Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

「戦いの種類」

「戦いの種類」

未知の人が、私のブログを見て、なんと思うか、私は知らないし、知らなくても良い。私の存在を目で見た事のある人、または「友人」、または親戚や縁戚にある人々は、私のブログを発見して、「赤裸々な告白」とかを読んで、青くなったり、憎悪を感じたり、気の毒がったり、憐れんだり、無抵抗の腰抜けだと思ったり、とにかく要は「胡散臭い」目で見ているらしい。電話までかけてくるから、よほど気になるのだろう。

しかし、それもどうでもいい。

私は「赤裸々な告白」などしていないし、他人を青くさせたり憎悪を感じさせたり、気の毒がられたり、憐れまれたりする、そういう結果を「正しい見方」だとも思っていない。私はたぶん、表現力がないから、そういう結果を生むんだろうけれども、私は「無抵抗の腰抜け」でさえもない。

私の表現力では、誰も私の真意を理解できないらしく、読みとってもらえないんだから仕様がない。

「勝つための戦いの武器」と言うものは、必ずしも相手の存在を抹消したり征服するための、槍や刀や、ピストルや、殺傷具を意味しないのだということは、いくら大国が核武装をして世界一の軍備を誇っても、石ころ一個を持ったテロリストを世界から撲滅できない現状を見てもわかるだろう。

約2000年前、中近東に生まれた、丸腰で自己の信念を語った男は刑場に曳かれて磔刑となり、彼の追随者は、実に2000年もの間彼の信念を語り継いできた。彼の心臓を貫いた槍一本は、それなら彼に勝ったのか。2000年の信念が槍一本に勝ったのか、答えは信じる相手によって分かれるだろう。

槍や核武装の効能を信じるものは、丸腰の男の信念を信じる者より多いだろう。金の力を信じるものは雲蚊の数ほどうじゃうじゃいる。彼らと「数」で勝負するなら、丸腰男は勝ち目がない。

なぜなら、信じる信じるいいながら、「信じる形式」を勝手に決めて、雲蚊の数ほどの武装集団を作っている者どもはさておいて、彼の信念を本気で生きる者は、各大陸に、1世紀に一人くらいしか現れないのを見ても、数の上では「槍」の勝ちだ。

「槍」は強い。なぜなら、心臓を貫くから。しかし「2000年の信念」を貫いた槍はない。