介護のこと
娘が爺様を介護している
娘は、うまくやっているらしい。この前、スカイプで娘が言っていた。
100歳の爺さまは、たぶん、軽い認知症になっているのだろう。去年、私が行った時も、同じだったけれど、爺様はいつも、生まれ育った故郷の思い出に浸って暮らしていた。
いや、思い出に浸るというよりも、彼は90年80年前の世界を生きていた。自分を育てたおじさんとか、近所のおばさんとか、一緒に遊んだ仲間とかが、現実の問題として、彼の世界で生活していた。それは幻覚でも夢でもなく、それは、彼の現実だった。それを私は、客観的になれる立場の人間だったから、理解した。
しかし、傍にいる実の息子たちは、まったく理解していなかっただけでなく、「また馬鹿みたいのが始まった、どうしようもないな」という態度だった。爺様が、おじさんのところに行きたいと言うと、まるで無関係の公園だの景色のいい場所に連れて行ったりしては、爺さまを落胆させ、イライラさせていた。
誰もいなかった時、娘は、爺様が行きたいという方角に、連れて行ったそうだ。面倒をみている家政婦が、体を張って止めるのも聞かず、彼女は爺様を連れだした。みんなが住んでいるうちは、爺様が長いこと住んでいた家ではあるが、「故郷」ではなかった。しかし彼は、数軒歩いた向こうには、彼の遊び仲間が住んでいると考えて、あそこに行きたいのだ、と娘に言った。それで、娘は、爺様を連れて、彼がここだと思うところに一緒に行き、右だと言えば、右に、左だと言えば左に、彼の思い出の家を探すのに付き合った。とうとう爺さまは自分で、「迷った」ことに気がついて、「どこだかわからなくなったから帰ろう」と言って、帰ってきたそうだ。
彼女が小学生のころ、私が母を引き取って介護していたのを見ていたのだろう。母は認知症ではなく、末期がんの治療薬で、モルヒネを使ったために、幻影を見たり、健常者から見れば、へんてこなことを口走っていた。「あ、そこに鼠がいる!ほら、動いてこっちにくる」だとか、「武蔵境の雀やムクドリやヒヨドリがみんなここまで来て、自分を見送りに来ている」だとか、つぶやいていた。
その言葉に、私は逆らわなかった。「ネズミ?でも静かに遊んでいるだけですよ」だとか、「ああ、シジュウカラも来てますよ」だとか、空を見上げて、私は受け答えをしていた。母のおなかに水がたまって、腫れあがり、見るからに異常になった時、母は言った。「私、妊娠しているの?生まれたら、柚子って名前にしてね」
居合わせた真面目な兄嫁が、それを聞き咎めて言った。「お母様、何歳だと思っていらっしゃるのですか?」それを遮って、私は言った。「妹が生まれたら、柚子にしましょうね。」それを聞いて真面目な兄嫁はまじめに笑った。母が死んでから、引き取った母の金魚が一匹の稚魚を残してみんな死んだ時、私はその稚魚に「柚子」と名付けた。
どんなになっても、人間は、生きていて役に立ちたい。なんでもやってあげ、手伝ってあげ、すべての仕事を取り上げることは、相手の人格の全否定であって、喜ぶわけがない。人間の心の中の最後の自意識に逆らって、お前は何もできない、俺がなんでもやってあげる、何でも手伝ってあげる、食事も作ってあげる、風呂も入れてあげる、と言い続ければ、認知症は進んでしまうだけだ。