Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

今日のニュース

なんだか、春の息吹を感じた。ちょっと遠出して、おおたかの森SCまで行ってみようと思った。あそこに紀伊国屋がある。他に、見物できそうなショッピングセンターがあるから、ちょっと、遊びたくなった。
 
起伏の多い道のりで、ちょっと心配だったが、何とかたどり着いた。まだ開店前で、ちょっと待ったが、あたりを散策しているうちに10時になったので、入った。本屋がなかなか見つからず、急がないので、いろいろ店内を見て回った。どうも若い子が喜びそうなちゃらちゃらした文房具ばかりあったけれど、それはそれで案外面白かった。
 
舅の誕生日用のカードと、レゴが好きな孫にと思って、キリンができる小さなレゴの袋を買った。歩いているうちにやっと紀伊国屋を見つけたが、入った途端に、目についた、ちょっと変な本を買った。それは読んでから、どれほど変かを書こうと思う。変じゃないかもしれないし、とにかくこの私が興味を持つものだ。
 
うちに帰ってから、その本をかなり読んだ。若者が書いたもので、内容が深いわけじゃない。でもそれはある犯罪者の記録で、それなりに興味があった。犯罪者は別に私とも、隣の誰かとも、特別違う人種じゃない。
 
殺意なら、私だって持たなかったわけじゃない。69年間、別に平和な人生を過ごしてきたわけでもないし、それなりのプラスマイナスの人間関係があった。誰でも持っている殺意を、どういうときに実行に移すか、その接点を知りたかった。
 
しばらく経ったら、目が見えなくなり、本をやめた。今日は暖かい日で、ぼんやりしていたら、眠くなった。テレビをつけたら、また相撲の八百長事件で、同じことを繰り返していた。
 
メールなどという手段がいかにも現代的なだけで、内容を聞いてみると、八百長なんて相撲の世界ではまるで日常的な、むしろ、常識的な事のように思えた。その文面は、何かをはばかっているようではないし、同じことを口頭でやり取りしていたとすれば、まるで暴かれないで済む類の、伝統的に常習的なことのようだ。たぶんそれが、相撲界の裏常識で、さわぐことないじゃないの。
 
どうでもいいよ、私は。相撲取りが特別、国家の倫理を担う種類の特別上品な文化的人々だとは、私は思っていなかったから。