Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

ニャンギート

朝、ゴミ出しに行った帰り、今シャガの花盛りの例の「斜面」を回って、これから咲くはずの紫陽花を点検した。ところが、これもいつものことながら、ゴミが捨てられていた。しかも、ゴミは、わざわざ斜面の上の方に放り投げられていて、急勾配だから、片づけに苦労する。

たとえゴミ捨てが面倒でも、下の方にまとめておいてくれるなら、私が片づける分には、もう問題ない。なんで、わざわざかき集めるのに不便な上の方に放り投げるのか、その神経がさっぱりわからない。

でも、ゴミは、ほんの数時間放置するだけでも、5倍はたまる。すぐに除去しないといけないと思って、家に戻り、レーキを持ってきた。ところが一度、ゴミに神経をやると、他の雑草にも目がいって、たまらなくなり、雑草を抜き始めた。

そうしたら、箒や移植シャベルや剪定ばさみも必要になり、それをとりに戻ろうとしたら、私の仕事をじっと見つめている目に合った。

このところ、崖の修理をしたり、庭掃除をしたりしていると、なんだか見に来る若い猫がいる。抜いた草にじゃれたりするのを見ていると、私を遊んでくれそうなおばさんと、見ているらしい。白の勝った、赤猫。たぶん生まれて、数か月だろう。

逃げもせず、私の動きに何かと付いてくるが、完全に警戒は解いていない、「つかず離れず」の猫なのだ。

そいつが見ていると、私はなんとなく、声をかけるでもなく、話をしているので、相手もなんとなくそばにいる。私が急な動きをすると、逃げ腰になる。

はじめ、私はその猫に、「にゃご!」と呼んでいた。段々かわいいと思うようになるにつれて、その呼び名は変わって行った。「にゃご」から「にゃんご」になり、今は「ニャンギート」と呼んでいる。さらに進めば「ニャンギティート」になる。今のところは、「ニャンギート」どまり。

名詞や名前の語尾に「ito,ita」をつけて愛情をあらわすのは、スペイン語である。Juan-Juanito, Teresa-Teresitaという具合だ。猫が雄か雌か知らないけれど、「にゃんご」と語尾が終わるから、「ニャンギート」である。

で、そのニャンギートが、捨てられたゴミに頭にきて、草抜きを始めた私の後ろに、そっと来ていて、私の仕事を見ていた。おや!お前いたのか、ニャンギート!思わず心がなごみ、私は猫に、声をかけた。

ニャンギートは私を見ている。明らかに私と知って、やってきたのだ。レーキを置いて、竹ぼうきその他をとりにいって帰ってきたら、ニャンギートは放置したレーキの柄に横になってじゃれついていた。かじったり手で抱えてふらふら動かしたり、遊んでいる。

抜いた草は、見るみる2つの山になり、ニャンギートはずっと私の間にある距離を持って、相手してくれた。

餌をやったことも手名付けようと思ったこともない。崖に登ると、ニャンギートも登ってきて、去年向かいの崖の上の家の庭から落ちた柚子の実にじゃれていた。もう黒くなって堅いから、果物だった面影もなく、ボールのように、転がして遊んでいる。

ゴミに腹を立てたものの、猫のおかげでなんだか、気分がなごんだ。鶏がいるから、飼う気はない。猫好きのMTさんがいつも、野良に餌をやっているから、私は餌もやらず、ただお付き合いだけ^^。でも今年は、ニャンギートの話がもっと増えるかもしれない予感がする。