Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

長袖がほしい

4月娘の腎臓がんの知らせを受けてから、3日後の飛行便を捕まえ、出発の前日に来たスーツケースに、とりあえず夏物の衣類と使用中の薬やサプリメントを入れたとき、実は、油絵の道具を一式入れたのだけど、あとでスーツケースの重量を測ったら、オーバーしていたため、油絵の道具は使い慣れた筆だけにしてみんなおいてきた。

エルサルバドルは、中米一の工業国だそうで、内戦の後ほとんどアメリカの支配下に入ってから、ドル経済になって物価も跳ね上がり、食べ物まで、アメリカ型ジャンクフードにとってかわった。エスニックと日本じゃあ言っているかもしれない衣類も姿を消し、もう、どうしようもない衣類ばかりで、アメリカ文明なんかに鼻っから興味のない私には、居心地が悪い。

油絵の道具はこっちで調達できると思っていたけれど、「中米一の工業国」という意味は、絵を描くなどという軟弱で頭の悪そうな趣味は評価されないということで、近所にある美術専門店でも、ほとんどほしいものがなかった。

ところで、絵を描くということは、ものすごく静寂の中で、身動きせずにできるものだから、それだけ、蚊の集中攻撃を受けやすい。そういうことは想定外だった私は、エルサルバドル→常夏の国→衣類は半そで→旅行で移動するときだけ、ジャンバーでもあればよし、てな考えできた。

ところがじっとしていることが多い私は、有名なデング熱を運んでくる蚊の大群に襲われ、毎日生きた心地がない。仕方なく、歩いていける場所にある衣類品屋を数件覗いたが、女性のものは裸に糸を巻きつけているようなものしかなくて、冗談じゃない。手ごろな長袖のシャツがないか探したが、長袖なんか男物のワイシャツしかない。

たぶん作るっきゃない。昔は洋裁ができた。この国で暮らした8年間、自分のものだけでなく、娘の衣類、帽子から靴まで自作だった。ところが、日本に帰国してから、娘のために使っていた古い足ミシンを、ある時主人が親切にコンピューターミシンに買い替えてくれたため、全くミシンが使えなくなり、以後、20年くらい洋裁をしていない。

昔型紙で原型を作り、そこから応用であらゆる衣類の型紙を作ることを、公立中学の家庭科で、高校の時は数学3の代わりに取った被服の授業で習ったから、本を見なくても自分のブラウスくらいできた。ところが20年も、裁縫をせずに、安売りのTシャツで生きてきた私は、もうすっかり裁縫を忘れた。

どうしよう、長袖がほしい。主人が自分の、これも日本で仕入れたトレーナーを貸してくれたが、熱い。

水道水に鉛を垂れ流す工業国の美的センスの何もない、蚊と細菌に満ちた国で、私はあの、繊細な文化をいとおしむ。