Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

ハイジノ爺さん

今日も山仕事。今この私に「山仕事」があることは、まさに摂理的な出来事だ。心に何があり、体に何があっても、この「山仕事」が自分を生かしてくれるらしいということが、触っている土から感じられる。

娘のいう「ハイジの爺さん」は、都会が嫌いで、文明人が嫌いで、子供の気持ちがよくわかり、深い人生哲学を持っていて、自然だけを相手に生きているのだそうだ。都会と、文明人に、傷ついたんだろうね、ハイジの爺さん^^。私も都会と常識人、大嫌いだけど、文明に背を向けてはいないよ。なにしろ、ねっとお宅だから。

実は、近所のAさんが引き取ったお姉さんという方の、なんとも弱弱しげな姿を見て、しかも年齢が私と同じだと聞いて、67歳の姿って、あれが平均か?と思って、ショックを感じるほどだった。

私だって、様々な病気を抱えている。内科も、整形外科も、歯科も、眼科もお世話になっている。でもそれらは全部、当たり前に死ぬ前の、年齢相応の病気だと自認して、別に大した思いもなかった。むしろ、骨密度が80代のもろさと診断されながら、ドタバタ生きていることに、ちょっと愉快な気分でいた。そういう限界を知らされた体で、どれだけ面白く生きられるか、試してみるのが面白かった。

豪雨の時、崖の上から鉄砲水が噴き出した時は、実は、かなり青くなった。水は、滝となり、怖いと感じるほどだったが、余裕があったら、「美しい」と思えたかもしれない。まるで華厳の滝のように、上から滔々と流れていた。写真をとったが、うまく映らなかった。

あれから、ほとんど2ヶ月くらい経つのかな。専門知識がないから、計画は立てられなかったけれど、素人判断で、2年かけて土留めをしようと考えた。一応いろいろ試すけれど、持久力がなくて、午前中仕事をしたら、あとは、疲れてほとんど居眠りしていたほどだから、仕上げには2年以上かかるかもしれないと考えていたから。

杭を打ち込みながら、そこに木の枝を敷き、土を集めては敷き詰めて固めているうちに、1段目が幅1メートルばかりできた。それから2段目の杭を打ち込み、ゴミ集積所から木の枝を集めているうちに、協力者が出て来て、土を集めて袋に詰めて6個も運んできてくれた。それがかなりのヒントになり、踏めばぶよぶよではあるが、とうとう、5段まで階段を作り、鉄砲水が噴き出した「穴」まで到着。

穴の修復は土嚢が必要で、その扱いがいくらなんでも婆さん一人では、無理と感じて、業者に頼もうと思い、10年の付き合いのリフォーム屋のMさんに相談したら、物凄く尻込みしながら、それでも見に来てくれた。尻込みしたのは足場がなくて仕事ができないのを知っているからだ。修復を実行するためには、どうしても幅1メートルの階段を延長して、修復の必要な上の住人との境界線の位置に、足場になる通路を1列作らねばならない。見上げると崖はほとんどえぐれていて、勾配なんて直角に近い。

彼が尻ごみする様子を横目で見て、じゃあ、私が足場を作ってやろうと、考えた。どうせ私は暇人だ。ビバホームに杭を60本ばかり注文し、町中から枝をかき集め、枝を組んで、土を入れては踏んで固め、とりあえず、人間が載ることのできる階段を毎日毎日つないでいった。

1週間後、Mさんが来て、私が作った、足場に乗ってぴょんぴょんとんで堅さを調べた。にやにやしている。使いものにはなるけれど、数年で、沈むよ。沈んだら、また重ねますよ。5年でもかけて。Mさんは再び意味ありげにニヤニヤ笑った。

ところで、彼、以後、毎日来てくれる。結局境界線の穴ふさぎを引き受けてくれたのだ。いろいろ必要なものを買うために、ジョイフル本田に連れて行ってくれたのも、Mさん。

私がやった土留めなど、素人芸だから、体裁が悪い。でもとにかくできることを、できるだけやったことは確かだ。人をほめる人物じゃないけれど、引き受けてくれたところを見ると、何か、肯定的に、感じ取ってくれたのだろう。

最後に、土嚢を体裁よく隠すために、お隣さんからもらった竹を使って、竹垣の結び方を伝授してくれるらしい。昼食を一緒にして、いろいろ話すのだけど、彼、なんだか凄く、人間関係を面倒くさがっている。親切なんだけど、誰にでも親切というわけではないらしい。ひとひねりしないと、なかなか心の中を見せない。ひょっとすると、この人も「ハイジの爺さん」かもしれない。