Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「父の思い出」(1)

今日は父の日。
 父は、昭和25年に他界した。忘れもしない6月2日6時2分。なぜそれを記憶しているかというと、3番目の兄が家にいなかったから、兄に父の死を知られる電報を打った。それが「6月2日6時2分父死す」という内容だった。鮮明に記憶している。その時代私は小学3年で、「父の日」というものはまだなかったし、「父の日」が制定された後も、意識したことがない。

 

 昭和25年といえば、終戦直後の混乱期で、そのころ父を失った一家はそれはそれは大変な思いをして生き抜いた。

 

 でもその「父」は私にとって、いつも身近な存在だった。祭壇にある父の写真に向かって、朝いつも「おはようございます」寝る前は「おやすみなさい」とあいさつしていたし、実は、私は斜め前方にいつも自分を見守る父の姿を見て暮らした。つらい時には助けを求め、夜中の暗闇で歩かざるを得ないときは、斜め前方の父に、助けを求め「走った」。

 

誰かがそんなの嘘だと言っても、それは私にとって真実だった。

 

 ところでその父の姿があるとき消えた。それは私がエルサルバドルに行って、結婚した時、斜め前方にいつもいるはずの父に報告しようと思ったら、もうそこに父はいなかった。其時私は、「ああ、お父様は私をダヴィに任せたんだ。」と、思った。

 

父は画家だった。で、私は父を絵の中で記憶している。

 

父39歳の時

私と一緒にとった唯一の写真

右の後ろから。母、父、その前が次兄、4番目、5番目の兄。前列姉、右端鶏の後ろが私

父自画像

「昼寝する瑠璃子」1

「昼寝する瑠璃子」2

これは最後の絵、未完らしく署名がない。「瑠璃子