Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「自伝及び中米内戦体験記」8月28日

3)スペイン漫遊記

 

1)「アンダルシアの旅」

 

クリスマス休暇を利用してアンダルシアの旅をした。カセレスコルドバグラナダ、マラガをマドレの実家のあるセビリアを拠点にして回った。この時期はいろいろな地方に祭りもあり、面白い旅ができるが地元民にとっては家族中心のお祝いで、あまり出歩かない時期である。

 

しかし私は風来坊だし、寄宿の子どもたちが自分の家に引き上げて、閑散とした 修道院にいたって面白くない。マドレがアントニオの家に行って来いというが、アントニオが同意しているかどうか、どうもわからない。アントニオはフランコ将軍の蜂起に志願した、元軍人で、がんこそうな独り者の爺さんだ。同じくがんこそうな独り者のお姉さんと暮らしている。あまり、クリスマスに大騒ぎして、最後まで人生を楽しむタイプじゃない。

 

そういう家族中心のクリスマスの時期に、赤の他人の私がアントニオの家に行くのだから、なんか気まずいことにならないかなあ、と、家族というものが苦手な私は考えていた。

 

そうしたら、マドレが、そうした際のこの国の常識を教えてくれた。アントニオに豚の足を持っていけと言う。クリスマスに豚の足を持っていくのが、この国の常識?

 

それはどうも、日本のお歳暮の新巻に当たるらしい。マドレはさっさと手を回して、学校の裏口を出入りしている腹心のおばさんにお金を渡し、その「豚の足」を買ってこさせた。

 

豚の足ってどんなもんだろうと思っていたら、何と豚の腿を丸ごと固めてハムにしたもので爪までついている。生ハムだそうだ。そういう「ハム」を私は生まれてこのかた見たことがない。ハムとは、元の動物の形なんか想像も出来ない加工肉の塊で、切り口は丸いものときまっていた。ところが、スペインの贈答品用の「ハム」は、まさに豚そのものだ。

 

それを買ってからマドレは学校の飾り付けのクリスマスのモールを少しちょん切って豚に巻いて私にくれた。よくこういうことをする人である。

 

私は昔、彼女が、私がほしがっていた菊の花を買ってくれる約束を果たすために、祭壇から菊の花をちょろまかしてきたことを思い出し、一人納得した。これはこの人の常套手段だったのだ。

 

スペイン滞在中の私は、「あのとき」よりは数倍も心にゆとりがあった。だから、アントニオにクリスマスプレゼントとして持っていく豚の足に、彼女が学校の飾りつけのクリスマスのモールを20センチばかり失敬して、巻きつけたのを見て、おかしかった。

 

豚の足は籠にシャンパンや菓子と一緒に入れて持っていくのが習慣だそうだが、旅先だしこれで十分だと言うことでひとまず土産はできた。

 

その時聞いたことだけど、日本には豚の足がないと聞いて、マドレが日本に行くとき其の豚の足を土産に持っていったそうだが、途中で豚の足は税関を通過できないと聞いて、機内で食べつづけ、税関には爪と骨だけを見せたそうだ。 

この人よくやるわい。

昔取った写真をいくら探してもないので、またウイキぺデイアから拝借。↓

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上は豚足ハムの売り場。
 

ま、それはともかくとして、一番近いカセレスから私の観光旅行が始まった。町は古く、そこの博物館というのはローマ時代からの建物で、こことコンスタンチノープルにしかないといわれる地下水層だの貴族の館だのを見た。古い建物は、それなりに見る価値があるけれども、私はやっぱり生きた人間が面白い。

 

民族衣装が美しかった。母が喜びそうだなと思って、其の民族衣装を着けた人形を土産に買った。

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前においてあるメダイとブレスも母へのスペイン土産

実は「母が喜びそう」という人形には、歴史がある。母が子供の時持っていた人形をその兄が、首を引きちぎって壊したそうだ。そのことが子供のころにの悔しい思い出として、実は、50を過ぎても時々言っていた。それで、その話をしたら、マドレが、痛く憐れんで、スペインの人形を買って送ろうと私をそそのかした。

 

でも、日本で一般に「スペイン人形」として 知られている踊り子の人形は、母が嫌っていたので、子供が抱っこできる人形を探して、カセレスの民族衣装を着た人形を探し出して買ったのだ。

 

それから人形はともかく、豚を担いでセビリアへ行ったら、セビリアはさすがあの僻地と違って、町はクリスマスらしく華やいでいた。街路樹のみかんの木がみかんをびっしりつけていたのも珍しく、夜の照明もきれいだった。

 

町の真中に、等身大の幼児キリスト像が藁を敷き詰めた飼い葉桶に納まっている。写真を撮ったはずだけど、どうしても見つからない。

 

日本のクリスマスの中心のサンタクロースはどこにも見かけなかった。日本ではサンタクロースはほとんど子供の信仰に近くなっているけれど、スペインでは子供にプレゼントを持ってくるのはサンタクロースではなくて、キリストを拝みに東邦からやってきたとされる3人のmagos(博士)が持ってくることになっている。伝説によると、彼らはキリストに黄金、にゅう香、モツ薬を捧げたことになっている。黄金はともかく、にゅう香、モツ薬ってなんだか私は知らないけど。

 

この故事にちなんでスペインのプレゼントはこの3博士がもってくることになっている。

 

それは1月5日の晩である。カトリックでは御公現(つまり、飼い葉桶で生まれたキリストが東邦の3人の博士の前に「公に現れた」日とされる)と言われる祝日の前夜である。 クリスマスそのものはミサだけで信仰無関係の旅行者にとっては面白くない。

 

2)「コルドバ

 

セビリアの祭りはその御公現の6日だというので、次の日コルドバに行った。コリアの豪族の実家があるから行け行けと紹介されていってみた。お城みたいなうちだった。召し使いがぞろぞろいて、やたらに威厳のあるおばあさんの女主人がデイッケンズの大いなる遺産の主人公みたいな顔して座っている。

 

彼女、ものすごく大柄で、東洋人の変なのを見下しているのがよくわかる。挨拶もしないで妙なことを切り出すのだ。

 

「ふん。日本から来たのか。日本の皇帝は一夫多妻の野蛮人で、政府公認の芸者と言う売笑婦を抱えているんだろう。しかも売笑婦を観光の売り物にしているだけじゃなくて、政府が子供の数を制限しているんだろう。」と言う。

 

私は始めて聞いた「日本論」なので、いくらなんでも訂正しようと思い、「そんなことはでたらめだよ」と言ったら、其のおばあさん、かんからちんに怒ってしまって、周りにいた息子たちがなだめに入った。

 

その騒ぎがものすごかったので、私がおったまげているものだから、中に入った息子たちのうちの一人の青年が慌てて私を外に連れ出した。

 

それで、其の青年と市内見物をする羽目に落ちたのである。 町は美しく、其の中心にある昔イスラム教徒支配の時代にモスクとして立てたメスキータと呼ばれるカテドラルはなかなかこじんまりとして保存状態もよく、後に見るイスラム宮殿よりも一番気に入った建物だった。其の晩は結局あのばあさんの機嫌を損ねたため、ホテルにとまることになって、次の日グラナダに旅立った。

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メスキータ:これもウイキペディアより

 

3)「グラナダ

 

晦日だったので、ここでも本当は別の人の家を紹介されていたのだけれど、変な目にあうのを恐れて木賃宿に泊まった。一泊200円である。トイレの水も出ない傾いた宿だった。それでもトイレは必要だから、きちんと排泄してきたのだが、朝になって、私は変なことに気が付いた。宿に泊まった客がみんなで洗面器みたいなものを抱えて、トイレに行く。あれはいったいなんだろう。

 

私は自分が泊まった部屋にあの洗面器はないだろうかと思って調べてみたら、あった、あった。ベッドの下に、その「洗面器」が置いてあった。

 

後で、いろいろであった人に聞いてわかったのだが、私が「洗面器」だと思ったあの器は、実は「おまる」で、スペイン人は夜中はトイレを使わずベッドの下におまるにするのだ。夜中は煩いのか、または節約のためか、水がとめてあったのだ。

 

あの旅は、なんでもかでも初体験の旅だった。特にソ連通過以来、トイレ事情に悩まされた。日本に帰ったら、世界トイレ事情について、論文を書こう。  

 

グラナダで1969年の元旦を迎えた。一般の日本人がする初詣と同じように、カトリックの私も元旦にはミサに行く習慣を持っていたので、カテドラルを訪ねてミサに預かった。

 

スペインは、カトリックの国だから、道路に3歩出たら、修道女や神父さんに会い、ほとんどワンブロックごとに教会がある。ミサに行っても行かなくても、どこからともなく、聖歌が聞こえ、説教が聞こえる。こういう国から、異邦人の国日本に布教に行くスペイン人の決意は並々ならぬものがあるだろう。なにしろ、一夫多妻の皇帝が、芸者を傍らに、国民には出産制限をしている野蛮国なんだから^^。

 

この国には、大晦日に馬鹿騒ぎをする習慣があって、元旦の朝は人影がすくなかった。朝11時ぐらいになっても牛乳配達のおばさんしかいなくて、おばさんに道を聞いて紹介されたうちをたずねたら、そこは大学の寮だった。寮なら泊まりやすいから其の晩の宿をお願いして、一人でアランブラ宮殿を目指した。

 

グラナダ名物のアランブラ宮殿は世界に名を轟かせているだけあって,豪華絢爛の宮殿である。柱も壁も其の装飾はレースのようで、繊細な彫刻が施されている。

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↑これもウイキペディア 

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↑こちらはやっと見つけた当時の写真

 

圧倒され、無防備に口を開けて見とれていたら、隙を見たか、痴漢二人に付きまとわれた。私はその時、かわいい顔だったのかもしれない。宮殿は迷宮のようで、するりするりと逃げているうちにうまく巻いたけれど、それからは、かわいい顔はやめて、おっかない顔して歩いた。

 

元旦に旅などしているのはキチガイの外国人しかいないから、人が少なくて物騒である。 サクラモンテという所、洞穴があって、其の穴に今でもジプシーが穴居生活をしているそうだ。面白いから行ってみようと思ったが、別の旅行者に、「そんな顔した女の子」が一人で行くのは危ないぞと言われて、「そんな顔」ってどんな顔かわからないけれど、忠告を聞いて、近くのサンニコラス広場から洞穴を展望することにした。私ってそんなエロチックな顔だったのかな。

 

広大な眺めで、珍しいから、やっぱり「そんな顔」で眺めていたら、すごく汚い身なりの子供たちが群がってきてお金をねだる。

 

「モネーダ、モネーダ、アンダー、セニョリータ」というから、「なんにもねーだ。もってねーだ。あんたー。しらにゃーだ。」といって、追い返した。

 

「ね、ねえ、姉ちゃん、金くれよ」と言ったのだが、意味がわからない振りをしたのだ。

 

しかしそこからのシエラネバダ(雪冠連山とでも訳そうか)の眺望はすばらしかった。紺碧の空の下、雪をかむった連山が延々と横たわっている。美しい雄大な景色を眺めると、ついつい無防備になる。

 

日本人の一人歩きの女性に会った。サクラモンテの穴でジプシーのダンスを見たそうだ。良いなあと思ったけれど、彼女は40歳ぐらいの女性で、こちらはまだ痴漢引き寄せ年齢の乙女なのであきらめた。

 

市内は全部見たし、グラナダは面白くて、見残したところがたくさんあったから、後ろ髪引かれる思いだったが、3日、観光バスでマラガにたった。

 

朝8時だったが、まだ空には月が見える。一番前の席をとって、月を旅路の友としてなんて良い気持ちで景色を見ていたら、月と旅路の真ん中で、バスはエンコして動かなくなった。

 

4)「マラガへ」

 

あたりは岩山で、客は外に出てピクニック気分でいるし、運転手も車掌もバスの下にもぐりこんで、鼻歌歌いながらバスを修理している。何が起きてもパニックにならない国民だ。じゃあ、私ものんびりいこう、と思って、もっていたのみ残しのワインとチーズを口に入れ、ぼんやりしていたら、傍らにやぎの糞があった。することないから、糞の数を数えたら21個。オリーブの白っぽいもしゃもしゃした木がまばらに生えた茶色の山が広がっていて、空は気が遠くなりそうに青い。

 

へェ~~。空って青いモンなんだ。「空がない」東京から来た私は、ふと、「千恵子抄」を思い出した。

 

マラガに何があるのかわからずに、とりあえず来たので、「マラガに何がありますか」なんて阿保なことを人に尋ねたら、「ネルハの洞窟」と言うものがあるよといわれて、「そうか、マラガではネルハの洞窟を見るべきなのか」と納得して見に行った。

 

巨大な鍾乳洞である。のみで削ったような鍾乳石の柱が規則正しく林立している。まさに自然が作った彫刻である。土地の人が、其の鍾乳洞には有史以前の人が住んでいたと教えてくれた。 

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マラガの海は、地中海と大西洋の接点だそうだ。接点といわれても、海は海でつながっているから、別に感慨が涌かない。しかし、それが売り物の海岸のあるレストランで食事をした。

 

何を食べればいいのか、料理の名も知らない私は、メニューを見てもわからない。

 

「マラガで一番マラガらしいものをください。」と言って注文したら、イカのテンプラが出てきた。「なんだ。日本料理のてんぷらじゃないの」と思わず言ったら、シェフがむっとしてこういった。

 

「とんでもない。これはマラガの海でしか捕れないマラガの烏賊を揚げたんだ。世界のどこにも、同じ物なんかない。日本にあるのは、サンハビエルが教えたんだ。てんぷらはここがオリヘンだぞ。」

 

「へへェ、サンハビエルは日本にてんぷらの布教に行ったのか?」といったら、デブのシェフが「うふふ~~ん」といってウインクした。サンハビエルとは、フランシスコザビエルのことである。

 

そうか。これがてんぷらの元祖か。まったく同じ物だったが、そう思って食べたら感慨がひとしおだった。それから餃子みたいなものが出た。ころもの中には鮭の缶詰のようなものが入っていて、揚げてある。うまかったけれど、海岸で缶詰と言うのはいただけないな。しかし、初めての食べ物だったから、てんぷらよりは珍しかった。

 

其の当時日本では鉢植えさえ珍しかったポインセチアが自然に生えているのを見てびっくりして写真に撮った。 うわぁー、ポインセチアが野生ではえている。一般の国内旅行客が見たら、日本で外国人がぺんぺん草を珍しがって写真にとっているようなものだったらしい。少し恥ずかしかった。

 

帰りはバスの海側の席を陣取って地中海の景色を眺めながらマラガの中心街に帰った。マラガはイベリア半島の突端にある。だから、道中、行けども行けども景色は海なので、改めて海は大きいなあと思った。

 

セビリアの祭りに間に合わせようと、帰路のバスの切符を探したが、祭りの前とあって、もう切符は売り切れていた。そこで途中でいっしょになった上品そうなじいさんに頼んで、ヒッチハイクをしながら、時には馬車の荷台に載せてもらって、乗り継ぎ乗り継ぎセビリアに帰った。

 

多くのスペイン男と違って、その爺さんはなかなか紳士で、痴漢を働かなかった。私は安心してずっと其のじいさんにくっついていたので、別れるとき3回も握手をして名残を惜しんだ。

 

4)「ご公現の祭り」

 

セビリアの祭りと言うのは、カトリックの暦で「ご公現」と呼ばれている、もともと1月6日の祭りだ。街を行列が練り歩く。

 

エスの誕生を祝うために、東邦から訪れたという3人の博士の行列なのだけれど、先発隊の自動車や、青い制服の騎兵隊や、歩兵の楽隊が全部其の当時の「現代の」スペインの衣装で時代的に合わない。

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後からくる3人の博士が一人一人騎兵隊を伴って現れ、四頭立ての馬車に白衣の女の子を詰め込んだのがやってきて、其の女の子が群集に向かってあめを投げる、それを我先に争って拾うというイヴェントで,これはあまり衣装がちぐはぐで感心しなかった。

 

次の朝、アントニオがきっと置いておいたのだろう、ドアの入り口にプレゼントがあった。

 

カトリックの国スペインでは、クリスマスにサンタクロースが来てお土産を持ってくるという習慣は「迷信」に属し、プレゼントは、この「ご公現」の日に3人の博士が持ってくることになっている。3人の博士が、イエスの誕生を祝うために、黄金、にゅう香、もつ薬なる物をもってきたという、聖書の故事にのっとっている。

 

アントニオは、居候の私に、その聖書的プレゼントを置いてくれた。開けてみたらオーデコロンだった。これから日本に帰ったら修道院に入るはずの身で、オーデコロンに喜んでいるのもおかしかったが、なんだかとてもうれしかった。

 

私はクリスマスプレゼントを、家族からもらった記憶が無かったし、じいさんとはいえ男性からオーデコロンをもらったのは初めてだったから。

 

へえ。女なんだな、私は。 生まれて始めて「男性」からオーデコロンをプレゼントされた私は、なんだか喜ぶ自分に感動してしまった。