Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

パンと日本語教室

やれやれ。パンの需要がやたらに多い。まともにでき始めて3個目だけど、4人がすごい目つきで待っている。確かに市販のパンより美味しい。できたてというのがもっと魅力的なのかもしれない。機械を使っているとはいえ、自家製というのも手伝って、みんなにあんな目つきで待っていられると、作らざるを得ない。実は、ほとんど自分の口には入ってない。味見に耳をかじったらうまかった、なんていう程度だ。

娘がお米の粉で作ってほしいと言って、粉を買ってきた。でもこのお米、インディカ米じゃないのかな。だとすると、希望のものができるかどうか、怪しい。でも、試しに今日は2種類作ろうと思って、初めに、強力粉のパンを作り始めた。4時間半もかかる。そのあとに、お米の粉で試そうと思う。全部材料を準備した。

実は、このところ突然の豪雨が激しくて、気温が冷たい。夜が寒くて参った。毛布毛布とつぶやいていたら、娘が孫用のを貸してくれた。孫は暑がりで、毛布は蹴とばしてしまうからという。それを着て寝たら、昨夜は暖かくよく眠れた。

朝起きたら、みんながパンパンパンパンいう。よかった。いい機械を買った。7000円弱でたいして高くはなかったけれど、持ってくるのに苦労した。重い油絵の道具は、別便で送らざるを得ず、だからといって、本業の油絵を描かずにパン屋になるわけにはいかない。毎日絵がかけて、パンが一個できて、あと一つ欠けているものがあるな、と思った。

娘は卒業前の薬学の研究で、ものすごく忙しいから、日本語教室を休業にしている。その生徒を私にくれないかと言ってみたら、生徒に話してみるという。月100ドルぐらいでも手にすることができれば、生きていくのに、便利だ。それよりも、社会に向かって、何らかの働きかけができる方が、ストレス解消にいい。いろいろなことを試してみよう。この国で生きるための試運転だ。

ホームベーカリーが音を立てている。きっかけって面白い。個展会場に長年音信がなかった兄が来てくれた。個展会場に家が近いから、泊めてもらった。そこでホームベーカリー製のパンを毎朝ごちそうになった。エルサルバドルに持っていこう、とその時思った。

この1年、どん底にいたとき、友情に生かされてきた。それに感謝するとはいえ、自力で生きなければならないと、心の底で、煩悶していた。個展をやっても、絵を買ってもらっても、そこでの儲けが、期待以上であったとしても、それは「自力」でという気分になれなかった。芸は身をたすくと言ってくれる人はいたけれど、そうじゃないな、と思っていた。私を救ったのは芸ではない。まっさらな友情以外にあり得ない。

生活物資を携えて、家族のいる昔住んだ国に来た。実は心が重かった。人は家族と合流できておめでとうと言うが、合流のきっかけがおめでたくなかった。

今、自家製のパンに喜ぶ家族の顔を見て、やっと自力で生きるきっかけをつかんだ。自力と傲慢は別物だ。しなきゃいけないことをやろうとしているだけで、自分の力を過信しているわけではない。いやというほど無力を知った。ヨブのごとき試練に耐えた。

実はパンなんかどうでもいい。パンがきっかけで、まるで無関係に見える日本語教室をやろうという、意欲がわいてきた、そこにすごい意味がある。