Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

久しぶりに、「心の時代」

個展が近いので、すべての準備はできているのに興奮していて眠れない。日中は逆に眠くて、何かをしながら眠ってしまう。今日一番早く目が覚めた時は2時。ちょっとメールチェックしてまた横になって、また起きたのが3時半。テレビを何んとなくつけている内また眠ってしまって、目を覚ましたのが4時半。テレビは付いていたから、そのまま、例の「心の時代」までつけていた。

そうしたら、出てきたのが、シスター渡辺和子。かの226事件のとき、目の前で父親を殺された体験を持つ有名な人だ。その時本人9歳。老人らしい話方をするせいか、訥々として聞きにくかったけれど、いい話だった。マザーテレサの話が出たとき、キリスト教徒自身が誤解しているイエスキリストの精神、キリストの名において人殺ししたり異民族を征服したり、傲慢の極みを歩いてきた歴史を担うそのキリスト教徒の信奉するキリストの本来の精神を、どうしようもなくよたよたした話し方で、語っていた。

あの私の好きな個所、最後の審判の状況を示す「あなた方がもっとも小さな人にしてくれたことは、私にしてくれたことなのだ」というくだり。あなたは私が、おなかがすいているとき食べさせてくれ、着るものがないとき着せてくれ、病気の時に見舞ってくれ、牢につながれていたときに訪ねてくれた…私がいつあなたにそんな事をしましたか?あなた方がもっとも小さな人にしてくれたことは、私にしてくれたことなのだ…マザーテレサはこの言葉を実行していただけなのだ、と。

エスキリストという人は、常識なんか持っていなかった^^。人間の作った組織なんかに忠実ではなかった。彼がやったのは、最も助けを必要としている人を助けること。

この1年間自分が所属する宗教の区別なく、この自分を助けてくれた人々のことを思い浮かべたら、どんなクリスチャンよりもキリスト的だった友人たちの行為を思い、不覚の涙がはらりと落ちた。この私は、助けを必要とする「もっとも小さき人」だった。そう。私はあの時キリストだった。「最も助けを必要としたもっとも小さき人」を助けた人々は、天の国を心に持った人だった。