Ruriko's naisentaiken

エルサルバドル内戦体験記

なんだか、仏教の記述読んだら、昔の記事が懐かしくなった(1)

改定「仏教との出会い」(1)

「チャットの部屋にて」


 ある物事に、ものすごく興味を持って、神経が猛烈にその物事に集中し、わからないから、その物事について知っている者の胸倉つかんで、教えろといい、図書館に飛び込んで、その物事にかかわる30数冊の本を借りて読み、ネット書店のアマゾンを探して、どんどん、その物事にかかわる本を注文し、むさぼり読んだ結果、それでも何もわからないくせに、いつの間にか、その物事の影響を深く受けてしまうことを、多分、「出会い」と言うのだろう。(これはたぶん、10年位前の記述)

 そうやって、私は仏教と出会った。私は別に仏教を「求めた」覚えはない。わからないから、私の脳みそがわかろうとして努力しただけだった。毎日毎晩それはそれは緊張し、私の脳みそは仏典に集中していた。

 さかのぼる事10数年前、エルサルバドルからの帰国後、私はある仏教校に国語講師として臨時採用をされた。その時、初めて、「般若心経」なるものに触れた。まあ、解説は聞いたことはあるけれど、自分で読んだのは初めてだった。

 

 ところが、いくら読んでも意味がさっぱりわからず、なんとしてでもわかろうとした。同時に勤めていた幼稚園の空き時間に近所の図書館に通い、仏教関係の本を手当たりしだいむさぼり読んだ。たぶん、あの図書館の仏教関係の蔵書をすべて読んだだろう。分館にまで探してもらって読んだ覚えがあるから。

 自分は「仏教国」日本の国民でありながら、厳しかった時代のカトリックの家庭に生まれ育ち、他宗に触れたことがほとんどなかった。地域の祭りにも参加せず、仏教寺院は偶像崇拝の館として近寄らなかった。

 だから、そもそも、仏典や、仏教用語、その解説書に書かれていることは、初体験で、ほとんど外国語に近かった。むしろ、解説書を英語で読むほうが、よほど何を意味しているのか理解できた。

 日本に帰国したばかりで、一緒に住んでいたエノクが、仏教に興味を持って鈴木大拙の英文の仏教解説書をいつも読んでいたから、ぺらぺらとめくってみたことがあった。その時は、さほど興味はわかなかった。興味がわいたのは、臨時採用された仏教校で生徒が理解している世界を理解したいという切実な願いがあったからだった。そして、相手がいなくなったあとでも、わからないままにしておくのは、なんとも気がかりだった。

 

 あの学校の教壇に立つ前、仏教関係の本では、たった一冊、「歎異抄」を知っていた。高校時代、変わり者のさる日本人神父が、説教で、「歎異抄」を引き合いに出し、それを極めてキリスト教的に解釈して紹介したのだった。

 ヤフーのチャットの部屋で、ある男に会った。その男は、私の直接の知り合いではなく、私が出入りしていた、かの仏教部屋の主の友人で、いつも二人は議論していた。その議論を私は傍らで、眺めていた。

 彼は親鸞の話をしていた。自分の取っ掛かりは、唯一、その親鸞だった。歎異抄なら高校時代にふれたことがあるから、そこから入っていけば何かわかりそうだったし、質問のし様もあった。

 その会話を見ているうちに、私は、自分の疑問を、その男にぶつけてみようと思った。彼の話し振りには知性と論理性があり、ご利益宗教、呪術宗教、前世、来世の化け物信仰に陥りやすい、もろもろの「仏教風の」宗教の徒ではないようだった。

 こちらが真面目に質問をすれば、一晩でも二晩でも付き合ってくる、そのくせ自分の信念を他人に押し付けない、他宗を誹謗しない、数少ない種類の人物だった。彼はこちらがキリスト教徒だと知ると、聖書も読む、そしてその聖書を仏教的に解釈する。それがいかにも面白かった。私は聖書を読むよりも前に、教条的な聖書の解釈を「習ってしまった」人間だったから、他宗の人物の別の解釈は、新鮮だった。

 彼はお寺の出身ではなくて、理解できないことを理解しようと原典に当たって研究している「凡夫」だそうだ。「凡夫」とは、キリスト教で言う「罪びと」なのだろう。

 仏教部屋の主は自分のことを「煩悩具足」だという。これもやっぱりキリスト教で言う「罪びと」なのだろう。反発を食うかもしれないけれど、そのことは後に解説する。

 で、話の都合上、この部屋主を、その出身地から「札幌男」とよび、知的なほうは浄土真宗門徒らしいので「真宗男」と呼ぶことにした。

 始め、私の疑問は、「神」と言う言葉の意味から始まった。札幌男によれば、「お釈迦様の前には神々も額づく」そうだ。彼はそれをあたかも、仏教がキリスト教の神の上を行くとでもいいたいような口調で言う。

 仏教で言う「神々」って言うのは、何かに「額ずいちゃう存在」なんだね。

 他の話者がいう。「一神教は諸悪の根源だ。東洋人のほうが、欧米人より平和を愛するのは、欧米人は一神教でヒステリックであり、多神教の東洋人は鷹揚なのは、多くの神々を認めているからだ。」

 「神々」って言うのは、人間様に「認められる存在」なんだね。つまり神様の戸籍謄本は人間様が統括するんだ。

 なんだか、余りにも私の持っている概念と違う話を聞いて疑問に思った私は仏教部屋の面々の会話を目で追いながら、あるとき、真宗男に、数件の質問状を送った。

 彼はその質問に対して、A4版30枚ほどの回答をよこした。その回答にすべて納得したわけではなかったが、その真摯な回答の仕方に私は満足だった。

 彼はその中で、一般的に「仏教的」とされている論理性を欠いた化け物信仰の解説をしてきた。