Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「ごう」だね、こりゃ

さてと・・・。今日は火曜日。午前中エアコンの付け替え工事が来る。一番使っている12畳のエアコン、去年から不具合が断続的に起きて、買いかえちゃおうと、主人に相談なく決めた。ちょっと高い。だから自腹。10日に主人が来て、見たって、変化に気がつかないタイプ。彼、目の前に、等身大のクリスマスツリー飾って、ぴかぴかちらちらさせても、まるで気がつかないし、撤去しても気がつかない。
 
崖の変化だって、メールやスカイプでぎゃんぎゃん宣伝したから、力仕事覚悟で来るらしいけれど、見たら、きっと「な~~~んだ、どこも変わってないじゃないか…」というよ^^。こうなったら、目玉と崖の修理が終わるまで、死にそうな顔して、演技しなきゃ。
 
実は、昨日、Mさんが来たんで、このところの体調の不具合の話をしたら、ぶふーーーっとかいって笑うの。こんな凄い土木工事一人でやっている婆さんなんて、怪物だって、近所で評判だよ、体のどこかが悪いと言ったって誰も信用しないさ、とか言っていた。
体調が悪い時は、寝室にいて、顔出さないんだもの、崖に登っていないときは、死にそうな時だって、わかってくれないもんかな。
 
ところで昨夜、眠ってから電話があった。市川の兄だったが、なんか、へんてこな電話の内容で、怪しみながら聞いていたのだが、それが20数年前の蒸し返しから始まった。
 
なんだなんだと思っていたら、在米歴40年の姉が日本に帰国していて、2点のものを探しているという。1点は、母が彼女にあげると言った着物だそうで、2点目は、父の画集を作った時の原本フィルムだそうだ。
 
げげ?又始まったか…。
 
1点目は全く知らないことだから、全く知らないと答えた。だいたい母が着物を着た姿なんか見たことないんだし、大正時代に結婚した当時から、洋装のハイカラ婦人だったはずだ。帽子を斜めにかぶった鹿鳴館の貴婦人みたいな写真があるよ^^。かんらからからと笑ったら、そうか、と言って2点目の話になった。
 
姉は父の絵を兄弟の了解も得ずに、修復前にこっそりきて無人だった母の家に入って好きな絵を盗みだし、アメリカに持って行った。それでも足らず、他の絵も自分のだと主張して、当時騒いでいた。他の兄弟に所有権があることなど意にも介していなかった。私は母を見送った当時、母のために手元に置いていた絵を、母の遺言で他の兄たちにと言っていたもの以外は、手放さなかったのだけど、そのことで、彼女、私を窃盗呼ばわりしていた。
 
かわいそうに、まだ彼女の飢餓状態、治らないんだ。ほとんど、地獄の餓鬼!
 
姉は原画のフィルムを使って、すべての絵の複製を作って、アメリカの家に飾りたいのだそうだけど、なんだか、私が生まれたときから、私の存在が悩みの種だったあの姉、私が持っていると知ったら、闘争意欲満々で攻め込んでくるだろう。
 
だいたい、あの画集は1から10まで私が作ったんだ。写真のフィルムは私が持っている。でも、彼女異常な執着女だから、私が持っているというと、すぐに盗む計画を練るはずだから、彼女に直接接したくない。兄貴が責任持って散逸しないようにすると言うなら、兄貴に貸してもいいと言ったら、俺に責任がかかるのかと、しぶっていた。
 
だいたい私が、すべて自分が編集したあの画集をこの市川の兄の名で出版したのは、この兄だけはどの兄弟からも愛されていて、嫁さんも非常に人間関係をうまく保つ才能があったから、画集に傷がつくのを避けるためだった。当時、この兄は、海外勤務で日本にいなかったから、その事情を深く知らない。それにもかかわらず、自分の名で出版されたいきさつに、まるで意味もわからず喜んでいた。
 
とにかく、あの所有欲亡者が怪しいことを言ってきたんだ。画集の原本のフィルムが散逸しないための、そのくらいの責任、果たせと、いったら、しぶしぶ、あいまいな口調で電話を切った。
 
私が69才なんだから、姉は71だ。彼女、死ぬまで、ああなんだろう。自分の飢餓状態のこと、何も考えないで生きているんだろうか。悲しいとか、あきれたとかの感情を通り越して、何かすごい人間の「業・ごう」の実証を見るようで、疲れた。「疲れた」としか言いようがない。