やショッピングでなく、国会図書館だった。図書館で「おしゃべり」できるわけがない。友人ができたとはいえ、背中あわせに本を読んでいるような関係だった。

その2人、すでに死んじまったので、今は、私をごく親しい友人だと思う高校時代の同級生はいない。

大学時代に至ると、髪の毛逆立てて金稼ぎをしていた。2年生になったら、家にひと月1万円を入れていたし、毎日、金勘定ばかりしていた。母の趣味でブランド大学に入っちまったもんで、周り中ブランド人間だらけで、そういう私の生活を理解するものなんか一人もいず、おまけにそういう友人がみんなばかに見え、あれほど孤独だった時代はほかにない。

だから私は、性格的に見て、引きこもりの要素は100%だと自覚する。それなのにひきこもりにならない唯一の原因が、「生きていることの責任感」を子供の時から身につけざるをえないような教育を、鬼のような母から受けてきたからだと、今、痛感している。

げに、母親は鬼であるべし。