Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

世界トイレ事情(2)

「ある空港のトイレにて」

 

 これもやっぱり若い時世界旅行をしていた時の話。

 アメリカだったかな、空港のトイレで並んでいた。順番が来て、別に特別な思惑もなく、扉の開いているトイレに入ろうとした。ところが中に人がいて用足し中。あ、sorryと言ってドアを閉めようとしたんだけど、中にいた女性がにっこり笑って、How are you? Come in!とかいうの。全く悪びれもせず、話がしたそう。

 でもね、トイレが二つあったわけでなく、1つしかなくて、そこに彼女、でっかく座っているの。なにがCome inよ!私は何語も発することなく戸を閉めて「逃れた」。だって本当に怖かったもん。

 私は日本人で日本で育ったから、トイレとはどういうものかって日本の常識で知っているつもり。それはあくまで「日本の常識」ね。

 「天然脱糞場」の時代も、「厠」の時代も、「御手水」の時代も、「便所(用を足す場所の意味)」の時代も、「お手洗い」の時代も「WC」の時代も「おトイレ」の時代も全部、経験がある。

 この場所を表す言葉の変遷て凄いね。でも、言葉の変遷でわかるように、日本語には、その場所をそのものずばりで表すことはない。ただし、古事記の時代は、たぶん「天然脱糞場」の時代だったのか、何とか言う神様が「くそまりたまひき」などと言う表現が出てくるので、あれは日本的センスじゃなくて、渡来人の表現だろうね。

 欧米を旅していた時に困ったのは、私が日本的感覚で、トイレを探していた時、どんな表現でも、相手に通じなかったこと。仕方なくてとうとう何をしたいかそのものずばりで言ったら、やっと通じて、あそこだよとぶっきらぼうに教えてくれたわ。

 

 スペイン時代は、とある小中学校の寮にいたんだけど、そこではシスターたちが子供たちの「教育」として、そういう場合、どのように言うべきか教えていた。で、遠回しの表現として、「me gustaria salir」とか「con permiso」とかいうように指導していたけれど、シスターがいなくなると子供たちは、凄く直接的な表現をしていた。

 

 もうね、pupu!(うんこ)とかpipi!(おしっこ)とかいうの。子供だからいいけどさ、いい年した大人にそういう言葉言われると、やっぱり気分悪かった。