おら、気違いでいい
人は、春夏秋冬の景色を楽しむ。それぞれの季節の趣を、歌に詠む。春は新芽を喜び、開花を喜び、夏は暑さそのものを楽しんで、海に山に、大騒ぎして出かける。秋は秋で紅葉を楽しみ、落ち葉も枯れ葉も風流だという。冬は冬で雪景色を、焼き芋を、暮正月のさまざまな宴会を楽しむ。
ところで、人間だけが、老いることをばかみたいに嘆き悲しみ、若さにしがみつくらしい。見える老いをなんとかして、化粧で埋め尽くし、髪に色を塗り、皮膚を突っ張らして、しわを隠す。
なんだろね、これ。
白内障を手術して、レンズをすげ代えて、見えるようにした私だって、人のことを言えないが、別に老いを隠したわけじゃなくて、どうせ生きているんだから、本が読めたり、裁縫が出来たりした方が生きていきやすい、と思った。
そうしたら、顔面を埋めつくす、しわが「見えてしまった」。へ~~~と思った。しばらく、しわを眺めていた。縮緬みたいだなあ、と思った。そう思ったらうれしくなって、折角裁縫の技術が使えるようになったんだから、縮緬から連想して、婆さん人形を作ろうと考えた。
人はそういう私を、変人だの気違いだのという。でも、自分の老いに抵抗して、SK2とやらのいやらしい煩悩に満ちたCM女みたいに生きるのが「常識」で、自分の縮緬皺にヒントを得て、新しい趣味を見つけて楽しむのが気違いなら、おら、気違いを選ぶよ。