Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

いかにも素敵な励まし方

実は私は伸びていた。他人にどう見えようと伸びていた。他人の無神経な言動に傷つき、他人のとおりいっぺんの慰めに反吐を催し、他人の無責任なほめ言葉にいら立ち、それでも私は人前でへらへらしていた。何も物を言わない人間の方が、私はずっと信頼できた。何も物を言わない人間は、自分の人生に経験があり、知りもしないやつから物を言われれば却って不愉快だという事を。

ところで、Mさんが面白い事を言った。70でぶっ倒れたら、もう再起不能だという私に、そんなことない、人間生きていれば何が理由で花が咲くかわからないのだ。金さん銀さんなんか100歳で脚光を浴び、世界中に紹介されたんだぞ。彼女たち、能力がどうのと言うことじゃない、ただ生きただけじゃないか。

そりゃそうだ。ただ生きただけだという、その言葉になんだか神経がほぐれるのを感じた。

面白い励まし方じゃないの。「ただ100年生きただけで、世界の人から注目を受けた。誰が何を何時どう評価するかなんて、あなたが言うことじゃないんだ。ネットができるんなら、ネットでいろいろやっちゃえよ。世界中の人が見ているじゃねえか。70年なんて半端な事言わないで、150年生きちゃえよ。脚光浴びるよ。

まあそうかもしれない。私の4番目の兄貴は76歳でシルバーの仕事して金稼いでいる。末っ子の私は「まだ、たったの」70歳だ。できる事みんなやってみりゃいいじゃないか。

そういえばそうだ。私たち兄弟は戦後の赤貧時代を母子家庭で乗り越えて、ちょっとやそっとじゃくたばらないように鍛えられていたんだった。鬼のようだと思っていた母は偉かったなあ。末っ子の私にも、差別しないで、アルバイト生活していた大学時代、家賃と食費を要求したんだ。月1万円出したよ、1万円。昭和30年代後半の1万円だぞ。ざまあみろ。

だったら今、なにをぐにゃぐにゃしてんだよ。

と思って、私は急に走り出した。