Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「古事記」における国名ヤマトの漢字表記について

1)「国名の表記と発音の矛盾の追及」

★倭、大和、日本はすべて「やまと」と読む

 

 記紀の表記を研究するにあたって、古代日本の国号“ヤマト”は見落とせない。そしてこの“ヤマト”なる国号の表記も政治的に重要な問題を含んでいるように思われる。なぜならば“倭”も、“大和”も“日本”も習慣や教養から離れて読めば、ヤマトなどとは読めない表記である上に、表記が3つもありながら読みが変わらないという不思議な事実があるからである。

 

 読みが変わらず表記だけが変わったということは、国が変わらず、国名が意味する内容と、その国名を名乗る為政者の意識が、歴史的変遷を遂げているということである。

 

 そもそも訓読みなるものは、漢字の読みを和訳した読み方であって、WHITEと書いてホワイトと読まず、“シロイ”と強引に読ませるやり方である。それと対照的に音読みのほうは、そこから表音文字の五十音が生まれてきたように、“波”とかいて”ハ”と読めば意味は伴わないが、訓読みで“ナミ”と読めば海の波を意味する。(この場合の“ハ”は漢字熟語の音読みを意味するのでなく、あくまで、ひらがなの前身としての“波”のことである。)

 

 このような意味では、“倭”も“大和”も“日本”も、すべてヤマトと読む場合、表音文字の訓読み漢字であって、音読みではどう考えてもヤマトと読めるものは一つもなく、“倭”は“ワ”、“大和”は“ダイワ”、“日本”は“ニッポン”である。“日本武尊”は素直に読めば“ニッポンブソン”であって、“ヤマトタケルノミコト”と読むのは無理である。

 

 この表記は日本書紀のほうのものだが、古事記の表記は“倭健命”である。これも音読みにすれば“ワケンメイ”であって、記述の“日本武尊”と同じように読ませるのは考えてみれば無茶である。このような無茶は為政者だからできるのであって、為政者が、無茶を通すときには必ず政治的な思惑あってのことであると考えるのは当然である。

 

 ここには必ず政治的意味があると私が思うのは、表記改革の不合理さが、国名という国家にとって重要な案件にさえ見えるからである。それは波を“ハ”と読ませたりする程度の単純な意味ではなく、天を“アマ”と訓じて“アマ”の意味範囲を規定したような、ある効果を意図した意味である。

 

 不思議なことは、ニッポン国は古くから、ヤマト、ヤマトと呼ばれてきながら、素直にヤマトと読める国号を表す漢字は肝心の日本国内にひとつもないことだ。これはいったい何なのだと私は思った。国名でなければ九州地方に“山戸”“山門”という文字で表される地名があって、ともにヤマトと読むのだそうである。しかしこの表記が国名になったことは一度もないし、政治的問題を検討するほど重要な地名とも思われないので、ここでは扱うつもりがない。

 

 そしてひとつだけ、どうもヤマトと読めるらしいのは、通説や常識で「ヤマタイ」と読み慣わしている、かの有名な“耶馬台”である。しかしこれは日本側の自主的な表記ではないし、“耶馬台”をヤマトと読むのは学会でタブーとなっているらしい。だから、ヤマトに関して検討すべきは一応認証を受けている“倭”、“大和”、“日本”のみである。

 

 この3つの国号の推移と、決して変わらぬヤマトという読みについて検討しながら、ふたたび不思議な事実に私は気付いた。それは漢字記載による国号変更は大陸向けであり,ヤマトという読み方に固執するのは国内向けであるということ。 

 

 この事実が意味するものは“倭”、“大和”、“日本”と大陸向けに国号を変更していった政府は、文字の読めない国内の民衆には、自分こそいつも代わらぬ“ヤマト”だと主張しているということ。一方、文字の読める中国にとっては、“ワ”、“ダイワ”、“ニッポン(ジッポン>Japan)”という3つの国号を持つひとつの国があると考えることには無理がある。これは中国にとっては、とりもなおさず為政者の交代、王朝の交代を意味していたと考えるほうが理にかなっているのではないかと私は考えた。

 

 大陸向けに“倭”なり“日本”なりを名乗った政府は、その読みについては中国に任せてあって、日本側の特別な断り書きをつけていたわけではない。“倭”という文字は、中国にとってはあくまでもワ、またはそれに近い発音であったはずである。同様に“日本”もヤマトではなく、ジッポンに近い発音をしていたことは、これが語源となって後に日本は“ジパング”としてマルコポーロに世界に紹介され、それが現在の西洋各国が呼んでいる、ジャパン(英米語)やヤパン(ドイツ語)やハポン(スペイン語)になっていったことから見ても明らかなことだ。

 

 私がこのようなことを特記するのは、国号を“倭”とか“大倭”とか表記してヤマトと発音することを主張する以前に、中国に対して自国の国号の発音を明確にしていた国が日本の国内にあったからである。


  それは中国側の文献に“耶馬台”と表記される、かの有名な幻国家であるが、2,3世紀に漢や魏に朝貢した“耶馬台”は、少なくとも自国の国号の発音を明確にしたから、中国側は中国側の通称“倭”と併用させて、表音文字としての“耶馬台”を記録に載せたということになる。“倭”という国号を併記したのは、それが中国側の文献だったからで、日本側は自発的には“倭”という国号を使っていないのである。“倭”は古代日本人(2,3世紀、九州を中心とした人種を仮にこう呼んでいいとすれば)の好むところではなかったらしく、ヤマタイにせよ、ナ国にせよ、マツロ国にせよ、国号の発音を中国側に向けて明らかにしているから、中国側の文献に表音文字が記されているのだ。

 

 当時の日本人は自作の文字をもたなかったから“倭”と名乗りたくても名乗れなかったという説がある。しかし私には、中国に朝貢していた政府筋のものが、文字の存在さえ知らなかったとは思えないし、もらった金印の文字も読めなかったと考えるのは非現実的なことだと考える。

 

 また、古墳から発見される鏡が、大陸製か日本製かを見分ける決め手として、日本製の鏡の文字は、“文字になっていない”といわれるが、果たして国産の鏡を作るにあたってモデルにした大陸製の鏡に記された文字が、文字であることも知らず、まったくの模様と考えていたかどうかということは疑問である。当時、精巧な模様でさえも正確に写すことのできる腕を持った職人の多くは、大陸からの渡来者であったはずだ。その職人が文字のところだけは正確に写すことができなかったと考えるのは、不当のような気がするがどうだろう。

 

 ★日本の国号に関する諸説の検証

 

 原田大六氏が、その著書、“実在した神話”のなかで、鏡は日迎えの役割をしていたと述べておられるが、それならばその文字みたいなものは日本製の呪文を表す記号であったかもしれない。いずれにせよ、文字のまねをしたが形にならなかったという説明は再検討を要すると思う。

 

 ともかく、例の“耶馬台”は“ヤマタイ”に近い発音をして国名を明らかにし、中国側に“耶馬台”と表記させることに成功した。“倭”などとは、自ら名乗ったことはないのである。

 

 古代日本には国号が二つあったと見る向きがある。雑誌“東アジアの古代文化”創刊号に、“5世紀までの中国、朝鮮の古典に現れた倭”と題する井上秀雄氏の文がある。私の扱う問題と交差する部分があるので以下に引用する。

 

 “まず倭を考える場合、それが民族名であろうと国名であろうと、従来は、日本人の自称という考えから出発した。しかし、このような発想法は次に述べるように事実に合わないし、倭を最初に使用した中国人の立場から見ても、その必然性はない。むしろ最初の国名や民族名は、自国、自民族による命名と考えることが、かえって不自然ではなかろうかと考えた。国名は対外的な名称で、区別する必要があるのは自国でなくて他国である。特に国際社会に参加の送れた日本は、先進国の中国や朝鮮での命名を拒否する立場になかった。今日でも国際的な接触、たとえばオリンピックなどでは、日本というよりジャパンというほうが多い。このように、倭が仮に日本だとしても、倭の名称が当時の日本によって命名されたと考えるのは、かえって不自然なことであろう。

 

 このことを傍証するものとして、日本では古来、自国の名称をヤマトと言ってきた。これは口伝えの固有言語であったらしく、“日本書紀”編纂当時でも、大和、大倭、日本などと、さまざまな当て字を使っている。

-中略-

 

 このように見ると、当時の国号は少なくとも2種類あって、外交上使用される国号と国内で用いられる国号とに分かれている。国内的な国号はその地方の住民が自分たちの存在理由を示す宗教的聖地-中略-の名を国号としていた。しかし、それは国際的な場では理解されない名称であるため、中国人や近隣諸国で通用している国号を用いたのである。”

 

 この引用の内容は、井上氏の論文全体の趣旨ではない。しかし、私が特にこの部分に焦点を当てるのは、国号に関する私の主張と交差する部分があるからである。

 

 私には、この論文の中でどうしても理解できない論理があるのだ。“倭”が日本人の自称の国名ではないという結論には賛成である。しかし氏は“最初の国名や民族名は、自国、自民族による命名と考えることはかえって不自然”としながら、“倭”が自称ではないことの傍証としては、“日本では古来自国の名称をヤマトといってきた”というのだ。これは氏の側の混乱をあらわしているのではないかと思う。  

 

 なぜならば、その「ヤマト」こそ氏のいう“最初の自国の命名”による国名であって、国際的に自称の「ヤマト」を国名として主張できない理由は何もない。これについて氏は“国際社会に参加の送れた日本は、先進国の中国や朝鮮での命名を拒絶する立場になかった”と説明する。しかし、4,5世紀の“倭”よりよほど小国であり、弱小国であった、その勢力範囲も全九州にさえわたっていなかった、かの“耶馬台国”は、自国の国号を“耶馬台国”と主張したのではなかったか。

 

 海を越えて朝貢に来た小さな見知らぬ国の使者に、どこからきたかと聞くのが常識的で、初めからお前は“倭”からきたのであると決めてかかるほうが異常であると思うがどうだろう。

 

 心理的にいっても、弱さを自覚した国であればあるほど、または、自国の尊厳を他国によって傷つけられたような過去を持つ国であればあるほど、自己主張が激しく自国の名称にこだわるものである。かつて自国の尊厳を日本によって踏みにじられた朝鮮半島の人々は、日本人に“朝鮮人”と呼ばれることを嫌悪している。そして中国人は“支那人”と呼ばれることを嫌悪している。朝鮮も支那も、その言葉自体にはいかなる軽蔑的な意味も含まれていないし、支那という名は英語のチャイナという名称の同語源の言葉で、秦の始皇帝の国名から派生したものである。チャイナなら国際的名称として現在でも自ら名乗ってよく、シナならいけないというのは、彼らの日本という国に対する自己主張であって、経済大国に遠慮する意思などはじめからないのだ。

 

 そして、蝦夷が大和民族に蝦夷と呼ばれたのは、彼らが自分のことを“エンジュ”と呼んでいたからで(大野晋“日本語の起源”参照)、本来の民族名は小民族であろうが小国であろうが、本来自称から出発しているのである。

 

 そして中国人が日本人に「シナ人」と呼ばれることを嫌悪し、朝鮮半島人が「朝鮮人」と呼ばれることを嫌悪するのは、それが両国人にとって蔑称と響くからである。アメリカ人にチャイニーズとよばれて嫌悪しないのは、それが蔑称と聞こえるような関係を過去に持っていないからである。国際的に自国の名称が主張できない弱小国だからではない。  

 

 ところで“倭”は明らかに蔑称である。これが日本人にとっても中国人にとっても蔑称であることが意識されていたことは、“倭”が“大和”としての国家形成時代に、“日本”に生まれ変わり、それを中国側にも主張したことで明らかである。なお、2,3世紀の九州の国家が自国の名称を“耶馬台”と名乗って“倭”とは名乗らなかったことから見ても、別称を拒否できない立場にあったはずがない。

 

 “親魏倭王”の耶馬台国、“漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)”のナ国は、その印の文字を読めなかったわけでもなかろうから、中国側で自分たちが“倭”と呼ばれていたことは知っていたはずだ。それでもなおかつ“ヤマタイ(ヤマトと読むことも可能)”と名乗り、“ナ”と名乗った。後進国であり、戦乱で引っ掻き回されている小国であり、国際的にはそれこそどんな立場といえるような立場も持っていなかったはずの,“鬼道”によって政治を行う野蛮国が、中国に対して“ヤマタイ(ト)”と名乗っているのである。それも、“倭”をヤマトと読んでくれなどという態度でなく、中国側の筆録者が“耶馬台”という表音文字を記録しなければならないほど明確に“ヤマタイ(ト)”と発音したのだ。だから中国側に“耶馬台表記”で知られ、耶馬台で通じたのである。

 

 中国側の受け取り方はよくわからないが、朝貢当時の耶馬台は、九州の連合国の盟主であって、“倭”の中の一小国“耶馬台”ではなくて、連合国の代表を自覚しての朝貢であったろう。それが“倭”を名乗らず“耶馬台”を名乗った。対外的に、国際的に、恐らく日本国内でと同様、その名に誇りを持って。

 

 ところが、5世紀の倭の5王も、7世紀の大和朝廷も、国際的には国号を“ヤマト”とは名乗らなかった。“耶馬台”の記述を最後に、“ヤマト”と発音し得る可能性を持った日本の国名は、中国の文献には現れないのである。倭は“ワ”であり、大和は“ダイワ”であり、日本は“ニッポン”である。“ヤマト”の名称は国内だけで、まるで国民を宣撫するかのように、ひそかに発音され、それも“日本”の音読みにつられて日本はヤマトを離れて日本(ニッポン)になってしまい、大和は忘れ去られていった。

 

 現代の日本が“日本”と自称し、国際的には“ジャパン”として知られているときの“日本”と“ジャパン”は、“倭”と“ヤマト”の関係とは違うはずである。ジャパンは何ら蔑称としての意味を含んでいるわけではなく、“日本”がなまった発音、日本→ジッポン→ジパング→ジャパンと変化した発音に過ぎない。訳語でさえもなく、英語言語族は“ジャパン”の意味はわかってさえいないだろう。

 

 もし“倭”と“ヤマト”になんらかの関係を比較できるとしたら、それは“ジャップ”と”日本”だろう。ジャップはジャパンの縮小形であって、言葉そのものは蔑称ではない。しかしこれはアメリカの白人が有色人種の日本人を侮蔑するために使った言葉であることはよく知られたことである。だから日本が自ら“倭”と名乗ることは、自ら国号を“ジャップ”と名乗ることと同様であって、国際的に後進国であったからといって、否、国際的に後進国であったからこそ、蔑称を国号にするということはありえないことである。

 

 日本が白人諸国に徹底的な打撃を受けていた終戦直後に、日本は国内的にニッポンといい、国際的に“ジャップ”と名乗ることはあり得ただろうか。原爆投下のパイロットに勲章を与えた日本の佐藤政権でさえ、国号を“ジャップ”にする気はなかったようである。

 

 国単位ではなく、個々の人間の心理からいっても、自分が劣勢にあるときのほうが自己主張が強く、自分の尊厳にこだわるものである。自分に劣等感を持っている人間ほど繊細で、何でもない言葉でも軽蔑と受け取っていきまくもので、まして自ら蔑称とわかっている名を名乗ったりはしない。

 

 同様にこのことは国単位でもいえることで、後進国だからといって国際的蔑称を自国の国名として用いたということはありえない。“倭”という蔑称を国号として用いた政府は、何らかの理由で、国号に対して無神経であったか、ヤマトという名にそれほどの執着を持っていなかったかのどちらかであろう。その無神経さにも執着のなさにも、必ず政治的問題が隠されているはずである。