Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

舅とパジャマ

4月2日
昨日は晴れ。転入届だの、事務的な仕事のため久しぶりに自転車に乗った。数件の仕事をこなして自宅に戻り、さて庭掃除。
 
お隣さんが自宅の庭をすべてコンクリートで固めて、その工事のときに出た木や草のくずをうちに投げ込んだので、まずそこから片付け始めた。半年いないと、こういうことになるんだ。地面にはいつくばって、ゴミ集めをしているうちに袋は20個になった。あと少しというところで力尽き、地を這いながら家に入って入浴。
もう、風呂は帰宅してから20回以上入っている。体を洗う元気もなく、ただ湯船に身を横たえるだけ。それでも豊かな気分。
 
今日は3時起床。
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今日は雨。朝早く起きたので、いつのまにか、眠った。朝、そうだ、ここは日本で、ゴミしわけの習慣があったのだ、と思いだした。エルサルにはごみの仕分けなんかない。
 
ないどころか、毎朝家じゅうに涌いている虫の駆除に悩まされた。介護の必要な老人がいるからだけではない。家族が夜の間に使った食器だって、ちょっと垂れたはちみつや砂糖のほんの数滴だって、虫を呼び寄せ、床だろうが壁だろうが、虫が這いまわっているのを、いらいらしながら駆除するのはいつも一番に起きる私がやらねばならなかった。あの家は不潔を通り越していた。鈍感でなければ生きられない、清潔感皆無の国民性でなければやっていけない、すごい国だった。
 
舅の5年間洗ってない衣類を夢中で1週間中洗い続け、家から臭気をなくして喜んでいたとき、私は臭気がないことに気がつかない家族の鈍感に唖然とした。臭気に鈍感ということは、無臭であっても鈍感で気がつかないのだ。実は私は心の中で、家族から喜ばれることを期待していた。気がつかないんだから、喜ぶ理由がない。
私に気遣って喜んで見せるような、演技もする必要がない。
 
自分がしたことは意味のない余計な仕事だったのだ、ということを日本に帰る前にいやというほど味わった。あの家を虫だらけにし、舅を糞尿にまみれたまま放置した、あの女中が、私がいなくなるのを知って戻ってくることを知ったから。戻ってくるどころか、家族は私が3月末に消えるから、それまで自宅待機するように指示したらしい形跡が読めた。彼女が戻ってくることを知ってやたらに喜んでやってきた主人の兄から、そのことを気付かされたとき、自分は本当に、あの国に戻るまいと思った。清潔な人間は邪魔だったのだ…
 
私が帰国する10日ぐらい前、友人が買って送ってきた新品の「ネルのパジャマ」をみて、舅は喜んだ。いつもわけのわからない言葉で話すのに、あの時ははっきりと、「自分にパジャマを買ってくれたのはあなたが初めてだ。ありがとう」といった。それで、ズボンの長さを調整して着せたら、子供のように喜んで、写真をとらせてくれた。幼い顔をして喜ぶ舅を見て、私はうれしかった。
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